第31話 エヴェリーナ邸宅

 エルフの家屋は放浪者のための宿屋としても機能するよう大所おおどころで部屋の多いものが多い。エヴェリーナの家もその例にもれず、二階建てに個室が数部屋と一人住まいの現代家屋と比較しても広い造りであった。


 治癒ちゆ魔術を習得して以後、旅人を泊めることはほとんどなくなったそうだが、ユキトは特別に二階の一室で一晩を過ごすこととなり、疲れも包み込むふかふかなベッドに身体を預けてその感触を背中で確かめていた。上等な寝床に夕食が付いて無料、それもどのエルフ邸でもそうなのだから申し訳なくなる。


 膝高しっこうほどのサイドテーブルに置かれた洋灯が暖色に染める部屋の中で、彼は夕食のポタージュを満たした腹を満足げにさするも顔は今一つ浮かばれない。彼の頭にはつい半日前におきた壮絶な戦闘や異世界に対する充実感でも、ましてや娯楽がないことに対するうれいや不満でもない。


「わからない……フミが何を考えているのか……」


 仰向けになって波打つ天井の木目を見つめながら、フミの言動を思い起こしていた。


 フミにはノルカーガで出会ったときから常に距離を置かれている印象を受けていた。初めは初対面で彼女の人見知りによる照れなのだろうとも思っていたが時間をともにするほどに敬遠の色が強くなるばかり、終いには真っ向から嫌厭けんえん宣言をかまされてしまう始末。


 偽とはいえ、そんな男に大事な人に紹介するための友人役など頼むだろうか。恩があって都合が良いとしてもあまり考えづらい。


「何なんだー……っ!」


 相反するフミの行動にアンビバレントセンサーが反応したユキトは布団に包まって悶える癖が現れる。

 ただ疎まれるのであれば、多少傷つきはするもののここまで気がかりにもならない。得体の知れない大きな異物がユキトの喉を塞ぎ、息を詰まらせる。


「……外の空気でも吸うか」


 落ち着きを取り戻した柔らかなベットの反動に背を押されて立ち上がり、洋灯の持ち手を掴んでドアノブに手をかける。


「あっ」


 扉を開けた先には自室に戻る途中であろうフミが羽織も着用せず、寒そうに腕を抱えて視線だけユキトに向けていた。就寝前ゆえ解かれた黒髪は肩甲骨のあたりまでおりている。日本人形を彷彿とさせるその見目麗しい容貌には大和撫子という形容がふさわしい。


「羽織はどうしたんだ?」


 一瞬奪われかけた心をグッと引き戻して尋ねる。


「前の戦闘で破けてしまったのでエヴェリーナに縫ってもらっているんです。……それでは」


 艶のある長い髪を揺らすフミは部屋に戻って体を温めようと早々に歩きだそうとする。


「ち、ちょっとっ!」

「へっ!?」


 過ぎ去ろうとする彼女を手が触れぬよう腕で無理矢理に部屋の中へと引き入れる。予想外の出来事にうわずった奇声を上げるフミ。


「こ、こ、こんな強引に連れ込んで何するつもりですか!」

「何もしねえよ! ちょっと話があるだけというかなんというか……」


 ユキトの声は尻すぼみになり、次第に顔もフミから背けていく。彼の情けない様子に軽く息をついたフミは怪訝な顔をユキトに向けながらも、顎を引いてその場でじっとする。


「それで、話とは何ですか?」

「フミがどうしてそんなに俺を避けてるのか、気になって」


 そっと洋灯を床に置きつつ、調子を整えるフミに対して脳内に散乱した疑問をそのまま投げかけるユキト。自分で起こした出来事であるが、彼の頭も突然のことに追いつけていない。


「別にそんなことどうでもいいでしょう、明日には私たちは他人同士なんですから」

「良くないって。何度も助けてもらった恩人に中途半端な状態でさようなら、なんて後味悪すぎるだろうが。言っただろ、俺は何事も完璧に終わりたい性質なんだって」


 親指で勢いよく自身の胸板を差して得意満面なユキトとは対照的に厄介だとため息を吐くフミ。


「誰かを嫌いになるのに、理由は必要ですか」

「それなら何で嫌いな俺なんかを友人役に選んだんだ? 目的が取り決めの解消ってだけならメイさんにだって頼むことは出来たはず、それにわざわざ嫌いな人間を助ける義理も無いだろ」

「あなたは一体何が目的で」

「知りたいんだよ、フミの本心を」


 フミの言葉の端を遮るように。まっすぐと見つめるユキトの瞳にフミは一瞬たじろぐ。


 ユキトも握りしめた拳は洪水、ドライな喉には固唾を流し込む。意地で固定しないと今にも顔を背けてしまいそうだが、ここまで来たら意地で本音を突き通す他ない。


「――そういうところがあるから、避けるのです」


 一瞬の静寂の後、伏し目がちのフミは呟くように言った。


「とにかく、私たちは明日には他人、そんなことは考えても無駄なんで早く寝てください」


 ユキトが聞き返す間もなく、少女は月光に照らされる美しい髪をなびかせて灯りで赤く染まる踵を返し、廊下に出ると自室のほうへと歩いて行った。


「また察しタイムか……」


 一人になった寒暖色混じる部屋でがっくしと肩を落としたユキトが再び独り言ちる。


 手に入れた情報は「そういうところ」という心許ない抽象的な言葉だけ。これがユキトを嫌う理由だというが、情報としては明らかに不足している。


 それでも彼女の様子を見て、言葉を聞いてユキトの思いは一層強くなった。ユキトの中でお節介にも居座る「知りたい」という欲求は、いつしか「知らねば」という義務感を含み始めていた。


「ん?」


 開けっ放しのドアを閉めようと出口に近づくと、フミが歩いて来た方の廊下床が照らされていることに気が付く。明りはゆっくりとユキトの部屋へと接近する。


「や、こんばんは」


 ひょこっと横から顔を覗かせたのは金髪の美人、エヴェリーナであった。


「今、暇だったりする? もしよかったら、下で少し話さない?」


 そういって小さく手招きをするエルフ。思いがけない呼出に小首を傾げつつも、ユキトは誘われるがままに部屋を後にした。

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