第1章 始まりは全てを繋ぐ

第1話 異世界嫌者、転生します

「どうなってんだ、いったい」


 直黒ひたぐろな床に両手を力なくついて座する少年の頭は真白く機能を停止していた。

 現代においてはもはや希代な闇が彼の周囲を包むなか、何処からとも無く差した二本のスポットライトが呆然とする銀髪の少年と、純白な大理石製の椅子に腰かける見るからに神々しい男性を照らす。


 どうしてこのような非現実的な場所にいるのかと問われたとしても少年には答えられない。しかし、これから起こるであろう出来事を彼は不思議と予測が出来る。


 ここは正しく怠慢極まりない物語で散見してきたプロローグの聖地、地獄を装った極楽へと続くプレミアム切符。となれば、この場で行われることはたった一つ。


 ――異世界転生だ。



 §



 杜宮もりみやユキト、若干十八歳の夢想しがちなリアリスト。彼はいわゆる異世界テンプレ嫌いである。


 「努力不足は人性不足」を信条とする少年は、常に右肩下がりな人生グラフを背負いつつも運命的な好機という強烈な色香を跳ね除けてきた。宝くじに己の願いは託さず、機械にタスクを任せず、あたう限り物事全てに刻苦こっくして取り組もうと励む、生真面目で面倒な人間である。


 かような少年にとって「努力せず」「最強」の単語は西瓜スイカと天ぷらに勝る禁じられた組合せ、邂逅かいこうすれば拒否反応を示すのは自明だった。


 いつしかユキトは誰に言うでもなく己のことを"異世界嫌者けんじゃ"と自称し――、


「ストップ、ちょっと待ってくれ」


 前方に鎮座する男に対してパッと手のひらを突き出す。待ったをかけられた白衣の男は組んだ足の上に置かれた雑誌大の書物から目を離し、つらつらと読み上げていた口を閉じる。


「これ、何の時間です? さっきから何か読み上げてますけど」

「キミの人生録を読み上げる時間だよ、転生の前に行う儀礼のひとつさ」


 男は裏葉うらば色の髪を揺らして頬杖をつき、目を細めていぶかしむユキトに顔を向ける。微笑んでいるのか、口元は常に緩み端がつり上がっている。


「別に飛ばしていいですよ、還暦向かえた爺さんならまだしも十八のガキにしのぶほどの過去もありませんし」


 腕を下ろして普段から身に着けた白シャツの袖を伸ばす。表向きの理由を語ったが、本当のところは記述内容が偏り過ぎて死ぬほど耳が痛いのだ。相手が人であれば一も二も無く訴訟を辞さないレベルである。


「あ、でもどうやって死んだかってあたりは教えてくれませんか? そこのところよく覚えてなくて」


 もう一度片手を真っすぐ上に伸ばしてお願いすると、神様らしき男は快く了承して巻末へとページをめくる。

 平常通り生活していたところに降って湧いた怪奇現象、死んだ覚えはないが人生録なんてものがあるのだからその結末は他界であろう。この歳だと老衰は望めないが、トラックや過労が理由に入らなければ正直何でもよい。


「キミ、いつも黒歴史や失敗を思い出したり愛憎半ばにする事柄に出くわすと布団に包まったり机に頭を当てたりするのが癖だったらしいね」


 おそらく最後であろうページに目を落としながら、神様らしき男は不可思議な質問を行う。


「まあ、お恥ずかしながらそうですけど、それが何か?」

「キミが亡くなった夜も丁度何かに悶えるようにして机上に額を打ち付けていたようだけど、どうやらその時の打ち所が悪かったみたいでね。ぶつけた瞬間――」

「もうわかったんで結構です、お手数おかけしました!」


 男の言葉を遮り、正座した状態で黒々とした床に頭を打ち付ける。そういえば傍にあった小説を読んだ後にむず痒い衝動にかられて、と死に際であろう記憶を思い出す。

 異世界テンプレ死因と比較することすら烏滸おこがましく感じられるほどの無残な死に様に少年の涙がちょちょぎれる。


 ユキトの言葉を聞き入れた男は朗読を止め、見るからに薄っぺらな書物をぱたりと閉じる。先ほどの口上からして碌な事しか書かれていないことも加え、あの厚みが己の人生の厚みだと思うとほとほと悲しくなる。


「何にせよキミは命を失った、故にこの時をもって異世界"リズ・ロノテリア"への転生を行うこととなったというわけさ。僕はその執行役である第三転生使レクリム、改めてよろしくね」


 床にひっつけた額を離して、転生使と名乗る男に視線を向ける。

 外見、口調ともに物腰柔らかな神様だ。少し長めの裏葉色の前髪から穏やかそうな赤目が覗き、細身の体は暗然とした空間では眩く感じる神秘的な白絹を纏っている。不思議と射して見える後光ごこうがいかにも神様然とした様子である。


「自己紹介も終わったことだし、早速転生の準備をしていこうか」

「えっ、まだ転生した理由を聞いてないんですけど」


 至極真っ当な質問かのようにユキトは尋ねる。魔王討伐にしろ手違いにしろ、転生されるからには何かしらの理由があるはずだ。


 が、眼前の神様は特に思い出したようなそぶりも見せず、微笑みを崩さずに首を傾げる。


「キミが亡くなったから、それ以外に理由はないよ」


 レクリムの返答に今度はユキトが首を傾げる。


「リズは通称"魂のねや"と呼ばれていてね、要はキミのような死者が行き着く世界――言うなればまがい物の天国ってとこさ」

「じゃあ、もしかして俺は特別に選ばれたというわけでもなく誰にでも行われる通過儀礼を体験してるに他ならないってこと?」

「そういうこと」


 にこやかな表情で首を縦に振った神様に、呆然としてほどけた腕が脚の上におちる。永遠と貧乏くじばかり引かされ続けた人生にもついに天文学的確率の幸運が、などと内心浮かれていた己がだんだんと惨めに思えてくる。


「キミのように創作物の影響を受けて来る人は多いけど、そもそもキミはその手のものが苦手と言ってなかったっけ。その割には初めてとは思えないほど順応してるし、人生訓に至っては立派なものを掲げているわりに半日中布団で生活していることもあるようだし。何か変わった子だよね、キミ」

「隙あらば人の過去を覗いてキズ抉るのやめてくれません!?」


 再び書物を開いては少年の墓穴を次々と掘り返す神に怒気を発する。柔和に見えた微笑みも今では意地悪な薄笑いにしか見えない。その相手が神様なのだから世も末である。


「落ち着いてくれたところで本題に入ろうか。決めることは二つ、まずは種族からだね」


 目覚めた時と比べて明らかに平静を失っているユキトには関せず、レクリムは転生についての説明を始めた。


「エルフにドワーフ、獣人、妖怪。リズには多様な種族が存在している、もちろん人間もね。そして今から前世での行いや性格をもとにキミが何の種族がふさわしいか決めるのさ。まあ今更どうこう出来る話でもないから、肩の力を抜いてもらっていいよ」


 再び薄い本をペラペラと捲るレクリム、やり場のない憤りを抑えたユキトはその様子を固唾を飲んで見守る。占いや診断メーカーみたく軽いノリで言われるものの、自身の将来が決定する瞬間なのだから落ち着いていられるはずもない。


「そうだね――キミは」


 うなり声をあげつつレクリムは顎に手を当てて思案する。エルフのような平和そうな種族も良いが、獣人のような強い種族も捨て置けない。日本出身ということも加味するなら、鬼や天狗なんかも可能性としては考えられる。どれも夢のある種族だと期待しながら答えを待つ。


「うん、キミの種族は人間だ」

「いや普通っ!?」


 あまりにも面白みに欠ける答えについ声が張りあがる。


「アステラルって地域の生物も可能性としてはあったんだけど、あそこは変わったのが多いから。良かったね、人間で」


 肩を落としたユキトに笑いかける神様。その種族の適性がよもや頭突きで死ぬような気狂いだから、なんてことではないようにとユキトは切に思う。


「それじゃあ最後にお待ちかね、リズで叶えたい願いについて決めようか」

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