第33話 フミと刻筆師

「人間――ですか。」


 簡潔で間欠的なユキトの言葉にエヴェリーナは首を縦に振った。


 ユキトの脳裏には受付嬢との会話が回顧されていた。

 フミの特徴に関して口に出したときの真摯な態度と特定の人物への警戒を促す意味深な言葉。引き出しの奥へと故意に仕舞っていたものがついに机上へと浮かび上がる。


「私も詳しくは知らないんだけど、数百年前に起きた戦争に原因があるらしいの。刻筆師が背徳背信の魔手と蔑称されるようになったのもその頃からって言うわ」

「数百年前の戦争?」

「人間が建国を賭けて戦端を開いた大戦争なんだけど、聞いたことない?」


 森の中でノルカーガと種族について話しているときに、メイの口からそれに似た話をちらと聞かされていたような気がする。


「その戦に人間サイドで参戦したのが先代の刻筆師、だけどそれによって残った遺恨はあまりに大きなものらしくて。風説には刻筆師の裏切りが人間側の敗因に繋がったそうなの」

「何百年も前ってことならフミは一切関与してないですよね、刻筆師ってだけじゃないんですか?」


 テーブルに両腕を置いて身を乗り出す。眼下の文字が発する白光が目を刺し、下瞼がわずかに震える。


「実は、私たち一般のエルフですら刻筆師が二人いるとは知らなかったの。その存在を知ったのはフミちゃんから話を聞いてから。余程慎重な人なんだと思う、年齢も性別も不明、不老だから容姿からの推定も出来ない。世間に広がるのはルーンを紙に記述することとルーン魔術に必要とされる黒羽檻という特徴だけ。彼女にもそれは当てはまってしまうの」

「フミと先代は別の人間ですって、エヴェリーナの同様に弁解することはできないんですか」

「曖昧な事実は巨多の真実よりも圧倒的にか弱い。相手はかの大戦を敗戦へと導いた裏切り者、信じて薄氷を踏むより信じず石橋をたたいて渡る方が安全。ノルカーガがそのような方針のようだから」


 事実、フミは一度その手を取ったがうまくいかず、一部では彼女の様態が刻筆師として広まってしまったのだという。そのことがあってフミはより一層人間と距離を置くようになった。


「フミちゃんが人避けするのは、その災禍に私や君を巻き込まないようにするため。刻筆師の仲間と認められたら、同じ扱いを受けてしまうから」

「そんな……」


 刻筆師の少女を知るエヴェリーナの悲痛な面影が、過去の彼女を物語る。


 常から人と顔を合わせようとしなかった彼女のふるまいをようやく理解する。思い返せば、アウストリ内での彼女の様子も黒羽織を脱いで出来る限り影を薄くしていたように感じられる。

 心配するなとの声も、今思えば自分に言い聞かせるための言葉でもあったかもしれない。


「フミちゃんはすべてに対してお人好しなの。困った人を見ると誰であろうと手を差し伸べて、相手が幸せになれば何も言わずに去る、そんな優しく不器用な子。けどいくら優しくてもあの子も人、独りで過去の禍根を一身に背負っていたらいつか心が壊れてしまうに違いない」

「一か月の約束はフミを決して一人にしないためのもの、だったんですね」

「そうでもしないとフミちゃんが離れていっちゃいそうだから。でも、数年前からトロールで話せる子が出来たみたいだし、そろそろ親離れの時期なのかなとも思ったりして」


 呻き声をあげるエヴェリーナはテーブルに上体を預けて項垂れる。投げ出した両腕の合間で横に出している困り顔は子どもの将来を杞憂する親の顔そのものである。


「本当は一か月に一度なんて言わずに、ここから出て無理やりにでもあの子の傍にずっと居たい。でもそんなことをしたら今度は私の傍に居てくれる人たちに迷惑をかけてしまうから」


 傍に居る人というのは治癒師である彼女を護衛するためにいる近侍たちのことであろう。


「彼ら、私が自由に動くことを許してくれてるの。遠くからこっそり見守って、程よいタイミングで見つけてくれるの。だけどこれ以上の優しさを求めてしまうことは同時に彼らを苦しめてしまう、それこそフミちゃんが望まないことだから」


 テーブルに顔をのせたまま、窓の外に目を向けるエヴェリーナ。矩形くけいの窓外には夜番の兵士が灯りを片手に大きなあくびをしている。


「フミちゃんと一緒にいた君を森で見た時にね、奇跡だって思ったんだ。でも君たちが出会った経緯を聞いて、それ以上の運命を感じたの」

「まあ、確かに俺にしては運命的でしたけど、フミにとってはただの偶然じゃないですかね」

「その偶然、っていうのが、実はとても重要だったりするんだよ」


 エヴェリーナは横顔を机上につけたまま、しかし双眸そうぼうは真っすぐとユキトの間抜け顔を捉えていた。


「フミちゃんが衛兵に追われていた君を助けたのはもちろん困っていたから、だけど私はそれだけじゃないと思うの。あの子はきっと、自分と重なる影を君に見たんだと思う」

「重なる影……?」


 繰り返した言葉に理解を促されたように、ユキトの目がはっと見開かれる。


 ユキトは塔を破壊したお尋ね者、それも傍に居たという理由だけで疑われた身である。捕まれば処されるまではいかずとも犯罪者に仕立て上げられる可能性は十分にある。疑わしきは罰する、それがあの国の基本なのだから。


 そして、その末路は恒久的な反逆者の汚名。


「ユキト君に同じ思いをしてほしくなかった、だから人間である君に自分の姿を現してまで咄嗟に助けたんだと思う。それは確かに、フミちゃんにとってはたった一度の些細な偶然。だけどそんな偶然は起きたことがなかった、私が知る限りは一度もね」


 歴史や事の重みは違うかもしれない。だが根本は同じなのだ。

 ユキトが塔に触れ、塔が壊れたあの瞬間、ユキトとフミは一本の線で繋がった。見えないほどに細い、しかし頑丈なそれに。


「そんな君だからこそ知っておいて欲しかったんだ、彼女の本当の姿を知る人だからこそ、彼女の立場をわかってあげて欲しかったの。私に出来ることは、唯一その程度しかないから」


 澄んだ緑の瞳が伏せられる。哀に満ちた彼女の目元に「当然です」と声高に放ちかけた口が閉じる。


 自分のことを信じて助けてくれたフミを信じられないわけがない。


 だが、本当にそれだけで良いのか、本当にそれで終わってもいいのか。


 一方的な感謝と報恩が彼の頭を揺らす。


「俺、前世のときに良かれと思ってよく困っていた人を助けていたんです」


 言葉の栓は抜け、徐々に思いが抜け漏れる。


「でもその度に物事が悪い方へと転がって、その度に後悔して。そうするうちに段々と手を伸ばすことが怖くなっていったんです。苦しい顔や辛い事も、俺が関わらなければ少しはマシな結果になったんじゃないかって。だからメイさんたちを助けるときも、死ぬほど迷いました。バカになるくらい迷った挙句、出てきた結論は助ける前も、助けた後も一緒でした」


 語末が発されるや否や両腕を机上に置き、身を乗り出して声を上げる。


「俺、フミを助けたいです。何が出来るかわからないけど、救ってもらったこの一生で彼女が少しでも笑っていられるように、傍に居たいんです」


 声高な宣誓に丸くなった緑眼は真意を吐露する少年の真剣な表情を映しだす。沈黙にじっと息をのむ数秒間の後、当惑した表情は呑み込まれすぐに温和な微笑みに変わった。


「ものすごくありがたい話、でも本当にいいの?」

「言ったら俺もノルカーガに追われてる身ですし、似た境遇同士なら気兼ねないと思うんです。それに受けた一生分の恩は一生かけて返す、勝ち逃げなんて絶対に許しませんから」


 握りこぶしを身体の前で作って意気込んだ様子をユキトは見せる。


「……ありがとう」


 エヴェリーナは口許を緩めて笑みを深める。


 周囲の光体によって白く輝く緑眼は微かに潤んで見えた。


「って、勝手に言っちゃいるけどフミに好かれるかは別だよな……」

「男の子としてはわからないけど、君を特別に思ってはいるよ。その証拠としてとっておきの秘密をこっそり教えてあげる」


 整った指先で差し招かれるユキトは机に身体を乗り出してエヴェリーナに耳を貸す。


「君の力を封じるって能力、思いっきり彼女に発動してるの。知ってた?」

「――ええっ!?」


 耳に入ってきた言葉が脳に至って数瞬後、ガタっと椅子を鳴らして飛び退くユキト。


「ルーン文字は同じ媒体に複数書き込むと書いた文字の分だけ応用が利くようになるの。フミちゃんはその文字数が一つに制限されたみたいでね、さっきここで喚きながらその話をずっとしてたのよ」


 エヴェリーナは手元の木板にルーン文字を書き加えると、追記した文字も輝きを放ち始める。周囲の光はじわりと白から淡い青に色を変える。


「それって結構重大なことじゃないんですか、大したことないって言ってたのに」

「それだけ君に気負わせたくなかったってこと、気に入ってもない相手にそこまで配慮なんてしないと思うよ」


 冷や汗が額から湧き出すユキトに揶揄い交じりの声色でエヴェリーナは話す。


「でも俺が能力を低減したのは本当だし、気まずいというか申し訳ないというか」

「仕方なかったことだったってフミちゃんも言っていたし気にしなくていいと思うよ。それでもって思うなら、魔力の供給なんかしてあげてもいいかもね」


 エヴェリーナはしなやかな指で傍に浮遊する光体に振れる。すると青い光は輝きを増して、より一層周りを照らす。


 魔術で生成された物体は触れることで魔力を供給できるらしく、試しにと促されたユキトは腕を光体に当てる。触れた光体はエヴェリーナの時と同様に色と光が増し、明るさに目を細める。


「どれだけ小さなことでもいい。それが積み重なっていけば必ず大きな力になってあの子を支えてくれるわ。大事なのは、その力を与えてくれる人が一人でも多く居ることだから」


 ふたりの触れる光体から感化されるようにして周囲の光体も強く輝きを放つ。部屋はランタンで照らされたときよりも明るく、壁の隅まで目視できた。


 木片の文字がゆっくりと光を失うと、周囲を彩っていた蛍火は話の幕切れを暗示させるように儚げにも霧散する。その微かな明りが無くなる前にマッチで火を起こしたエヴェリーナが、テーブル中央のキャンドルランタンに灯す。テーブルの周りは再び暖かな橙色にやさしく包まれる。


「これで話はおしまい、付き合ってくれてありがとうね」

「こちらこそ、おかげで色々と決心がつきました」


 赤い光に照らされるエヴェリーナに目を向けつつ、椅子をテーブルにしまう。


「それじゃあ夜も遅いし、私もそろそろ……」


 後に立ち上がろうとテーブルに置いたエメリアの手先に黒い布が当たる。そして青ざめる彼女はまだいくつもの破れが残る羽織に目を落とす。


「あぁーっ、話に夢中になり過ぎて作業するの忘れてたー……!」


 泣きべそをかくエヴェリーナがもう一度座り直して急いで裁縫に取り掛かる。そのおっちょこちょいな姿に苦笑いを浮かべつつ、身を翻して階段へと歩く。


「絶対、幸せにしてみせますから」


 二階に続く段の前で振り返り、機外に満ちた瞳をエヴェリーナに見せると、彼女は顔を綻ばせた。


 逃げ延ばすだけの命にようやく生き甲斐の火がともったような気がした。


 ――幸せにするんだ。フミも、エヴェリーナも、皆。


 嫌に現実的で冷たい世界と、その中にあるやさしい温もりに心が触れつつ、ユキトは階段へ足をかけた。

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