第40話 最後の砦

「身構えずともよい、主らの身の上は既に把握しておる。その上で主らには危害を与えぬと言っておるのだ」

「なら、その剣は誰に対して振り下ろすつもりなんだよ」

「決まっておろう、そこの哀れな巨人種だ」

「なっ……!」


 ミグノフの返答に顔から色を失うユキト。刻筆師に手を出さないということもだが、何よりもその剣の標的がトロールであることに驚きを隠せない。


 そのとき、ミグノフの構えた剣から光の粒子が溢れ出し、黄金色が剣を包み上げた。


「まさか、あれが眩耀げんよう剣……ッ!」

「間近で見られるとは……」


 周囲の兵士たちの声がより高まる。


「でも、茨は機人の剣も通さないほど堅い。切れない可能性も」

「その可能性は残念ながらありません」


 フミはミグノフの剣を目して、少し震えた声でユキトに答える。


「眩耀剣は対象のみを断つ光剣。対象以外のものに影響はありませんが、逆に言うとどれだけ硬質なものを間に挟もうと意味がないのです。『入口のない塔』の同じ原理ですから」

「そんな……どうしてだよ、トロールは全員無力化した。急いで倒す必要何かないだろ!?」

「そう思うのなら、それは大きな間違いだ」

「間違い――っ!?」


 突然、背後から何重もの咆哮がユキトの鼓膜を叩いた。


 それと同時に地面は大きく揺らぎ始め、地鳴りは一瞬にして轟音と化す。


 振り返ったユキトは再度驚愕に息が詰まる。


 トロールのいる下の石畳は割れ、地表がひどく荒らされる。


 地に根を張っっていた荊は全て崩れ、出来た隙間から巨躯が解き放たれる。


「紅夜夢をかけられた者たちは内なる能力をも発揮する。拳で地を割らずとも元素魔術が使用できるようになることは想定に容易い」

「なら、もしかして他のトロールは……」

「――我が全て手を下した」


 その言葉はユキトの全身から血の気をひかせ、意識を身体の外側に弾いた。


 解放されたトロールの群は皆、呆然とするユキトとフミの方角に顔を向ける。

 そして次の瞬間、彼らは一斉にユキトやミグノフのいる場所へと駆け出した、


「土壁は暴走せし者とアジールを隔てる、アルジズ!」


 トロールの暴走にいち早く反応したフミは魔術によってユキトらと迫るトロールの間に土による巨大な壁を形成した。


 壁はトロールの衝突により大きく振動するが、何とか持ちこたえる。


「……っ」

「フミっ!?」


 すぐ傍で膝を立ててしゃがみ込んだフミ。その表情は苦痛に歪んでおり、額を汗が流れる。


 地についた指先を見ると、肌が非常に透けていることに気が付く。


「まさか、魔力が足りないのか……!」


 一度休みを取ったとはいえ昨日はツァーラートとの激闘があった、その上で城外全体に渡って荊の檻を敷いたのだ。魔力切れを起こしても無理はない。維持するだけでも精一杯の様子だった。


 そうしている間にも壁の衝撃は勢いを増し、一部にはひびが入る。マナが不足しているようで、今にも崩壊が起きようとしている。


「……そうだ!」


 ユキトは土壁を押し返すように背中をつけると、自分の背に意識を集中させる。


「俺の魔力でなんとか……!」


 マナを補給した壁はひび割れを止め、どうにか崩壊を免れる。

 しかしユキトのマナは微弱、ひびを修復するまでには至らない。


「その様子では万策尽きたようだな」

「待って……くれよ」


 光を増す剣を構えるミグノフに、ユキトは話す。


「トロールは術をかけられてるだけなんだ……それさえ解ければ」

「では人間を去絶させるか」

「なっ――!」


 ユキトの説得は思いもよらぬミグノフの主張によって遮られ、二の句を継ぐことが出来ない。


「紅夜夢は被術者の潜在的な意志や欲望によって発現する、故にその欲望を満たさぬ限り術は解けん。トロールの欲は復讐、人間を去絶し尽くすまで終わらぬぞ」

「違う。ジョージたちはそんな」

「ならば奴らを動かすのは一体何だという」

「それは……っ」


 剣を一度下ろしたミグノフは立て続けに言葉を並べ、ユキトは押し黙らされる。


 ジョージたちが人間の復讐など考えていたとは思えない。しかし彼らの意志が何なのかわからなければ紅夜夢を解除することは出来ない。


「どちらにせよこのままでは国民や兵士への被害は増すばかり。ここで全て、食い止めねばならん」

「それでも……友人なんだ……恩人なんだ。見捨てるなんて出来ねえよ……救われない奴を見てられるほど、大人じゃねえんだよ……」

「主らは、まだ幼くても良い。全ては国王である我が受け継ぐ」


 願いを込めた言葉は届かず、ミグノフは剣を持ち直して意志を固めた。


「……っ!」


 赤く染まった城下にて、自身より何倍も広い土壁を背中で懸命に押し続けるユキトは、反対側から容赦なく襲い掛かる荒々しい衝撃に歯を食いしばって耐える。


 背後が揺れるたびに壁の表面から欠片が砕け墜ち、土煙があがる。ユキトも障壁も、崩壊するのは時間の問題であった。


 しかしユキトは決して身体を退かない。

 この壁は希望と絶望を分かつ垣根、背を離して決壊を許せば息まいた者が皆一斉に彼のいる場所へとなだれ込む。


 そうなればもはや手は付けられない、ならば踏みこたえるより他に道はない。


「案ずるな、この一太刀で確実に終わらせよう」


 死力を尽くすユキトに、ミグノフの無慈悲な言葉が告げられる。


 それは彼に与えられた猶予が切れたことを意味していた。


 ミグノフは把持はじする剣の切っ先を上空に向ける。剣身は金色の輝きを放ち始め、無数の光の粒子が赤い空をさすほどの長大な剣を形作る。


「待って……くれよ、頼むから」


 天を穿うが光芒こうぼうはユキトの嘆願を断ち、雲を裂きながら徐々に離れた地面へと接近する。


 口から漏れ出たかすれ声はもはや誰に届くものでも、誰に対するものでもなかった。すべては己の無力さゆえの願望であり、淡く甘い子どもの駄々が同意など得られるはずもない。


 全身を覆うほどに存在する擦傷さっしょうや血臭さ混じった絶えかけの息すら、ユキトの意志を嘲笑うようであった。


「まだ、何も返せてねえんだよ……これで終わりにするわけにはいかねえんだよ……!」


 ユキトは割れた石畳を踏み抜かんほどの力を足に加え続けた。


 しかし彼の体を支配するのはもはや理のない意地。


 打開策を講じるほどに八方はことごとく塞がれていく。今のユキトにはただ悔悟かいごを噛みしめながら、いつ崩れるやも知れぬ壁を全身全霊をかけて支えることしかできなかった。


「英雄は――もはやこれ以上必要ない」


 光芒はすさむ地面を粗略に掻い撫で、瞬く間にユキトへと接近する。


「やめ――」


 無情にも語末は遮られ、光剣が壁とユキトを一閃した。


 その瞬間、濁色した紅天こうてんはユキトらの上空を中心に排され、澄んだ蒼穹が荒廃した国土を覆った。


 青く晴れ渡る空はユキトを絶望の淵へ突き落すには十分すぎる光景だった。


 城の頂で鳴り響く暁鐘ぎょうしょうの音と異世界の影を燦然さんぜんと浄化する陽光に全身が包まれるなか、少年は悟った。


 ――これは全て俺の、杜宮もりみやユキトへの天罰なのだと。

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