第34話 別れへと続く獣道
「本当にいいのか? 頼みごとが買い物の付き添いなんかで」
上り調子の日が差す陽光が森の緑を照らすなか、ユキトはノルカーガ行きのジョージの台車後方にて揺られていた。
「ああ、トロールが小粋街で買い物なんて目立って仕方ないからな」
体に比例する大きなあくびをしながら片手で軽々と荷車を引くジョージと、昨夕の頼み事について話をする。
大男の頼みは彼の妻"ステラ"に渡すプレゼントをプリンク街というノルカーガの商店で自分と一緒に購入して欲しいというものだった。
オシャレをかき集めたような小さな商店街にはジョージのようなトロールとは無縁ゆえ付き添いが欲しいらしい。
「でもよ、俺は一応指名手配犯なんだぞ。普通そんな奴に買い物の同行なんか頼むか?」
「それなら安心しろ。早朝に一回だけノルカーガの様子を見てきたが、オマエを探してる様子はなかったんだ」
「えっ」
まさかの話にユキトは目を白黒とさせる。
ジョージの話によると、ノルカーガは整備不足による老朽化ということでこの一件に終止符を打ったのだという。
「民衆の多くはその結論に満足せずに陰謀論やら国への責任追及やらで騒がしい状態だけど、何はともあれお前の容疑は晴れたってわけだ。良かったじゃねえか」
「あ、あぁ」
上機嫌にもユキトの放免を声高に喜ぶジョージとは反対にくぐもった返事をするユキト。
自信の能力に自覚してからというもの、あの塔が破損した原因はユキトにも関係があるものだと頭の端では思っていた。その分、虚を突かれたような気分にもなる。
それに事態を収めるための宣言にしても、あまりに弱く脆いように感じる。
しかし、それだけならまだ手放しにとまではいかずともはにかみが零れるくらいの喜びはしただろう。
「よかったじゃないですか、ちゃんと容疑が晴れて」
隣で膝を抱えたフミは視線を自身の足元に向けたままユキトの無罪をたたえる。
今朝、ユキトはフミが一足早く家を出て行くのではないかと思い、日が昇ると同時に家外で待ち伏せていた。すると案の定、フミはテーブルの上にうつ伏せで寝るエヴェリーナの横に、置手紙だけを置いて一人去ろうとしていた。
そのフミを出先で捕まえ、一人でアルフェイムの外まで歩こうとするのを無理についていくとユキトらの出立を待っていたジョージと出会い、今に至る。
つまりはフミとは未だ正式に同行するという話がついていないのである。
ユキトが無罪放免となったということは、ユキトとフミの間にあった重大な共通点が失われてしまったということでもある。これは今のユキトにとって、ある種追われる身であることよりも由々しき問題であった。
「これで心置きなく、全員でノルカーガに入れるってもんよ、な!」
軽く頭を抱えたユキトに対し、ジョージは口をニヤつかせながら小さく見せたサムズアップで鼓舞する。
出発前、ユキトはこっそりと思惑をジョージに伝えており、何とかフミを買い物に連れ出せないかと頼んでいたのだ。
その甲斐あってジョージの言葉巧みな話術により、自身の透明化を条件にフミを買い物に連れることには成功した。
何やらジョージにはただの恋愛事と曲解されているような節はあるが。
兎にも角にも、ユキトに残された時間はこの移動とノルカーガでの買い物の間だけ。この間に何としてもフミの心を開き、旅のお供にまでありつけるよう計画を練らねばならない。
だがユキトにはこの買い物にてもう一つ、大きな懸念点があった。
「あっ、赤色のスライム!」
荷車の前方で草を分けてのそりと動くスライムを元気よく指さすもう一人の小さな同乗者。見覚えのある幼子は無邪気にもジョージの広大な背中を小柄な手でパシパシと叩く。
「そんな身体を出したら危ないぞ、シオン」
荷車の縁から身を乗り出す少女の顔を、彼女の半身くらいはある大きな手が押さえる。
「子守りなんか俺にできるのか……」
ユキトが仰せつかった指令、それにはジョージの娘であるシオンのエスコートも含まれていたのだ。
子どもはおろか
そうなればいくら仏の顔を持つジョージとて骨の一本や二本では収まりがつかないかもしれない。
そうでなくても、彼女の面倒を見るには苦労が絶えないだろう。そんな状態でフミのことを気にかけていられるか、正直怪しいものである。
「そういえば、ステラさんには何を送るつもりなんです?」
「それが決まってねえんだ、あいつはなにやっても喜ぶから本当に欲しいもんが分かんねえんだよな。記念日ってわけでもねえから聞くわけにもいかねえし」
フミの質問に対して、陽に光る頭を搔きながらジョージは上を向いて考えこむ。
「何もないのにプレゼントなんかするのか」
「わかってねえなユキト、プレゼントってのは何もない日にサプライズで送るのが一番効果的なんだよ」
呆れた顔で答えるジョージが傍目にフミを見る。だから違うっての、とユキトは脳内で否定しつつ咳ばらいをする。
「こういうことは同じ女性であるフミに訊いた方が手っ取り早い、てことで何か意見は? 欲しいものとかないのか?」
下手な誘導で横に座ったフミに視線を移して、水を向ける。
フミとて女の子、ファッションや可愛いものに興味はあるだろう。だが気軽にノルカーガで買い物など普段はしないはず、ここで何かプレゼント出来れば多少切り口が出来るかもしれない。
「わたしは特にありませんが、イヴだとアクセサリーなんかを渡すと喜ぶ気がします」
「アクセサリーか、なら赤の首飾りがいいな。アイツには赤が似合うからな」
「なら、ステラさんのプレゼントはその方向で行くか……」
ユキトの思惑は綺麗に躱されたまま話は進んでいく。
「でも、どうせ行くならフミにも」
「えーい!」
「ぐふっ!?」
次の手に出ようとしたユキトのみぞおちにシオンが頭からダイブし、腹の内から呻き声が口から洩れる。
「お、お兄さんはいま大事なお話をしてるからちょっと落ち着いてね」
「えー」
手が使えないため離そうにも離せず、言葉で落ち着かせようと試みるが少女はなかなか大人のジジョウとやらをくみ取ってはくれない。日常生活ではユキトの能力はデメリットしか感じられない。
そうこうしているうちにフミは立ち上がってジョージの隣に行き会話を始めてしまった。助け船を貰おうとジョージに目をやると彼から「安心しろ、上手いこと取り持っといてやる」といわんばかりの目くばせが飛来する。
「だから違うっての……」
ジョージが変な方向に話をもっていかないか気が気でないが、ユキトの会話デッキにフミの鋼鉄の牙城を落とすだけの切り札はまだ手に入っていない。
それにシオンともある程度は信頼関係を結んでおかなければノルカーガに到着してからが厄介だ。彼女に下手な態度をとってはぐれてしまえばユキトの生命に関わる、そうなればフミどころではない。
ユキトは腰に抱き着く彼女の剥離を断念し、袖で拭うように灰色の小振りな頭を優しく撫でる。やんちゃだが懐きやすいらしく、目を細くして表情柔らかにしている。
「にいちゃん、暇だから何か遊ぼうよ」
「遊ぶって言っても荷車の上で遊べるものじゃないとダメだぞ」
「だいじょうぶ、おうちでもやってるかんたんな遊びだから」
立ち上がったシオンはユキトの顔辺りの高さに両こぶしを上げる。その格好は明らかに両手じゃんけんなどではなく、ファイティングポーズでしかない。
「シオンちゃん、その構えた拳でどう遊ぶつもりです?」
「あてっこゲーム、攻撃側がグーを左右真ん中のどこかに出すからそれを避けられたら勝ちだよ! じゃあサテラが先行ね、いくよー!」
「やっ!?」
それっ、と子どもの可愛らしい声といっしょに少女の拳がユキトの頭上で風を切った。肩をすくめるユキトは木縁にめり込む小振りの凶器を眼前に開いた顎をガクガクといわせて呆然とする。
「おいジョージ、娘になんつー遊び仕込んでんだ!」
「やっぱ遊びは身になるもんがいいからな」
「付き合ってるこっちの身が持たないっての!」
下に逃げたユキトに不平不満を浴びせつつ木板から拳を引き上げるシオン。あの拳が衝突すれば間違いなく頭蓋骨は粉砕、この世からの即リタイヤは必至だろうとへこんだ板を見て悟る。
「下に避けたからにいちゃんもう一回ね!」
「待った待った、その遊びはもうおしまい。もうちょっと安全なのにしてくれ」
もう一度胸の前に拳をこさえて意気盛んに再戦を告げるシオンに休戦を申し込むと、仕方ないと彼女は考えを巡らせる。
シオンが胡坐を組んで頭をもたげる間に、前方ではフミとジョージが話に花を咲かせる。会話の内容は車輪の音に妨げられてあまり聞こえないものの、フミの横顔は出会って以来最も晴れやかな表情をしている。口もとの軽く綻ばせた顔は彼女の幼さを一層助長する。
あどけない少女の微笑みに心が温もりつつ、同時に不安にもなる。あの表情を見せる対象に、新参者のユキトが入ることなどできるだろうか。心を許せる存在になり得るのだろうか。
「って、弱気になってる暇はない……な?」
独り言のあとに両手で軽く顔にきつけをいれようとしたときに気づく。
次の遊びについて横で案じていたはずのシオンの姿が荷車にない。肝を冷やして周囲に目を向けると遠くの木陰を歩く童女に気づく。長時間の座りで足でも痺れたか小さな身体をふらふらとさせて森の奥へ歩く姿が見えた。
「おい、どこ行くんだよシオン」
問いかけるが戻ってくる様子もない。仕方なくジョージとフミに事の次第を端的に伝えると、荷車を降りると走ってシオンの後を追いかける。
シオンの名前を呼びながら影の多い場所を見渡す。相手は10歳程度の少女だ、歩いても追いつくはず。しかしいくら進もうと彼女らしき小さな人影は見当たらない。
シオンが何の意図があるのかわからないが、獣が多く潜んでいる森で一人にしておくのはいくら怪力娘だとはいえ心配だ。
「これで隠れて脅かす遊びとか言い出したら説教もんだぞ」
文句を垂れるも森の陰湿な空気がユキトに悪い想像を働かせる。すると行く先にある草陰からカサカサという音が鳴る。移動した距離からしてシオンで間違いないだろう、動物でも追いかけてきたのかもしれない。
「おーい、シオ――」
念のため声をかけようとした時だった。
「うがぁっ!!」
群れた草から突然小さな何かがユキトに襲い掛かり、もろに衝突した腹部に鈍い痛みが生じる。
臓器を圧し拉がれた感覚に呻き声を漏らし、腹部を抱きかかえて片膝を地につける。俯いた彼の目線の先には小球程度の歪な岩石が一つ転がっている。
「誰……だ……っ?」
力んだ眼は前方を睨むが、草むらを揺らした者は正体を現さない。
「っ!?」
後方から地を叩く轟音が鳴るとともに、伏したユキトの周りを地面が草木を巻き込んで隆起する。高まる土塊は空を塞ぐように折れ曲がり、一瞬にしてドーム状の土壁に閉じ込められてしまった。
「どうなってんだ……シオンは……!」
歯を噛みしめて立ち上がるが、土壁に囲まれた空間は暗く己の位置すら把握できない。
『……い……ゆ……じだ……』
何処からか人の声のようなものがユキトの耳に入る。すると一切の光を拒むこの場に弱弱しい光が放たれていることに気が付く。
その紫紺の光源は、ユキトのポケットに存在した。
『お……ずじ……こ……に…………』
「――っ!」
懐から流れる音声に耳を湯増していたユキトの全身から血の気が引き息が止まる。
ひとりでに発されるその内容は、彼にとってあまりにも衝撃的なことであった。
「分かつ土壌を微細に砕け、
壁外から詠唱が響くと、天井から次第に崩壊していく。土壁は端まで完全に崩れ落ち、ユキトは外界との接点を取り戻す。
「一体なにがあったのですか、ジョージさんもあなたを探すと言ったきり戻ってきませんし、シオンは――」
心配そうな面持ちのフミが怯えた様子で立ち尽くしたユキトに近寄ろうとした。
それはその瞬間に起きた。
蒼天を紅が滲むように浸食し、瞬く間に空は
この怪奇を、ふたりは知っている。
「緋――霄――っ!」
喉に詰まった言葉が吐き垂れる。
動揺は脳を委縮させ、沸き立つ思考を溢れかえらせる。そのわずかな容量に残る疑念がユキトに一抹の不安を抱かせた。
「っっ!!」
ユキトは何も口に発することなく、無心に紅い波の震源地の方角へと駆けだした。
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