第1.5章 転機と再生

第42話 後日、監禁部屋にて

「……ふぅ、食った」


 とある一室、木椅子の背もたれに寄り掛かったユキトは夕食のつまった自身の腹を押さえながら深く息をつく。


「相変わらず食うの早えな。もっと味わって食ってもいいんだぞ、そしたら俺ももっと長くサボれるし」


 小さな丸テーブルを挟んで正面に座る茶髪の衛兵が頬杖をつきながら片手で皿をゆっくりと重ねていく。


「堂々と人をサボるための口実にするな」

「いいじゃねえか。ここ出て皿を調理場に返したらすぐ瓦礫の撤去と石材の運搬が待ってんだ。あぁー、俺だった少しくらいは羽を休める時間が欲しいってもんさ」


 ユキトの目も憚ることなく、軽薄な衛兵は頬杖もずるりと崩してだらしなくテーブルの上に突っ伏す。


 ノルカーガを襲った悪夢から約一週間、ユキトは城内の一室にて拘留されていた。


 拘留といってもメイに囚われていたときほど過酷な環境というわけではない。安いホテルの客室ほどはある洋室に真っ白な羊毛らしきベッド、軽く腹が膨れる程度の食事も度々運ばれてくる。


 自由に日光が浴びられないこと、寝食と壁にかかった誰が描いたかも知らない花の絵をぼんやり眺める以外にやることがないを除けばそれなりの生活が出来ている。


 そんな好待遇ではあるが、それには一応だが理由があった。


「ま、お前も明日の重臣会議でこっち側になるわけだし、俺の気持ちは嫌でもわかるだろうよ」


 茶髪の衛兵が突っ伏したまま皿を銀トレイに乗せると、大きく椅子を引いて背もたれの上部に腕を掛けるようにして雑に座る。


「別に白判定が出るって決まったわけでもないだろ」

「何言ってんだ、落ちてきた鉄柱に刀痕っぽいのがたくさん見つかったんだろ。それにお前が最近降りてきた転生者だってのもはっきりしたんだ、もう決まったようなもんだろ」


 衛兵は手を左右に振ってやや呆れた様子で否定する。


 ノルカーガは転生者の管理を行っており、ユキトがつい最近に転生してきた人間だということもきちんと記録に残っていた。


 そんな転生したばかりの人間が何か目的を持って行動を起こすとは考えられないとのこと、加えて折れた鉄柱や塔の天辺付近から刀痕が見つかったことから最初期の頃からユキトは実質シロとして扱われていた。


 拘留であったにも拘わらず待遇が良いのはそれが理由であり、緋霄が発生する前に指名手配が解かれていたのも同じ理由だった。


 ただ故意であるかどうかはさておいて、ユキトの力が塔の破壊に関わった可能性だけは否定できず、議論の内容もほとんどそれに尽きた。

 結果、お偉方はユキトが暴走したトロールの進行を抑えたという功績も鑑みて、現在行われている国の再建計画に参加することで落としどころを見つけようとしていたのだった。


 要するに懲役ということであるが、他の衛兵と同じく住む家が与えられ、再建後も何かしらの形で雇用してもらえるとのこと。行き倒れ不可避の放浪者としては悪くない条件ではある。それに今は受付嬢メイリアのもとで一時的に預かってもらっているがシオンという少女もいる、安定して暮らせる場所はあって損はない。


「でも、お前って何やらされるんだろうな。その手だと材木も運べねえだろ」


 衛兵はテーブルの下で組まれたユキトの手を顎でさす。


「よくわからん事件に巻き込まれたどころか箸もカトラリーも使えないし、いいとこなしじゃねえか。何でそんな厄介な能力、神に頼んだんだよ」

「俺だって欲しくてこんな能力貰ったわけじゃないっての」


 ユキトは自分の両手を顔の前に持っていって恨めしそうに見つめる。


 最強超人のいない世界を、と望んでこんな能力を与えられるなど微塵も頭の中にはなかった。おかげで毎日手食オンリーである。


 それに、この能力には弱体化の定義や範囲など未だ未知数なことが多い。この一週間で少し試行してもみたが、分かったのは一度触れたものは手を離すまで弱体化は行われないということだけだった。


「ともあれ、この部屋出る前に話せるくらいには元気になったみたいで良かったよ。一週間前は生きてんのか死んでんのか分かんねえ顔してたもんだから、毎度ドアを開けるまでヒヤヒヤしてたもんさ」

「悪かったな、あの時は色々失って気持ちの整理がつくまで時間がかかってたんだ」

「察するさ、今のノルカーガも元お前みたいなので溢れかえってるしな」


 曇った瞳をした衛兵は掌にのせた顎を横にずらして壁へと顔を向ける。


 あの緋霄のもとで命を落とした者は確定しているだけで50万、行方不明者に至ってはその倍は存在する。ユキトだけではない、この国の者にとってもあの事件は多くのものを奪われた悲惨なものであったことは間違いない。


「だからって変なこと起こしてまたここに戻って来ようなんて考えんなよ、れっきとした犯人は地下の牢獄行きだかんな」

「そんなことしないっての」


 冗談っぽい口調に戻った衛兵に目を細めてばかばかしそうに言葉を返すと、彼は白い歯を見せて笑ってみせる。


 ここまで立ち直れたには、彼の軽めな笑顔のおかげもある。それでもユキトの心の奥にはずっと拭いきれないものが残り続けていた。


「どうした、まだ気になることがあるのか?」


 机の上で組んでいる手に視線を落としたユキトに気が付いた衛兵がその顔を覗き込んで問いかける。


「やっぱり、フミは解放されないのか?」

「お前と一緒にいた女の子だっけか。そりゃそうよ、刻筆師なんだから」


 衛兵は片肘をついて至極決まりきったことのような語り口で言い放つ。


「噂で聞いたことはあったが、まさか本当に女の子があの大戦の裏切り者だったなんてな。でもこれで一件落着ってもんだ、なんせ200年も続いてた問題にピリオドだもんな。俺たちもよくわからんものから怯える必要もなくなったわけだ」

「一応、フミもノルカーガを救った人間なんだけどな」

「そんなの刻筆師の定石じゃねぇか。ホント、語り継いでくれた昔の人には頭があがんねぇよ」


 短めな前髪を指で弄る衛兵は視線をそこに集中しながら他人事のように口を開く。


「じゃあ彼女の処遇は依然変わらず、処刑か無期禁固のどっちかなのか」

「それは明日にならないとだな。だが正直上が何考えてんのか分かんねえよ。せっかく何百年も追いかけた極悪人を捕らえたんだから、また何か起こされる前にさっさとやっちまってくれた方が安心できるってもんなんだがな」


 お偉い方も刻筆師が小さな女の子だって知って甘くなったんじゃねえのか、と少し茶化した様子で両手を後頭部にあてる。


「ま、どちらにせよお前が落ち込むことはねえよ。思い入れは強かったかもしれねぇけど今回は相手が悪かった」


 茶髪の衛兵は勢いをつけて立ち上がり、グッと体を伸ばす。


「お前のどうこうで出来ることでもないし、早いこと忘れちまった方が良い。俺たちは明日より先もちゃんと生きていかなきゃならないんだからよ、な?」

「そう、だな」


 ユキトの肩に手をのせて励まそうとする衛兵に顔を向けて軽く頬をあげて笑顔を見せる。


「よし、んじゃそろそろ俺も外の方を手伝いに行くわ。明日、外で会えるのを楽しみにしてるぜ」


 ユキトの表情を確認した衛兵は空き皿の乗った銀トレイを下から片手で持つと、後ろ手に手を振って扉の向こうに消えていった。


「……明日より先、か」


 ユキトは上体だけをベッドの上に預けて薄ベージュの天井を仰ぐ。


 思えば数日前の重臣会議の時から不安を感じていた。


 会議の一通りを終えたユキトは最後に言いたいことはないか尋ねられた。フミの様子は一切知る機会がなかったこともあって、彼は迷わずフミの様子を尋ねた。


 フミはあの日から一度も口を開いていない、驚いたことにそれが答えだった。


 彼女が先代の刻筆師とは別の人間であることは、緋霄下で傷ついた人たちを魔術で治癒したことは、普段から正体を隠して森で人を助けていたことは。


 動揺したユキトが言葉をこぼすほどに目の前の長机に並ぶお歴々からどよめきと怒号が直立したユキトの身に押し寄せた。

 そうしてじわじわと聞きかじった理解が身の内の確信に変わっていった。フミは自分の弁護を行わないことでこの国に遺された怨嗟を一手に請け負おうとしている、彼女はずっとそういう人だったと。


 明日に続く道を善意によって塞ごうとしている、そんな少女がいることを知っていて後の人生をのうのうと暮らすことなんて出来るだろうか。


「悪い、衛兵の人。やっぱり明日は会えそうにないや」


 絶望的な盤面であったとしても諦められるわけがない。


 あの絶望的な晴天の下で誓った言葉を叶わぬものにしないために、二度と約束を違えることのないように。盤を返すような荒い手を取ってでもあの子を、フミを絶対に助けなければ。


 左手をかざして天井を視界から遮る。左手の甲に ᛇ という文字が黒くはっきりと描かれているのが見える。


 掲げた左手を強く握りしめた、その時であった。


「……誰だ?」


 扉から三度、ノックしたような軽い音が部屋に鳴る。


 例の衛兵であればノックもせずにそのまま入ってくる。少なくとも彼ではない。


 ベッドからゆっくり立ち上がり、足音も消して恐る恐る扉へと近づく。

 再びノック音が響く、どうやら無理に押し入ってくる様子もない。であれば向こう側にいるのはおそらく危険な人物でもないはず。


 ユキトはドアノブを肘で慎重に回すと、扉をゆっくりと開けて向こう側の様子を窺う。


「――ユキト殿」


 扉の向こうには、白い騎士服を身に纏った二人の男が立っていた。

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