第24話 想定外をはらむ童女

「おい、ちょっと待て」


 ユキトらのいる場所とは反対側に忍び足で歩いていく少女の背後に立ち、背中を縮める彼女の肩を鞘でポンと叩く。


「あらー、バレてしまいましたかー」


 くるっと身を翻して怪訝な顔をしたユキトに目を向ける少女。切り揃った水色の前髪に見紛うことはない、イリーシャ本人である。


「なんで当然のように歩いてんだよ、そんでもって何逃げようとしてんだよ」

「いやーそれにはいろいろと理由があるんですよー」


 顔をしかめるユキトに対し、空笑からわらいをしてイリーシャは茶を濁す。

 小さな身体が肩を揺らすと、山籠もりでもするのかと思うくらい大きなリュックから金属の衝突しあう音が鳴る。


「お前、その棒って格子のやつじゃないか」


 膨れたリュックの口からはみ出す緑青の棒を指さす。それは少し前までユキトを囲っていた絶碧岩へきぜつがんの格子である。


「回収するの苦労したんですよー、上下左右に揺れ動く地下室でうっかり身体に当たらないよう一本ずつ慎重に取ってたんですからー」

「俺らが戦ってる最中ずっと地下にいたのかよ、というかまさかお前の目的って」

「そうですよーずっとこのために頑張ってきたんですからー」


 人の気も知らずに上機嫌で隣を過ぎるイリーシャに開いた口が塞がらなくなる。


 呆然としたユキトには目もくれず、イリーシャは己の横たわった遺体まで歩を進める。彼女はその場で膝を折って、片手で遺体の胴に軽く触れる。


「これもちゃんとわたしですよー、複製品みたいなものですがねー」


 広く長い袖から伸びた指先が触れる仰臥体は光の粒子となって霧散していく。瞬く間に彼女の体は跡形もなく消え去った。


「それなら何か、俺らがお前の偽物を見てあれこれ悼んでる間に、五体満足なお前は一人地下で目的を達成してこっそり逃げようって腹積もりだったのか?」

「そういうことですよー。だって去絶したなんてわたし一言も――いてっ!?」


 口の減らない少女の水色と白のグラデーション頭に真上から肘打ちを喰らわせる。子どもなら泣き喚くほど痛い打撃をくらったイリーシャは、肘をのけた個所を両手で押さえてうずくまる。


「ヒドイじゃないですかーいきなり頭を打つなんてー」

「あー、お前に一発喰らわせるって誓いが果たせて良かった良かった」


 ジンとする肘を拭うように反対の手を添える。全くもって心配損であった、イリーシャのことを買いかぶり過ぎていた自分が恥ずかしい。


「だから言ったじゃないですか、『皆さん無事』って」


 刻筆師の少女もこの状況に一切の疑問を抱いた様子は無く、当然のようにイリ-シャのことを認識する。


「それでわかるわけ無いだろ、てかわかってたなら何でメイさんに教えてくれなかったんだよ」

「そこの彼女は小屋でこちらの様子を窺いながらこっそり隠れていたので、私たちに顔を合わせたくない理由があるのだと思ったからです」

「さすが刻筆師さんー、そういうとこについては察しが良いですねー」


 イリーシャは膝を抱えたままテクテクと小さな体を黒髪少女の方に向ける。


「せめて去絶体かどうか見抜けるくらいじゃないとー、メイさんもまだまだ勉強不足ってことですよー」


 よいしょと立ち上がったイリーシャはじっとできない子どものように体を左右にゆらゆらと揺らす。会話内容を除けば小学生と話している気分だ。


「あなた方は脱出とツァーラート討伐のために頑張ってくれましたからねー、いろいろ合わせて及第点ってところで顔を見せても良かったんですけどー」

「あれだけやってギリギリかよ……そんなもんのために俺たちは戦ったってのに」

「そんなもんとは失礼なー、碧絶岩は途轍もなく希少なものなんですよー!」


 リュックを指さすユキトに顔を突き合わせるイリーシャ。迫る小顔に気圧され、ユキトは顔を後ろにひく。

 その反応にイリーシャはしかめた面を引っ込めて、にやりと口元を吊り上げる。


「そろそろわたしも旅立つとしますかねー、また忙しくもなりますし―」


 イリーシャはリュックの背負い紐を掴んだまま、ついと振り向いて森へと足を向ける。


 再度、静寂に包まれ、ふらふらと足を進めるイリーシャの後ろ姿を呆れ顔で見送るユキト。

 だが彼の脳裏をとある疑問が掠めた瞬間、彼の眉が寄り合う。


「イリーシャ、お前初めから碧絶岩の入手が目的だったんだよな」


 木陰に入ったあたりでイリーシャは上体を捻って顔をユキトに向ける。


「そいつを手に入れるにはツァーラートの束縛から逃れる必要がある、だから俺たちを使っておびき寄せて倒させた。でもそれは、あらかじめ色々と知ってなければ立てられない計画じゃないか。俺ですら知らなかった俺の能力も、刻筆師のように強力な第三者の出現も。全て前提の話だ」


 乱雑だった言葉を口にしながら整えるうちに、ユキトの顔が次第に強張る。


「イリーシャ――お前は何を、どこまで知ってるんだ?」

「さあー、どうでしょうねー。何せわたし、全知で怜悧な女の子ですからー」


 謎めいた笑みを浮かべた少女は答えをボヤかし、正面に顔を向き直した。


「それと一つだけ忠告がー。しばらくの間はノルカーガに行かない方が良いですよーあそこは少々危険になりますからねー。以上ー全知全応イリーシャちゃんからの忠告でしたーではまたー」


 それだけ言い残すとイリーシャは陰惨な森の闇に溶けていった。


「ノルカーガに行かない方がいい?」

「例の機能しなくなった塔のことが関係しているのでしょうか、護りが薄くなるのは事実ですから」

「俺はそもそも器物損壊の大罪人だし、しばらく戻るつもりもないけどな」


 光の鈍った目を明後日の方向に向ける。ようやく日の目を浴びられたというのに、再び監禁される生活に逆戻りなど真っ平御免である。


「とにかく今はアルフェイムに向かうことが先決です。その後のことは各々で考えましょう」

「そうだな、っと、だがその前にぜひとも名前を教えて欲しいんだ、路地裏で助けてもらった時に聞きそびれたから」


 せかせかと歩き出そうとする黒髪少女の前に急いで回り込む。


「……フミ、黒縄院こくじょういんフミです」


 少女は少しだけ間を開けてから己の名を口に出した。


「俺は杜宮ユキト。よろしく、フミ」


 ユキトは気軽に少女へと手をさし出す。だがフミはその手をじっと目したまま微動だにしない。


「あっ、そういや触れたらダメなんだったな」

「別に問題ありませんよ、既に一度触れたではありませんか」


 顔のしわを寄せたユキトはすぐに、フミを黒色骸の海から助け出したときに彼女の手を掴んだことを思い出す。


「特段なにか大きな能力を奪われたようでもありませんし、気に病まないでください」

「そっか、ってなら何で手を伸ばさなかった……んだ?」


 握手を拒否したフミに対し問いただそうとすると、顔の隣を何かが横切る。

 ひらり舞う白色はフミのもとまで飛翔し、体の前で直角に曲げた彼女の人差し指にとまる。


「白蝶じゃないか、なんでいるんだ?」

「あなたを探すために何匹か飛ばしていたのです。地下で見つけた後、すぐに戻そうと思ったのですが、意外と森には迷い人や獣に襲われる人も多いようで。色々とあってようやく戻ってこれた次第です」

「余所でも人助けしてたってのか、器用というか心がでかいというか」


 他にもフミの背後から二匹ほど彼女のもとに帰還すると右腕で張り付くように着地する。

 少女の体でじっとした三匹はゆっくりと織られた紙が開かれるように広がっていき、一枚の紙に戻る。


 フミは宙に舞ったそれらを器用につかみ取った。


「行きましょう、到着前に日が暮れるとよろしくないので」


 回収した正方紙を羽織の内に仕舞ったフミは足早にユキトを追い越す。


 その後ろ姿に気の抜けた返事をしたユキトも急ぎ振り向き、森へと足を進める少女を追った。

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