第10話 綺麗な薔薇には棘がある 下

「ようこそ、我が家へ。何もないけどゆっくりしていってね」


 メイがドアを軋めかせて部屋のなかへ迎えいれてくれる。


 木独特の温もりある香りが満たす部屋には、四人掛けの横長なテーブルに背もたれのついた椅子が二つ、棚に少しの食器と簡易な台所と、必要な家財道具以外は見当たらない。照明らしいものもなく部屋には窓から差し込む陽光だけが充満している。質素な内装が自然の中に建つ小屋の雰囲気を程よくかもす。


「遠慮しなくていいよ。ほら、座って座って」


 こなれた様子でドアから離れた方の椅子を引いてユキトを手招くメイ。催促されるままその席に腰かけると、彼女は奥から水の入った木のコップを手にしてそれをユキトに手渡した。


 ユキトの対面へと回り込んだメイは、魔導士には似つかわしくない長剣を腰から下ろしてそっとテーブルの上に置く。


「さっきから気になってたんですけど、魔法を使うのに何で剣なんか持ってるんです?」

「ああ、これ? これは補助用の武器だよ。ほら、魔導士って接近戦にはめっぽう弱いからさ、これで応戦するんだ」


 笑みを浮かべながら剣の鞘をわちゃわちゃと撫でるメイ。魔法も剣術も扱える彼女にユキトは感嘆の声を漏らす。


「質問されてばかりなのも何だし、今度はこっちから質問というか確認。君は何も能力を持っていたりしないんだよね、転生使様へのお願いで与えられたものとか」

「かなり曖昧な願いを叶えてもらったんではっきりとはわかりませんが、おそらくないかと」


 剣を壁にかける彼女の綺麗な背に、ぼやかした言葉で答える。

 赤髪のかかる玉のような肌を目して、美人とひとつ屋根の下にいる状況へ意識が向く。すっと彼女から目線を外したユキトは冷えたコップに口をつけて乾く喉に水を流し込んだ。


「ふーん、そっか。なら短剣を失って、なおさら魔法が必要ってわけだね」

「メイさんの炎を操る魔法って、俺でも時間をかければ使えるようになりますかね?」

「もちろん、炎術は他の魔法より会得しやすい部類だから。でもその前に、魔力について少しだけ知っておかないとね」


 正面の椅子に座ったメイが前髪をかき上げて、意気込むユキトを唐紅の瞳に映す。


「魔力は異能を使う際の原動力になる他にあたしたちの体を構成する、いわば栄養素としての役割もあるんだ。魔力が枯渇すると活力もなくなって、体内の魔力を完全に失ったら死に至るから気を付けないといけないの」

「なら、もしかして寝食で魔力を補ったりするんですか?」

「大まかにはその通り。前世と体の仕組みは違えどやることは同じ、体調管理なくして強い魔導士にはなれないってことよ」

「にしては、ここには寝具も貯蔵庫も見当たらないんですけど」

「うっ」


 いかにも自信ありげに胸を張ったメイがユキトのそっけない指摘にピクリと肩を揺らす。


「いや、あたし寝るときは雑魚寝だし食料はその日のうちに必要な分しかとらないから。体調管理は出来てるよ、ちょっとだらしがないところがあるだけというか何というか」


 背もたれの上部に腕を置いて部屋を見渡すユキトに苦笑いを向けるメイ。布も敷かず板の間で毎日雑魚寝するのはだらしない以前の問題である。


「それに、ついこの前までは魔力の自然回復量も高かったから頻繁に寝食する必要もなかったんだ。全く、誰の仕業か知らないけど困ったもんだよ」

「ごめんなさい……」

「ん、なんでユキト君が謝るの?」

「え、いや、なんとなく申し訳ないこと尋ねちゃったなって思っただけです……」


 ついうっかり頭を下げてしまい、しどろもどろに弁解するユキト。最近起きた変化と聞くと全て自分のことのように思えてしまって心がむず痒くなる。


「とにかく魔法を会得したいなら、まずは使える魔力を増やした方がいいって話。魔法を使って死んでしまったら元も子もないからね、わかった?」

「はい、もちろんです」


 互いに居た堪れないような顔を引き下げて、話を打ち切る。


「それで話は変わるけど、ユキト君はこれからどうするの? 森の方面に用があったってことはノルカーガには戻らないんだよね」

「アルフェイムに行って宿を探します。と言っても当てがあるわけじゃないんで、最悪の場合は道端で野宿ですけど」


 苦笑いを浮かべたユキトは銀髪を掻き撫でる。


「ということは、決まった予定も先客もなしってことだよね」

「まあ、そういうことになりますね」

「そっか」


 一言呟いた麗人は謎めいた笑みを浮かべ、両眼を唾をのむ少年へと向ける。


「――なら、よかった」

「っ?」


 異変を感じ取るのにそう時間はかからなかった。

 しかし気付いたところで意味もなかった。


 突然メイの姿が二つになって揺れる。ぼやけた視界は薄く暗くなり、彼から鮮明さを奪う。

 全身のどこにも痛みはない。ただ身体が、まぶたがひどく重い。


「あたし、だらしはないけど体内時計にだけは自信があるんだ。君がコップに口をつけてからしっかり五分、数えてたんだよ。気づかなかったでしょ」


 テーブルに腰掛けた麗人は長い足を組み、わずかに水の残ったコップを手に取って目の前で軽く揺らす。

 飲み水に何かを仕込まれた――その理解も脳の端へと追いやられる。


「ごめんね、でも恨むのなら草原にいた自分の不幸を恨んでね」


 意識が断片的になり、波のように寄せては引く。いつしか目の前は黒く閉ざされ、側頭部がテーブルの上に接していた。


「おやすみ、君」


 耳元に発せられた柔らかな声は沈みゆく彼の意識を暗闇へといざなった。

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