第32話 夜話は月に照らされる

「さっきまでフミちゃんと話してたんだけど、寝にあがっちゃったから少し寂しかったのよね」


 横に大きなテーブルを挟んで、ユキトとエヴェリーナは背もたれのある木椅子に腰かける。

 華やかなクロスが敷かれたテーブルの上には小ぶりなキャンドルランタンと縫合中であるフミの黒羽檻が置かれている。羽織は自分で縫えると豪語するフミから無理矢理引っぺがしたらしい。


「いいんですか、夜遅くまで起きてても」

「いいのいいの、夜更かしはエルフの特権なんだから。睡眠で足りない分は食事で補えばいいの」


 エヴェリーナは頬を緩めて長く波打つ金髪を手でかき上げると、縫いかけの黒羽檻と針を手に取って作業を再開する。


「さっきフミちゃんが部屋から出て来たのを見たけど、何してたの?」

「いやっ、別に変なことはしてないですよ、ちょっと気になったことを訊いてただけです」


 意味もなく背筋を伸ばして強張った顔を対面のエルフに向ける。メイのときとは異なる、面接のような試される緊張感が体を包みこむ。


「ユキト君はフミちゃんとどうやって知り合ったの?」

「何度か助けてもらって、ともに苦難を乗り越えているうちに仲良くなったんです」


 目をなるべく細めて苦しくも笑顔を作る。手元の針に集中しているおかげでこの歪んだ顔が見られていないのが救いである。


「ウソでしょ、それ」


 ――などと気抜けしていたユキトは動揺、一弾指いちだんしの間に顔の強張りがより一層強くなり、視線が下に移動する。


「不器用すぎるよ、君たち。話すも語るもぎこちなくて、お見合いみたいで見てるこっちが恥ずかしかったんだから」


 俯いた顔は黒目だけを徐々に上に向ける。エヴェリーナは針を縫う手を止めて、しかし温和な緑眼をユキトに向けていた。


「もしかして腹の中ではめちゃくちゃ怒ってたりします?」

「私以外の人と隠し事なんて妬けるけど、怒ってはいないよ。ただ何でそんなことをしたのかは教えて欲しいかな」


 ユキトは対面する女性の顔色を窺いつつフミとの約束を可能な限り事細かく説明した。不安定にすぼむ言葉が途切れるまで、エヴェリーナの笑顔が崩れることはなかった。それがやけに不気味に思えた。


「――そっか、フミちゃんもそろそろ親離れしたい時期なのかな」


 羽織を隣に置いたエヴェリーナが影のある顔を柔らかな手にのせる。


「決して彼女がエヴェリーナさんのことを嫌いになったとかじゃなくて、でも独り立ちしたいって気持ちが強いのかなって」

「フォローしてくれてありがとう、けど大丈夫、あの子のことはちゃんとわかってるつもりだから」


 とりとめがないユキトに微笑みを送るエヴェリーナ。優しい笑顔には不思議と諦観が混在しているように感じられる。


「彼女のちぐはぐな性格は、刻筆師って役職に関係があるの。ユキト君もそのあたりことを知りたくて、フミちゃんとさっき話してたんじゃないの?」


 遠からぬ問いかけにユキトは黙ってうなずく。

 エヴェリーナの言葉には聞き覚えがあった。それは先の激闘の際、ツァーラートがフミに対して何度も口にしていたものである。


「その、刻筆師ってのはいったい何なんですか?」

「背徳背信の魔手――そう呼ばれた役職よ」


 このときエヴェリーナは初めて負の感情を表情にあらわにした。


 緑眼の奥が曇る彼女は傍らに置いてあった手のひら大の木片を取ってテーブルの上に置く。


「ルーンを刻むことで文字が有する能力を具現化する、それがルーン魔術師。刻筆師はそのルーンを司る魔術師の派生名をさすの」


 聴き取りやすく穏やかな声で説明しながら、エヴェリーナは懐に忍ばせていた小型のナイフを取り出し手元の木片に深く疵をつける。


 彫刻し終えたエヴェリーナはナイフを仕舞ってランプの火を消すと、文字のうえに両手をかざす。

 すると彫られた文字はフミのときと同様に青白く光を放ち始め、そのすぐ後に無数の瑠璃色の蛍火がこの場にいる二人の周りを包み込む。その幻想的な光景にユキトは息をすることすら忘れ、美しい光に一瞬にして心を奪われる。


「どう、久しぶりで少し気合入っちゃった」


 少し照れ臭そうにエヴェリーナは白雪のような頬を掻く。


「エヴェリーナさんも刻筆師だったんですか?」

「違うよ、ルーン魔術はエルフとドワーフだけが持つ固有の魔術なの。"弓と風"がエルフの族技ぞくぎとするなら、ルーンは国技って感じかな。一般のエルフは使えてせいぜい二、三個ってところだけど、その中でもきわめて多くの文字を所有する者がルーン魔術師と称されるの」


 エルフの属性が盛り過ぎであることはさておいて相槌は打ちつつ、頭の上に浮かんだ疑問符を必死に回収して咀嚼する。


「ちょっと待ってください。それならフミのような人間はルーン魔術を使えないはずじゃ」

「そう、刻筆師って例外を除けばね」


 白光を浴びるエヴェリーナの表情に黒く厚い影が再び降りる。不思議と周囲の光度も、彼女の気持ちと共鳴して少しだけ下がったように感じる。


「本来、ルーン魔術はアルフェイム内の種族以外には伝承できないはずだった。だけどある時に何者かがその魔術を、本来の体系から変化を加えてまで人間に伝承したの」

「その人間が、刻筆師ですか」


 ユキトの窺うような視線に、伏し目がちのエヴェリーナは静かにひとつ頷く。


「良くも悪くも種族の差とかに楽天的な庶民エルフはそのことは気にしてない。だけど上層のエルフや一部のドワーフは刻筆師のことを良く思ってなくてね、秘匿の簒奪者として忌み嫌うようになったの。勝手な話よね、伝承したのだってエルフやドワーフの誰かだっていうのに」


 ユキトのなかで一つの詰りが解消される。ヴェストリでやたらにフミが過度に周囲の目を気にしていたことも合点がいく。


「それだけならアルフェイム内で収まる話、でもこれにはまだ続きがあるの。」

「それだけじゃないって、まさか他にも嫌ってるやつが――」


 ユキトの声が宙に途絶する。彼の喉を閉塞へいそくしたのはノルカーガでのとある会話であり、彼の疑問の穴を埋める。


「人間――ですか」

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