第11話 ドロップメイカー

 次に意識を取り戻したのは暗然とした狭く冷たい部屋でのことだった。


 周囲を囲う壁は温もりある木から冷ややかな石に変わり、一方には緑青ろくしょう色の格子が張られている。区切られた空間に照明は無く、格子に接した細い廊下の壁に炎が一つだけ燃えている。


「ようやく起きたね」


 気だるげな上体を起こすと格子の外から声が聞こえる。見上げると、メイであろう人が床に座すユキトを見下ろしていた。


「ここ、何処なんですか?」

「さっきまで話をしていた小屋の地下だよ。寝ている間に監禁させてもらったの、暴れられても困るからね」


 薄暗い部屋のなかを身体を捻って確認する。なかには横になるための薄っぺらい布が一枚だけ床に敷かれているが、その他には水道すら存在しない。独房以上に劣悪な環境と言えるだろう。


「もしかして、入口のない塔の件で捕まえたんですか?」

「さあ、そのことについては初耳だけど、おそらくは別件だよ」


 先よりほんの少し大人しやかな麗人の声が狭い牢屋に反響する。彼女の表情は背後を照らす灯火の影となって窺えない。


「あたしたちの目的は魔力を集めること、そのために君を閉じ込めておく必要があるんだ」

「魔力集め……?」

「はい、ここで魔力についての追加講義」


 麗人は立ち姿のまま指で数を表して、次のように説明を続ける。


 魔力は3つに区分され、それぞれ「エーテル」「オド」「マナ」と名前が存在する。「エーテル」は物質の構成に利用され、「オド」は生命活動の維持に使用される。そして「マナ」は異能を発揮する際に用いられるという。


「その中でも取分け異能が使える種族しか生成しない魔力、マナを君から吸収してるってわけ。現在進行中でね」


 付け加えられた言葉にユキトは身の周りを見回すが、枷のような装置が取り付けられている様子もない。


「探しても見つからないよ、だってこの牢屋自体が装置だから」


 膝を折ってユキトと目線の高さを合わせる麗人が牢屋全体に目をやる。


「この特殊な格子が閉じ込めた生物から一定量の魔力を吸収し続ける、檻すべてが魔力吸収装置ってわけだよ」

「この格子が――」

「触らないほうがいい」


 緑青の格子へと伸ばした腕を華奢な手に強く掴まれる。


じかだと吸収が素早いから、あっという間に魔力を持ってかれて死んじゃうよ」

「あぶなっ!?」


 冷えた指先が腕から離れると、迂闊に伸ばした手を一瞬で抱き寄せる。危うく凡ミスでこの世を去るところだった。


「三種の魔力は互いを補うことで極力均衡を保つようになってるの。だからマナの消費はオドとエーテルにも影響を与える、一秒触れただけでも体は透けて意識が朦朧とし始めると思うよ」


 畏怖の目で凶棒を凝視する。禍々しい格子の間には気のせいか陽炎のように歪んで見える。


「大人しくここにいてくれる限り危害は加えない、それは必ず約束するよ。けど――もし少しでも逃げ出そうとしたら、そのときは容赦しないから」


 見開かれた紅い双眸そうぼうが牢内の少年を刺す。物の怪でも憑いたかと思わせるその表情に、ユキトはただ強くうなずくことしかできない。


「よろしい、ならご褒美にこれをあげよう」


 いつもの朗らかな顔に戻った麗人は自身の背後に持っていたパンを木皿ごと、格子の隙間から牢屋の床に置いた。


「再三だけど下手なことだけはしないように、いいね」


 よいしょと赤髪のかかる腰を上げて、狭い廊下を向かって右の方に歩を運ぶ。


「集めた魔力って、一体何に使うつもりなんですか?」


 素朴な問いに麗人の脚は振り返ることなく歩みを止める。


「さあ、それは別の人が決めることであたしには関係ないことだから」


 それじゃあね、と言葉を残した彼女の足音は扉の向こうへ消えていった。



 §



「まさか、メイさんも転生者狩りだったとは……」


 裏切られたことが信じられずにいるユキトが鈍色にびいろの壁に背を預けて項垂れる。

 あの優しさ溢れる表情もこの牢獄に幽閉するための撒き得だったのかと思うと、その人間不信の傷はノルカーガで負ったものの比ではない。


 当惑と落胆でいっぱいの脳はいっそのことこの牢屋にいた方が得策ではないかと思い始める。どの道ユキトは宿を探さなければならない、となれば文無しの人間を泊めてくれる人と出会うよりも森で夜を明かす可能性の方が十分に高い。

 ここなら雨風をしのぐ屋根もあり、死なない程度の食事までついてくる。獣の彷徨う森の中とは比べるまでもない、人によっては喜こんで入牢するだろう。現に妙な居心地のよさを感じてしまっている。


「ダメだダメだ、せっかくの新しい人生、こんなとこで燻ってられないっての。 努力不足は人性不足、やる気出せ自分……!」


 頭にとり憑いた無気力を払って両手で軽く頬に気付けをいれる。待っていればいずれ牢から出られるかも、などと甘く考えていてはいけない。用済みになれば切り捨てられるのがこの手のオチである。


 しかし、ユキトとて暗鬱な牢屋での数時間をただ呆けて過ごしていたわけではない。彼の折った脚の傍にはその証拠となる砕けた木皿の残骸が転がっている。


 当然だがユキトに厚木を割るような握力はない。砕けた破片は格子の効果が如何程なものか試した結果の産物である。

 木皿は格子に当てた後、床に置くとすぐに土くれの如く崩壊してしまったのだ。魔力に関する理解が浅いため正確な判断は出来ないが、反応を見るにただの鉄の棒でないことは一目瞭然。メイの言う通り触れない方が身のためだろうという結論に至った。


 他にも牢屋の壁を隈なく目したが不備による隙間は無く、床を割って徐々に掘り進めることもできない。牢屋内に存在するのは寝具用の敷き布とユキトのみ。秘めたる超能力が唐突に開花する、なんて非現実的なことでも発生しない限り脱出は難しい。


「どうすりゃいいんだか……」


 無力感に苛まれる彼の耳には何処からか鳴る吐息のような隙間風の音が入る。それに加え、表皮を撫であげる寒気が牢を循環する。

 いやらしい要因が薄気味悪い想像を掻き立て、総毛がよだつ。ファンタジーな異世界で死者の怨念なんて洒落にならない。


「……寝るか」


 塞ぎこんだ頭を煮詰めるより睡眠をとって魔力回復に努める方が良いと、壁から身を離して布に這い寄る。空腹をしのぐためのパンも食べ切り、ひだるくなってきたところだ。決して現実逃避ではない。


 この牢で過去に死人が出ていないことを祈りつつ、肌触りの悪い敷き布に腰を下ろすと手枕をこしらえて上体を倒し――、


「たっ!?」


 瞑目して横たわった瞬間、全身が落下する感覚に襲われたかと思えばふわりとした弾力が背中を包む。


 ジャーキングにしては激しいと開けた眼に映ったのは変わらず薄暗い鈍色の天井。しかし部屋は仄かな赤でなくシャープな蒼白が照らす。


「なんだここ……てか寒っ!」


 手元にある厚手の毛布にくるまり、震えた体を縮めこむ。冬の夜寒を想起させる寒さは鳥肌の立つ腕や脚をじわりとなぞる。


「すみませんねー、わたし冷えた場所の方が落ち着くんでー」


 少女の声がしたとユキトは顔をあげる。


 白黒とした目の先には、水色髪の少女が豪勢な肘掛け椅子に着座していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る