第12話 地下室の気だるげな天使
「誰だーって顔をしているので自己紹介しますと―。わたしの名前はイリ-シャ、あなたがいる牢屋の製作者ですよー」
座高よりも少し高い背もたれにどしりと腰かけている少女はのんびりとした口調で話す。
ボサついたロングヘアは白から髪先の水色へとグラデーションがかかり、切り揃った前髪は開ききらないシアンの瞳と眉の間に収まる。風で舞いそうな薄く白い布が華奢な彼女の身を膝まで包み込む。黒羽檻の少女と同じくユキトより一つ下くらいの見た目だが、身長は眼前の少女の方が低いと思われる。
彼女の後ろには
ユキトの落下を受け止めた柔らかなベッドは部屋奥に存在し、牢屋の倍はある部屋を持て余す。
牢屋の下にこんな空間が広がっているなど思いもしなかった。
「牢屋の製作者ってことはメイさんの仲間か? 見た感じアンタが彼女の上司って感じには思えないけど」
「そうですよー、メイとは同僚みたいなものですー。まあわたしの方がほんのちょっとだけ先輩ですけどー」
煩わしそうに首を傾けている少女の声を聞きつつ、室内の全容を見渡すユキト。
「あっ、扉!」
左手の壁に備え付けられた扉が目に入るや否や、目前の少女の事も忘れてベッドから飛び退き走り出す。金属扉に辿り着き、ドアノブを握る。これで外へ――、
「あががががっ!?」
勢いよく掴んで捻ったドアノブからユキトの全身に電流が走る。電気回路の一部となった人体は一切動かすことなど出来ず、ようやく手を離せたのは電流の止んだ数秒後であった。
「ちょっとーいきなり出て行こうとするなんてひどいじゃないですかー」
激痛のあまり床に倒れるユキトに少女は文句を垂れるも、驚いた様子はない。こんな大層な装置まで設けているのだ、ユキトが扉に向かうのは予測の内だったのだろう。
「こんな罠張っといてよく言うな、死ぬかと思ったぞ」
「電流は痛いだけでオドやエーテルの消費は少ないので安心してくださいー、あとこの世界では死ぬことを
「知らないしそんな高度な心配してないよ」
まだ痺れと寒気で震えが収まらない体を起こして扉に背を向けると、定位置に戻って再び毛布をまとう。
「それで、敵であるアンタが俺に何か用でもあるのか?」
「大ありですよー、何せ可哀そうなあなたを助けてあげようとしてるんですからー」
「助ける?」
イリーシャと名乗る少女の話にユキトは眉を顰める。
「アンタはメイさんの仲間なんだろ、折角捕まえた獲物をみすみす逃がすような真似するとは思えないけど」
「事情は色々と複雑なんですよー。わたしにとって興味があるのは囚われのあなたではなくー、あなたが逃げる過程とそれで生まれる副産物だけですからー」
「過程と副産物? 普通に逃がしてくれるってわけじゃないのか?」
石壁の一部にどしりと構えられている金属製の扉を
「そんなことしたらわたしが怒られちゃいますよー、それにドアから逃がすつもりならあんな仕掛け作るわけないじゃないですかー。いくら頭が空っぽだとしてもそれくらい察してくださいよー」
「ぐぬ……」
冷笑を浮かべた口もとに手を当てるイリーシャ、その様子にユキトの顔が引きつったようにヒクつく。
この娘、ウソつき受付嬢とは違うベクトルで腹が立つ。
「ならどうやって出してくれるんだよ」
「わたしが特別することはありませんー、ただあなたが自力で脱出できる方法を教えるだけですからー」
怪訝な目を向けるユキトに体を振り子のように左右に揺らしながら少女は口を開く。
「あなたがやるべきこと、それはメイの隠し事を暴くことですよー」
不敵な笑みを浮かべた少女が右肩に顔を預けるように首を曲げながらユキトを真っすぐに見つめる。
「隠し事を暴いて、それから?」
「その弱みを元手に彼女を脅して牢屋から出してもらうんですよー」
「そんなこと出来るなら世話ないっての! てか当然のように仲間を売るなよ」
てっきり抜け道へとたどり着く方法でも教えてくれるものだと思っていたユキトは気抜けして肩を落とす。
「別に難しいことはないですってー、あなたが今まで得てきた情報を繋げていけばおのずとわかりますからー」
「今まで得てきた情報って、なんでアンタがそんなことを」
「あなたが鼻の下を伸ばして小屋に来たことも、一人も死人が出ていない牢屋で勝手に妄想を膨らませて身を震わせてたことも知ってますよー。何といってもわたし、全知で
白い歯をのぞかせて薄めの胸を張る少女。
その後ろに張り付けられたモニターには小屋の外側や牢屋の中など、この小屋の端から端までの様子がひとしきりに映し出されている。
「全知って、モニターで盗み見してるだけじゃねえか」
「さすがにヒトの現行や内情はこうでもしないとわかりませんからねー、努力の範囲内ですよーこれはー」
一切恥じる風もなく、全てを映し出すモニターは堂々としたイリ-シャを照らし続ける。とても盗み見している人間の態度ではない。
「そもそもその話口なら、アンタはメイさんの隠し事が何か知ってるんじゃないのか? 何でそんなこと探らせるんだよ」
「だから言っているではないですかー、わたしの興味は脱出の方法とその結果だけですってー」
「何なんだよ、その方法と結果ってのは」
「さあー、それもおのずとわかってくると思いますよー」
少女の目的がまったく見えず、腑に落ちないユキトはしきりに首を傾げる。
「さてー、話も一区切りついたところでそろそろお開きとしましょうかー。メイにこのことがバレてもお互い困りますしー」
イリ-シャは傍目にモニターを確認しながらはゆらゆらと切り揃った前髪を揺らす。どうやら外に出ていたメイが小屋に戻ってきているようだ。
「本当に脱出方法だけを伝えるためにここへ呼ばれたのか……」
「一応あなたのマナ回復も目的の一つなんですよー。今も吸収総量に狂いが出ないようわたしがあなたの代替わりになってるんですからー」
「今さらそんな優しさを見せられてもな」
軽く愚痴はこぼすも、確かに空腹の度合いはひどくなっておらず、心なしか身体のダルさもマシに感じる。
「これでもあなたには期待しているんですよー。あなたならきっと乗り越えられる、ってー」
「心にもないこと言いやがって」
「本心ですよー、なんせわたし、亡くなると思う相手に物事は教えない
左右に振れた身体をピタッと止めて、澄んだ瞳でユキトを見つめるイリーシャ。その意表を突くような彼女の態度にユキトの心はひどく惑わされる。このままではストックホルム症候群にでもなってしまいそうだと、ユキトはぷいと顔を余所に向けた。
「とにかくあなたは脳をフル回転させてメイの隠し事について答えを出してくださいー。その答えを上手く使えばちゃんと脱出できますから―」
「わかったよ、けど牢屋にはどうやって戻ればいいんだ?」
平生を装って周りを見渡すが、上にのぼるための梯子などは見当たらない。よもや扉を出てその足で牢屋に向かわせるなどということはないだろう。
「それなら問題ないですよー、毛布から出てベッドで横になってもらえますかー?」
ユキトはイリーシャの言葉通り布団をのけてベッドに四肢を投げ出す。
「それじゃあ行きますよー、さ-ん、に-」
横になった途端、何やら不穏なカウントダウンが少女の口から発せられる。
「おい、何するつもりだ、ちゃんと説明を」
「いーち、ぜろー、えいっ」
「うわっ!」
ユキトの問いを遮りイリーシャが掛け声を上げると、背中をものすごい勢いで押し出されて体が宙を浮く。身は部屋の天井を突き抜け牢屋にまで一気に戻り、
「いっっ!!」
全身が牢屋の天井に衝突した。
「すみませんー、威力が強すぎたみたいですー」
下から気持ちの籠らぬイリーシャの謝罪文が飛んでくる。
「あの水色ぱっつん、ここを出たら絶対に一発ぶん殴る……!」
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