エイワズ・ナート ~異世界嫌者は手を伸べる~

甜白 和叉

プロローグ

紅の帳は斬って落とされる

 赤く染まった城下にて、自身より何倍も広い土壁を背中で懸命に押し続ける少年は、反対側から容赦なく襲い掛かる荒々しい衝撃に歯を食いしばって耐える。


 背後が揺れるたびに壁の表面から欠片が砕け墜ち、土煙があがる。少年も障壁も、崩壊するのは時間の問題であった。


 しかし少年は決して身体を退かない。

 この壁は希望と絶望を分かつ垣根、背を離して決壊を許せば息まいた者が皆一斉に彼のいる場所へとなだれ込む。


 そうなればもはや手は付けられない、ならば踏みこたえるより他に道はない。


「案ずるな、この一太刀で確実に終わらせよう」


 死力を尽くす少年に、鎧をまとう男の無慈悲な言葉が告げられる。それは彼に与えられた猶予が切れたことを意味していた。


 鎧の男は把持はじする剣の切っ先を上空に向ける。剣身は金色の輝きを放ち始め、無数の光の粒子が赤い空をさすほどの長大な剣を形作る。


「待って……くれよ、頼むから」


 天を穿うが光芒こうぼうは少年の嘆願を断ち、雲を裂きながら徐々に離れた地面へと接近する。


 口から漏れ出たかすれ声はもはや誰に届くものでも、誰に対するものでもなかった。すべては己の無力さゆえの願望であり、淡く甘い子どもの駄々が同意など得られるはずもない。


 全身を覆うほどに存在する擦傷さっしょうや血臭さ混じった絶えかけの息すら、少年の意志を嘲笑うようであった。


「まだ、何も返せてねえんだよ……これで終わりにするわけにはいかねえんだよ……!」


 少年は割れた石畳を踏み抜かんほどの力を足に加え続けた。


 しかし彼の体を支配するのはもはや理のない意地。打開策を講じるほどに八方はことごとく塞がれていく。今の少年にはただ悔悟かいごを噛みしめながら、いつ崩れるやも知れぬ壁を全身全霊をかけて支えることしかできなかった。


「英雄は――もはやこれ以上必要ない」


 光芒はすさむ地面を粗略に掻い撫で、瞬く間に少年へと接近する。


「やめ――」


 無情にも語末は遮られ、光剣が壁と少年を一閃した。


 その瞬間、濁色した紅天こうてんは少年らの上空を中心に排され、澄んだ蒼穹が荒廃した国土を覆った。


 青く晴れ渡る空は少年を絶望の淵へ突き落すには十分すぎる光景だった。


 城の頂で鳴り響く暁鐘ぎょうしょうの音と異世界の影を燦然さんぜんと浄化する陽光に全身が包まれるなか、少年は悟った。


 ――これは全て俺の、杜宮もりみやユキトへの天罰なのだと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る