第35話 緋霄、再び
南に構えた鉄城門は拉げた状態で地面に散らばり、城郭を成す石壁は要所に巨大な穴が見られる。人の往来で溢れかえっていた広道からは活気が失われ、岩の塊が場を占拠する。
反り返る地によって破られた道を、散乱する石床に足をすくわれないよう進んで中央を目指す。半壊して内側がむき出しになった建物の瓦礫、道沿いを塞ぐ巨大な岩、その傍に無造作に転がる横たわった人体と空の色に近似する液体が目の端々に映る。
その下に半身を敷かれ、空を映す眼が今にも濁ろうとしている者もおり、彼らからは青白い光の粒子が現れ宙に霧散する。
華やかだった街を埋め尽くすのは苦鳴と悲鳴。血腥い臭いが鼻腔を
ユキトは精神の挟撃による猛烈な嘔吐感を自身の胸元を堅く掴んで堪え、地獄と化した街道をひた走る。フミも羽織を抱きかかえてユキトの背後を追走する。
「受付さんっ!」
噴水広場までたどり着くと一人、見知った顔の女性がへたり込むように座っていた。総合案内南側担当嬢のメイリアである。
「ケガは!?」
「私は大丈夫です、けどこの人が……!」
メイリアの膝元には衛兵が苦悶の表情を浮かべて倒れている。白金の甲冑は大きく窪み、籠手にいたっては破損、その部分から曲折した
「いったい何が起きたって言うんだ?」
砕かれた噴水装置から紅い水が吐き出される。その周りには何者かに打倒された機甲隊の兵士が累々としている。機甲隊との交戦が多く行われたためか損壊は凄まじく、商店街や案内所のあるべき場所は土砂が
だが、この騒動を起こした張本人の姿は未だに見られない。
「デンちゃんにいつも通り話しかけようと思ったら急に暴れ出して、そうしたら空が赤くなって。あっ、デンちゃんていうのはこの噴水周りで仕事してたトロールで、赤くなってからは外からたくさんのトロールが暴走しながらここを抜けていって」
整理しきれていない言葉の羅列をしどろもどろに伝えようとするメイリア。彼女の悲愴な面持ちがその惨劇を物語る。
「では、もしかしてこの件にはジョージも……」
「関係してる、かもしれないな」
傍で小さく呟くフミのすぼんだ言葉尻に付け加える。
かもしれないという可能性の話に留め置いたユキトだが、希望的観測を除けばもはや答えは出ていた。
草むらから現れた岩の欠片はおそらくサテラによるもの、そして土壁を出現させたのはジョージなのだ。
「トロールはなんで俺たちを、このノルカーガを襲うんだ?」
「わかんないです、でもいつものデンちゃんは絶対こんなことしないです」
「ジョージとシオンもそういった方ではありません。加えて、彼らが土系の元素魔術を使えるなんてことも聞いたことがありません」
二人の言い分はもっともである。
ジョージは心優しく、とてもではないが人を襲うような柄ではないことは付き合いの短いユキトにも理解できる。ふたりとも、緋霄が発生する直前に様子がおかしくなってしまった。今の彼らはまるで別人である。
「
横たわる衛兵が息の混じった掠れ声で言葉を漏らす。聞き馴染みのない単語にユキトは軽く首を傾げる。
「紅夜夢、種を狂わせると言われる魔法の一種です」
苦しむ機甲隊に変わって途切れた言葉を納得した表情のフミが繋ぐ。
「対象の個人や集団を催眠状態に陥らせることで特定の行動を強制すると言われています。発動条件はわかりませんが、対象が持つ目的意識や怒りを刺激して暴走させると言います」
「魔法ってことは、誰かの仕業ってことなのか?」
「使用者は不明とされていますが緋霄必至とされることよりつけられた名前からも必要魔力は法外、誰でも扱える術ではないゆえ同一人物による同一魔法と考えるのが妥当でしょう」
少女の怜悧な物言いがユキトの脳裏でとある事象と結びつく。
一件落着したと思われていたツェーラートの件。あれにはまだ一つ、懸案が残されていたことにユキトが思い至る。
あの男が魔力を収集した目的とは何なのか。残りの銀棒はどこへ渡り何に使用されるのか。
その解答が現在の現象に関与するなら、これはツェーラートに近しい人間が引き起こしたと考えられる。
「でも、特定の目的意識や怒りってのは何なんだ?」
「そんなもの決まっている――人間への復讐だ」
衛兵の口から放たれた言葉にユキトは驚愕する。
「過去の大戦で人間が挑んだのは巨人族の国、そのうちの一派がトロールだ、奴らはその戦で土地と多くの民を奪われた。ノルカーガの王は中立的な立場で人間もトロールも引き入れたが、トロールにしては人間は敵以外の何者でもない。奴らが暴れる理由には十分すぎる、むしろ今までが異常だったんだ」
人間はいつ同胞の敵討ちをしだすかわからない巨人族の存在に怯え、忌避していたという。そのことを聞いて初めて、ジョージの語った「フミとは似た者同士」の意味を理解した。
「あの塔が壊れ、全ての針が進みだした。この一件を惹き起こした人間というのも刻筆師に違いない。あの大戦は敗戦してもなお、まだ終わっていなかったのだ」
「なっ……!」
機甲隊の口から漏れた一言にユキトの顔が険のあるものに変わる。
だが、話に食いつこうとするユキトの前にフミが平手を差し出し、まっすぐな瞳で彼を制止する。ユキトは現状の性急さを案じて口を紡いだ。本人が堪えているというのに周りが暴発してはならない。
「負傷しているところお答えくださりありがとうございました、こちらはせめてものお礼です」
メイリアの隣まで移動して膝を折るフミが、黒羽織の袖に手を入れながらユキトに目くばせをする。ユキトはすぐにその意図を察知して、メイリアがフミの方を向かないよう適当な話で彼女を誘導する。
目を閉じたまま落ち着くようフミが衛兵に促す。そして紙に文字を書き入れ男の腹部へ当てると、周囲の呻き声に消されるくらい小さな声でルーンを詠唱する。施しを受けた男の身体から力が抜けていき、唸声はやがて静かな吐息へと変わった。
近傍で目の敵とされた魔術だ、目に触れられたくないと思うのは当然だろう。それでも男を助けるのだから、彼女の情け深さには感服せざるを得ない。
「ねえ、見てあれ!」
遠くを指さすメイリア、わずかに揺れて移動するその指の先をたどるとそこには白い何かが崩れた家の前を飛んでいた。
「あれは、白蝶?」
白き飛翔体はよく見ると辺りに何匹も存在しており、倒れた住民や別の機甲隊の身体に止まる。暫くすると彼らもそばの男と同様に苦悶の表情が和らいでいるようだった。
「フミ……」
「数に限りはありますが、ないよりは幾分マシでしょう」
男の治癒を終え黒羽檻を畳んだフミが起立してユキトの傍まで近づき、小声で伝える。あの紙もタダではないだろうに、お人好しも過ぎるとただ見ている側の顔が赤くなってしまう。
「とにかく、緋霄を起こしたやつに心当たりはある。少なくとも刻筆師はそいつと何ら関係はない、それだけは言っとく」
後ろで瞑目したまま
国の中央から巨物が落下したような轟音が鳴り響き、発生した風圧は離れた場所にいるユキトたちの身体をも荒々しく撫であげる。
ここで留まってるわけにもいかない。
「あのっ、さっきはあんな話でしたが、本当はデンちゃんって優しい人なんです。人を傷つけるなんてこと考えてたとは思えませんし、今でも信じられません」
「俺たちだってジョージがそんな奴じゃないってのは承知だ。全部紅夜夢って魔法を使うやつのせい、トロールだって守るべき存在だ。絶対に護ってみせる」
ユキトの言い渡しを受けたメイリアは、不安が少し取り除かれた様子で顔を縦に振る。
「デンちゃんを、みんなをお願いしますっ」
少女の嘆願を承諾すると、ユキトとフミは土煙の上がる城下付近へと駆けだした。
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