第23話 悪夢は去る
「ふたりとも、無事かっ」
地べたに腰付けたメイとミズキのもとまで駆け寄る。
「あたしもミズキも大丈夫よ、体に支障はないと思う」
肩をすくめながら全身を見回すメイ。彼女が黒色骸から受けた攻撃は致命傷に至るほど深くなかったようで、地に沈んだ後も強い圧迫感以外はなかったという。
しかし少し不思議なのは、メイの傷は既に埋まりかけていることだ。骸の指先は掠る以上に当たっていたようだったが、遠くからゆえ見間違えだったのだろうか。
「何はともあれ無事ならよかったよ」
不思議に思いつつもメイたちに向けた体を翻してちょこんと小さく座り込んだもう一人の少女へと歩き出す。
「立てるか?」
「大丈夫です、一人でも立てま……っ!!」
差し出した手を断って自力で立ち上がろうとした黒髪少女が苦悶の表情を浮かべてまた腰を地に落とす。
「おい本当に大丈夫か、あんなとこから落ちたんだから無理するなよ」
「跳躍時のルーンは落下も想定したものでしたから問題ありませんし、無理してもいません」
「そんな様子で言われてもな……」
強がる少女はガクガクの膝立ちを経て何とか立つ。まさに生まれたての小鹿である。
「皆さんご無事で何よりです」
「……一人を除いて、だけどな」
静まり返った森の入口に顔を向ける。目線の先にはイリーシャの遺体とその隣に座りこむメイとミズキがいた。
「この人がわたしたちを助けてくれてたの?」
「うん、ちょっと曖昧な立ち位置だったけど、この子がいなかったらあたしたちが今ここにいることはできなかったわ」
破れた黒羽檻を羽織った黒髪少女とともにメイらの傍に近づく。
悲哀に満ちた顔のメイは虚ろになったイリーシャの目を片手で閉じて、乱れた白服を整えて無残な体を覆う。数か月とはいえ共に過ごした人間、それも一度命を拾ってもらった相手だ。ユキトですら辛いというのだから、その心象は察するに余りある。
「だからこそ、ごめんなさいも泣き言もなし。ありがとうで別れるよ」
胸の前で手を組み、静かに瞑目するメイ。その頬に一滴の雫が静かに流れた。
おしっ、と目を軽くこすったメイは声を上げて勢いよく腰を上げる。切なげに俯いた顔は正面を向き、意を決した表情は陽に照らされる。
「ふたりとも、本当にありがとうね」
「いいって別に。でもすまないな、剣、最後に折れちまった」
根元から折れた長剣を身体の前に出す。握りしめた剣に元のようなずしりとした重みは無く、片手で振り回せるほどであった。
「全然大丈夫だよ、なんてったって今のわたしには頼れるパートナーがいるからさ!」
「もう、調子のいいことばっかり言っちゃって」
ミズキは見上げた先のメイにニコッと笑う。メイも呆れと安堵の入り混じったため息を吐くも柔和な笑顔で頷き返す。
「あたし、もう泣かない、これからはきちんと強く生きていく。強くなってこの森の外へ出るよ、ミズキと夢を叶えるために」
メイは優しくも芯のある声色で話す。
「わたしだって体の調子が戻ったらすぐに特訓して今より強く――っとっと」
自力で立ち上がろうとしたミズキが地面から手を離した瞬間よろめき、メイの身体にもたれかかる。メイは「無理しないの」と彼女の興奮を収めさせる。
「そっちの二人はどうするの?」
「わたしは一度アルフェイムに向かいます、用がありますので」
「それなら俺も連れて行ってもらえないか? そのアルフェイムってとこに用があるんだけど、この森の中を一人歩いて辿り着ける自信がないんだ」
「えぇ……」
「そんな明らか嫌って顔しないでくれよ」
渋い表情を作った少女を見て肩を落とす。白蝶を介して救出を試みたときは顔を出すつもりもなかったのだから、もともと単独行動を好んでいるような子なのだろう。
「仕方ありません、分かりました。ここで別れて亡くなられても後味が悪いですし、先ほども危機を救っていただいたばかりですから」
「恩に着る!」
嘆願の目を向けるユキトに吐息を漏らすも、願いを了承してくれた少女に頭を深々と下げる。何やら手に顎をのせながらボソボソと独り言ちているのは気になるが、これで無事アルフェイムには到着できそうである。
「それなら一つ頼みがあるんだけど、その剣を"インディヴァル"って名前の鍛冶屋に持って行ってくれない? わたしの剣はそこで作ってもらったから一応視てもらいたいんだ。もしかしたらユキトのも作ってもらえるかもよ」
「わかった、任せとけ」
ミズキの頼みを快諾したユキトはメイから剣の鞘を受けとる。剣ほどではないにしても、のしかかる重量はユキトの腕を下におろす。
「それじゃあ、あたしたちはそろそろ行くね」
メイは自身の胴当てを抱いたミズキを華奢な腕で楽々と横抱きにする。
「今度会うときは森の外だな」
「ええ、そうなれるように頑張るわ」
ユキトらに大きく手を振ってみせるミズキとともにメイは森の奥へと消えていった。
「……はぁ」
人が減って静けさの増す草地でため息をつく。
隙間のできた頭と心にイリーシャの存在が入り込む。意地の悪い少女であったがそれ故に親しみがあった、今では本当に彼女の目的はメイたちの脱出だったのではないかとすら思えてくる。
今でも宙に浮いたような感覚に陥るが、いくら悔やんだとて彼女が帰ってくることはない。
「……メイさんだって前を向いたんだし、いつまでも落ち込んではいられないな。俺たちもアルフェイムに――い?」
死を悼んだ後に黒髪少女へと体を向き直したユキト。その瞳にこれまた小さな人影が遠方に映る。
しかし小屋の立っていた跡の近くに存在する人影は黒とは真反対の純白、それでいて遠目ながらどこか既視感のあるひらひらとした服装を着用していた。
その小柄な少女には、見覚えしかなかった。
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