第3話 現実的な異世界風景

「いって……」


 じんわりと全身を響くような鈍痛がユキトの意識を身体に戻す。俯せた体は重く冷たく、粗面のザラザラとした感触が顔面にあたる。

 鼻先を地面に擦らぬよう首を右へ捻ると、眩しさの彼方に行き交う人々の足が視界に映っては消えていく。その光景に付随するように地を叩く靴音が意識へと流れ込む。


 薄墨一色の石畳に両手をつき、顔を向けた方角を正面に立ち上がる。眼前の舗装路は人込みで溢れかえり、道沿いに軒を連ねる四、五階ほどの高やかなブラウンストーン調の建物は長方形の窓を均等に並列させている。


「……外国?」


 腰に長剣を差す騎士や黒いローブを纏う魔導士、耳先の尖った美人のように通行人は風変りな衣装で着飾っている程度の違いしか見られず、亜人や獣人など一目で異世界とわかる種族が目につかない。異邦で開催される仮装大会に放り投げられたと言われた方がまだ納得がいく。


 本当に転生したのか疑心暗鬼なユキトはさらに辺りを見渡すと、すぐ背後にある直径十メートルほどの噴水が目に入った。丸みを帯びた白の縁にギリギリまで足を近づけ、水面を覗き込んで己の姿を確認する。

 銀の短髪に鋭いとも優しいともいえない黒い双眸そうぼうと、顔のパーツに一切の変化なし。服装も丈や幅にアレンジが加わっているが、基本は生前着古した白シャツに黒のスラックスという学生を体現したような組み合わせ。


 今のところ、種族・景観・容姿のどれをとっても異世界濃度が限りなく低い。


「もしかして、あれは全部夢だったのでは――」


 ビシャーン!!


 突然、すぐ傍の水面に何か大きなものが落下し、途轍もない勢いと量の飛沫がユキトの顔面を襲う。濡れに濡れた顔を手で拭って水面の向こう側を覗くと大きく縦に長い物体は静かに浮きあがる。

 驚いたことに、その浮遊物体は軽装な男性の姿であった。


「おい兄ちゃん、泉の前なんかで突っ立ってたら落ちてくる転生者とぶつかってドタマかち割れるぞ」


 何者かの咎める声が狼狽するユキトの耳に入る。背後へ振り返るとグレーが視界を埋める。


 脂肪を詰め込んだような太っ腹に丸太を思わせる太い手足、そして首が痛むほど顔を上げてようやく窺える厳つい面相。その貧相で緩そうなパンツだけを着用した全身灰色の巨人が声の主だと理解したのは振り返って数瞬のことだった。


 退いた退いた、とユキトの隣を通り過ぎる大男は何の躊躇もなく噴水の泉へ片足を突っ込み、水上に背中を浮かせた男性の体を巨大な手で掴むと噴水の外へ横たわらせた。

 交代時間がどうこうとぼやく巨人は噴水と対面するように地面に胡坐をかき、己の禿頭に触れる。


「現実的じゃねぇな……」


 目の前の光景に唖然とするユキト、その視界の端に「転生の泉」と書かれた鉄看板が映る。噴水の周りをよく見ると、彼のように濡れたまま横になった人がちらほらと見受けられる。

 どうやら神様と会話したあれは夢の出来事ではないらしく、あの後落下したユキトは先の男と同様この泉に着水したところを引き上げられて今に至るようだ。

 どうりで全身が妙に湿っているわけである。


「そうだ、そこのにいちゃん」

「ん、うわっ!?」


 巨人から飛んできた短剣を反射的に両手でつかむ。


「すぐ横に落ちてたってよ、多分お前のだろう?」


 ダガーに分類されるだろう鞘に収まった剣は飾りっ気のなく、柄の部分には「Yukito」とご丁寧にも名前が彫られている。いわゆる初期装備なのだろう。ユキトは巨人に礼を言って短剣を腰のベルトに見様見真似に差した。


「兎にも角にも、本当に転生しちまったみたいだな」


 何もない場所から突如として落下してもなお無事な男性にユキトの倍弱はある大柄かつ異質な巨人。非現実的な出来事に事実を認めざるを得ない。


 ならばとユキトは情報集めのため、辺りの散策を決め込む。


 現在地である噴水広場を中心として四方に分かれている道を、ユキトは東へと足を向けて人込みに紛れる。


 車両二台は通れる広めの道幅は次第に狭くなり、大きなアーチ状の石門をくぐったのを境に道沿いの建造物が商店に変わる。見た目は中世ヨーロッパの市、というより日本でよく見られる商店街に近く、進むほどに現実へと引き戻される感覚に陥る。


 何より目を疑ったのが、街灯や自動車に似た物の存在であった。街のそこらに散見されるそれらはデザインこそ古めかしいが用途は明らかにユキトの考えるそれである。

 灯具を支える柱やフロントガラスには「使用不可」と黒字で書かれた紙が貼られており、その理由はわからないが事実誰も利用している様子はない。ここまで文明が進んでいると、製紙技術などもはや思考の外である。


「俺が望んでたのはこういう現実的じゃないんだけど……まさか願いの伝達ミスなんてことないよな」


 風景や種族に関してはそのままという注文のはずだったのだが、ここが死後の世界と考えるともともとが現実世界の詰め合わせみたいな土地であったとしてもおかしくはない。思考の深みにはまるユキトにとって、店の看板が電飾でないのがせめてもの救いであった。


 しかし、決して悪いことばかりではない。


 噴水広場で確認した看板と張り紙もそうだが、この世界に来て目に映った言語には全てユキトの母国語、日本語が使用されている。店前の立て看板や陳列された食料品を示す名札にも、所々妙な余白が目立つが使われているのは紛れもなく日本語だ。


 言葉が通じるなら情報収集は一気に難易度が下がる。土地や貨幣に関する情報はもちろん、現実化がどの程度世界に影響を及ぼしているのかも尋ねるだけで返ってくる。

 何せ現実化による変更点は概念的なものが多く、存在しないものを自力で証明することほど難しいものはない。唯一判別しそうなステータス関連も、ユキトには確認の仕様がわからない。


 幸いなことにユキトはコミュ障という枷に囚われない現代人、人にものを尋ねるくらいなら朝飯前である。

 まずは商店街のなかを歩きながら話の出来そうな人を見定める。何事も初めが肝心、最初に上手く事を運ぶことが出来ればあとはとんとん拍子で何とかなるものだ。加えて異郷の地でファーストコンタクトをとった相手と後々深い関係になることだって考えられる。ここは慎重に行わねばならない。


 すると目を光らせたユキトの隣を長い茶髪を靡かせた女性が追い抜く。横顔だけでも美しさが伝わるが服装は派手でなく、庶民然とした様子は声をかけるにはうってつけである。この機を逃すまいと、ユキトは速足で女性の横について話しかける。


「あの、すみま」

「誰? いきなり話しかけるとかキモいんですけど」


 ――無理、怖い。


 ショックで固まるユキトを置いて、強烈な言葉のアッパーを喰らわせた彼女は足早に人込みのなかへ溶けていく。現実化ではなく、現代化が進んでいることは身に染みて良く分かった。


「ま、まあちょっと体も濡れてたし、乾いたら話もしてくれるだろ。それに人に訊かずとも情報は手に入るしな、頑張れ自分……」


 出鼻とともにへし折られた心を慰めるように独り言ちると、とりあえず身体が乾くまで散策に徹することを決めた。


 そんなユキトの沈んだ心模様を表すように商店街は奥へ進むほど活気が失われていく。閑散とした道にある店はどこも営業をしている様子はなく、うら寂れた雰囲気に包まれる。いわゆるシャッター街というやつだ。


 店じまいになり存在意義を見失った看板が次々と目に入る。『ステータス診断屋』『経験値向上マッサージ店』『ファイティング・ドーピング』などなど、軒並み潰れている店はステータス関係のよう。


「なんというか、まさかステータス値が無くなるとはねー」

 店前に居座る戦士らしき二人組の会話がユキトの耳に入ってくる。

「あの制度かなり好きだったんだけどなあ。自分の実力が向上してるのをはっきりと確認できたからさ」

「わかるわかる、体力が微量に上がっていくあの楽しさと言ったらないもんね」


 もはや過去の事と人目を憚ることなく話に花を咲かせる二人、グラム単位の体重変化で一喜一憂する女子高生のような会話に愛らしさと申し訳なさが湧く。対象が筋肉隆々の男二人であることを除けば。


 先の会話からしてもステータス制は廃止されたみたいだが、よもやここまで商いが成立してるとは思いもしなかった。

 今にも店主の怨念があちこちから飛んでくる気がしていたたまれない気持ちになったユキトは、肩身を狭くして足早に商店街を後にする。


 陰気漂う商店を抜けると噴水広場よりも開けた場所に出る。正面にそびえ立つはどれだけ上を向いても天辺は見えないほど高層なビル、ユキトがこの方面に来た理由は一本だけ存在する異様なほど高い建物が目についたからであった。


 建物に近づくと、腰ほどの鉄看板に「入口のない塔」と記載されている。階層にして三桁あるかもしれない全面ガラス張りの建造物には確かに戸口のようなものは見当たらない。天を突く避雷針は先端だけが顔を現し、ガラスの向こう側を覗こうにも外光の反射により内をうかがうことは出来ない。


 曲線もなくただただ上に伸びた建物だが、それゆえに途轍もない威圧を感じる。


 近未来的な雰囲気すら醸し出す建物を前にして、ユキトはもう細かいことなど気にならなくなり始めていた。

 いくら先進的であろうと異世界は異世界、人外種族だって存在するし魔法だってあるだろう。この様子だと他の望みも無事に叶っていると思われる、ならばこのまま現実的でスローライフな第二の人生も決して悪くはない、と。


「おっと」


 悩みが昇華されかけていたとき、ユキトの背後を通行した何者かと肩がぶつかり、咄嗟に建物の側面に手を置き体を支えた。


 何の変哲もない行動、その瞬間の出来事であった。


 ピキというひび割れ音がしたかと思えば、ユキトの接触する部分のガラスに亀裂が入る。そして、唖然とするユキトへ追い打ちをかけるように奇しくも空から長大な金属棒が墜落し、地響きを立てて付近の地面を穿うがつ。


 刹那の出来事に狐に化かされたような面持ちのまま、怖じ怖じと後ろを振り返る。塔を囲うように歩いていた通行人の足はみな固まっている。いくつもの面食らった顔は地に刺さった避雷針と傍のユキトを交互に見る。

 ひそめた眉に冷や汗が流れる。


「――僕、もしかして何かやっちゃいました?」


 数秒の静けさの後、衛兵との追走劇の幕が切って落とされた。

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