第2話 神はサイコロを振らない…?

「それじゃあ最後にお待ちかね、リズで叶えたい願いについて決めようか」


 来た、と少年は目を輝かす。

 転生する上で最も重要なイベント。種族決めなどこれに比べたら前座でしかなく、ここで希望する内容で今後のすべてが決定すると言っても過言ではない。


 レクリムはまたまた例の薄い本を開いて目を通し始める。どうやら叶えられる願いの数は1つだけではないらしく、それに関しても前世に関することで決定が下されるという。


「今度は過去の何で決まるんです?」

「キミが前世で何を残してきたかだよ。つまりは実績さ」

「えっ」


 内容を告げられたユキトの表情が急に渋くなる。


 それもそのはず、ユキトは享年十八歳の少年。当然起業も投資も結婚もしていない。それどころか部活や習い事でも特に目立った結果は残せておらず、最後に貰った証書といえば中学の頃にあった読書感想文の銀賞状という中途半端な始末。

 唯一前世に遺した物と言えば押し入れに隠された大量の短編小説集だが、そんなものが仮に世間様の目に触れでもすればそれこそ一生悶え苦しむ羽目になる。


 同じページを何度も往復しているレクリム。やはり実績らしいものが見当たらない様子だ。これでは何も叶えられない可能性すら出てくる。そうなれば正真正銘、凡人の完成だ。それだけは絶対に避けたい……!


「明確な実績はほとんどないんだけど……やっぱり変わってるね」


 両手をこすり合わせるユキトの耳に、思いもよらぬ言葉が入ってくる。


「捨てられた子犬を拾って自らの手で育てては陰険ないじめっ子を懲らしめて、車両事故に遭いかけた青年を身を挺して救助。うん、絵にかいたような夢想家だね」

「別に迷惑かけてないしいいでしょ!」


 恥ずかしさを隠すように声を荒げて誤魔化す。字面だけ聞くと気恥ずかしくて体の芯がむず痒くなって仕方がない。


「本来『誰かを助けた』っていうのは死の回避でありただの存在維持、実績としては薄弱なんだ。それはキミも良く分かっているだろう?」

「それは、まあ」


 神様の問いかけに今度は言葉を濁して返答するユキト。

 先の出来事が頭に浮かばなかった理由には、その後に起きた事の印象の方が強烈だったことがある。事故から助けた青年はほどなくして持病の影響で苦痛のなか亡くなった、他の出来事も決して手放しで喜べる結末ではない。ある種、しまっておきたい記憶の一部である。


「でもいいよ、そんなキミの篤行とっこうを賞して僕が特別に枠を設けてあげよう」

「本当ですか!」

「本当だよ、それじゃあパパっと願いの数を決めようか」


 座したまま身を乗り出すユキトに微笑んだ後、レクリムは白衣の内側に手を突っ込み、何かを取り出そうとする。


「今ので決定じゃないんですか?」

「ああ、最終的な数はこれで決めるのさ」


 レクリムの手に握られているものは白くて小さな立方体の小道具。

 そう、サイコロだ。


「人によっては最大三つまで振れるんだけど、キミの場合は一つ。まあ出目によっては三つのときより多い場合もあるからさ。ほら、投げるよ」

「いや、ちょっと、まっ」


 心の準備などお構いなく、サイコロは白い手から地面へと零れ落ちた。

 六面体は息をのんで祈るように目を瞑るユキトの膝元まで音を立てて転がり、繰り返される衝突音はゆっくりと止む。恐る恐る目を開けて、己の膝元に視線を向けた。


「……いち」


 上面にて輝く赤い一つ目が冷酷にもうなだれるユキトを凝視していた。


「残念、まあ運も実力ってことでさ。気を落とさず叶えたい願いを言いたまえ」

 レクリムは微笑みを一切崩さずに願い事を催促する。


 しかし考えようによってはもともと一つだけと思っていたから状況は何一つ変わらない。例え願いが一つとしても、異世界の住人に引けを取らずに且それなりに生活できる願いを叶えれば良いだけの話。むしろ六つも願いがあれば最も忌避した最強の個体が嫌でも出来上がって、


 ――あれ、異世界の住人……最強……?


 はたと異世界に関する説明が今一度頭をよぎる。リズの住人はユキトと同じく地球に生息していた元人間、転生の儀によって何かしら願いを叶えた者のつどいだ。その中には最大数の十八個を引き当てた優秀かつ豪運な猛者が一人くらい存在しても何らおかしくない。


 そんな超人間違いなしが存在する上に現代知識を振りかざすことすら期待できない世界で、願いが一つだけの凡人がそれなりの生活などはたして可能だろうか。

 最強への道を退ける以前の話。今まさに平民か奴隷、どちらの身分となるかという運命の岐路に立たされているのではあるまいか。


「時間をかけすぎても何だから、あと三秒で決めてね」

「はい!?」


 わずか三秒で"十八の最強"に劣らぬ"一の佳良かりょう"を思いつくなど無茶が過ぎる。もはや安直に超絶強化がなされる願いすら頭に浮かばない。


「はい3――2――」


 レクリムが秒読みを始める。次々に指が折り込まれていくなか、ユキトは願いの決め方に対する私怨が沸々と込み上げる脳をフル稼働させる。


 運ではなく実力、努力量がモノを言う、そんな願いは。


「現実化――なんていうのはいかがでしょう?」


 思いついた言葉を急ぎ口から発したユキトがチラッとレクリムの様子を窺う。


「っていうと、異能もなくエルフやドワーフのような種族もいない、キミの元いた場所とまったく同じ世界にするってこと?」

 違う、そんなスーツや学生服だらけのビル街コンクリートジャングルに逆戻りなど誰も望んでいない。


「そういうことじゃなくて、種族とか魔法とかはそのままで、能力がステータスのような値に表されることなく、手出し不可能な超人もいなくて、それでもって努めるほどに強くなれる。そんな異世界がいいんですけど……可能ですかね?」


 もはや現実とは名ばかりの願望を息を継がずに口にしたユキトは呼吸を整えて落ち着ける。

 しかし、いくらうつけ者のユキトとて全ての願いが叶えられるとは思っていない、そもそも一人の願いとしては規模が大きすぎる。さて、時間が出来た今のうちに真の願いを考えねば――。


「いいよ、ならそれで」

「ですよね、さすがにこれは多すぎ、えっ!」

 想定外の一言についと見開いた目をレクリムへ向ける。

「"キミにとっての現実化"で一つにすれば何とかね。その分具体性には欠けることになるからちょっとしたズレが生じるかもしれないけど」


 時間稼ぎ程度に考えていた出まかせが通ってしまい困惑するユキト。何はともあれ、あの条件が全部叶うならそれなりの人生が期待できる、まさに神様様である。


「さあ、願いも決まったことだし、仕上げと行こうか」


 レクリムが白袖から抜き出た手をユキトに向けて掲げると、周囲に青白い光が現れ煌々こうこうと輝いては消えていく。床には彼の周りを囲うように五芒星ごぼうせいと三重円の魔法陣が光り輝く。



 ――転生の時間だ。



「あの、最後に一ついいですか?」


 次第に輝きを増す円陣のなかで、一仕事終えて頬杖をついたレクリムに問う。


野切のぎり先生は、元気にしていますか」


 野切とはユキトがお世話になっていた優しくも気の弱い男であり、生前は彼のもとで長い間住みこんでいた。例えるなら人生の師のようなものである。


「彼は元気だよ、むしろピンピンしている」

「なんか複雑だな、まあ問題ないならいいか」


 転生するとはいえ元の世界では死んでしまったことには変わりない。野切の性格を考えるとどうしても後ろ髪を引かれる思いだったが、これで未練を残さないままリズに旅立てる。


「神様、いろいろとありがとうございました」

「これくらい役目の内さ、キミもこれから大変になるだろうけど気を付けていくんだよ」

「はい、気を付け――て?」


 立ち上がって軽く会釈をしようとした瞬間、地面から先と比べて異質で麗かな光が差し込む。自身のいる床に目を落とすと、そこには異世界上空に繋がる大きな穴が音もなく出現していた。


「いってらっしゃい、少年」


「おわああぁぁあああ――――!」


 こうして少年は、異世界リズ・ロノテリアへと生まれ落ちる運びと相成った。

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