第22話 vs ツァーラート

ツァーラートを炊きつけたユキトは右横へ飛び出すように駆けだした。


「いいだろう、その膨れた自尊の割れる瞬間が愉しみだ」


 その背後に力を持て余してツァーラートが後を追いかける。男の慢心は骨の隙間から嫌なくらいに透けて見える。


 ユキトは行く手を遮ろうと地から湧き出る黒色骸を長剣で薙ぎ払い、蹴破りながら前進する。


 現状、巨大骸と肉体の間に繋がったものは見当たらない。やはり骸が再生している一瞬にしかパスは現れないようだ。


「それならっ!」


 真っすぐと走っていた体の向きを変えて左へ直角に旋回する。向かう先は、骸の上に伏臥したツァーラートの肉体である。


 肉体がある場所へ無我夢中に駆け抜ける。この調子だと本当にたどり着くことができるかもしれない。


 しかし、そんな安直な思考は容易く打ち砕かれる。


「なっ!!」


 ツァーラートまであと数歩のところで何体もの骸が彼を護るように地面から飛び出しユキトへ襲い掛かる。


 剣を横に振って払い退けようとしたが一部の骸には剣身が届かず、足や腕を失った黒色骸に体の端々を捕縛される。


「攻撃手段に乏しい今の君たちが狙えるのはもはや私の肉体のみ、攻める場所が分かれば例え刻筆師の攻撃だろうと防ぎきることは可能だ」


 ツァーラートの身体が無数の骸のなかへとのみ込まれていく。そして、メイたちと同じく骸だまりの下へと消えてしまった。


「望みは絶ったが、ただ去絶させてしまうには忍びない。折角だ、君も奇跡の体現といこう」


 ツァーラートは罠にかかった獲物のもとにゆっくりと接近する。そして身動きの取れないユキトに向かって手骨を大きく振りかぶった。


「まずは――軽い痛みからっ!」

「っぐぁ!!」


 ユキトの体は纏わりつく骸ごと巨大な手甲に払い飛ばされる。身動きをほとんど取れないユキトは剣を構えることもできず、全身に触れる平手をまともにくらう。身は近くの木まで飛ばされ、幹に背を打ち付ける。


「呻きはいいが恐怖が足りない。君を変えるのは炎の娘と同様、憤怒でなく畏怖だ。自我を失うほどの恐怖が君を奇跡の器たらしめる。そのためには蓄積する痛みが必要だ」


 木に背を預けて立ち上がるユキトの前に、ぬくりと地から一体の黒色骸が起き上がる。骸の手にはツァーラートが持っていた銀棒が握られている。


「風船のように人の身体もマナを多量に取り入れるとその許容量に耐え兼ねて自滅する。君はどうなる、私のように進化を遂げるか、惨めに散るか」


 喜々とした声を出してツァーラートはゆっくりと接近する。


 それより前に、銀棒を手にした黒色骸が木にもたれかかるユキトと対峙する。眼前の骸は今にも腕を振り上げようとしている。だが、ユキトは避けるそぶりも見せない。


 怒りと痛みで脳が揺れる。先ほどの攻撃で頭部に大きな衝撃が伝わったからだろう。全身は痛まない箇所の方が少ない。


 だがそれは全て覚悟の上でくらった一発。この微動だにしない時間も含めて。


「頼んだぞ……刻筆師っ!」


 骸の腕がユキトに対して振り下ろされようとしていた瞬間だった。


 遠方で発破音のような大きな音が鳴り響く。


「な、まさか」


 音に反応したツァーラートが上空に目を上げる。


 そこには高く跳びあがった少女の姿があり、彼女は正方形の紙を両手に掲げ、下へと向けていた。


「あの娘、媒体を失ったはず……っ」

「それがあったんだよ、俺の後ろポケットに丁度2枚。奇跡的にもな」


 ツァーラートが目の前に現れる前、白蝶が紙へと姿を戻したときにミズキが拾った紙をユキトの後ろポケットに入れていたのである。その紙を先の会話の際に少女の手に渡り今に至るのだ。


「あの距離なら下の骸郡もお前も、すぐには彼女を攻撃できないだろ」

「それが狙いか……!」


 骸はその巨大な上体を方向転換させて宙に浮いた少女へ一直線に飛翔する。


「悪鬼、業火にその身を尽くせ、カノ!」


 しかしそれも後の祭り、黒髪少女は記述済みの紙をすでに迫りくる巨大骸へとかざしていた。


「ぐあああぁぁぁあああっっ!!」


 詠唱により紙から粒子砲さながらの巨多の炎が巨大骸を目掛けて放たれる。放出される猛火はユキトの何メートルも上空を横切り、遠く森の地面とともに骸を焼却する。


 巨大な骸の影は火中で削がれていくように姿を失っていく。


 炎の勢いが弱まり消えると少女は足を下にしたまま体勢を崩さず、硬物質が割れる大きな音を響かせて落下した。


 鎮火した後の空には骸の姿はない。しかし、空の色は未だ赤い。


『その機転は称賛に値する。だが、ただ倒したところで意味がないことは既にわかっているだろう』


 地面の骸の群からツァーラートのものらしき声が辺りに響く。


 正しく最終決戦を締めるにふさわしい少女の攻撃であったが、残念ながらまだ関門は残っている。

 ツァーラートを真の意味で倒すには魔力体であるツァーラートの肉体を叩くか現れるパスを断ち切るしか方法はない、いずれを成功させなければ全てが水泡に帰す。


『地下深くにある私の体は攻撃不可、魔力のパスが顕れようともその一瞬を捉える技が君にあるとも思えない。結局、君たちがどれだけ私を倒そうと意味はない』

「いいや、俺に限って言えば大アリだ」


 ユキトは腕を振り上げたまま動きを止めた骸の身体に振れると、軽く木に衝突してもなお堅く握っていた長剣を両手で持ち直す。


「あの子とお前の距離を離すためだけに、わざわざ体張って一発喰らうかっての」

『何だ――これは』


 ツァーラートの戸惑いを含んだ声が鳴る。どうやら異変に気付いたようだ。


「お前の再生速度を低減させた。骸に押さえつけられた時は焦ったし思った以上にダメージは受けたけど、見返りは十分だ」


 上空の巨大骸が燃え尽きた地点から鎖のような物体が出現しており、垂直にダランと地下にまでぶら下がっている。


「回復に時間がかかるならそれだけ鎖の出現時間が伸びる、それなら剣の達人でも無い俺でも攻撃は可能だ!」


 目前の骸への横薙ぎによって道を開けると、勢いよく足を踏み込んで前に走り出す。鎖への道を遮ろうと黒色骸も現れるが、障害になるまでは至らない。再生にはかなりのリソースを注ぐらしく、男本体に施していた防衛ほど機能していない。


「奇跡がどうとか講釈こうしゃく垂れてたが、テメエのそれは奇跡なんかじゃねえっ」


 思い切り足を蹴り上げて前へ跳躍する。目掛けるは垂れ下がった一本の鎖。


「奇跡ってのは、色んな小さいものがかけ合わさって出来た、この一瞬を指すんだよっっ!!」


 長剣を横振りにありったけの力を込めて切りかかる。ピンと張った鎖は想像以上に重い。


 剣からひびの入った音が鳴る、だが決して力を緩めることなく、全身全霊を剣にかけた。


 ガキッ、と金物が外されたような音とともに剣にかかっていた反力が無くなる。


 通り過ぎた背後を見ると、そこには二つに断たれた鎖が浮いていた。


『やはり、あれだけでは不完全な進化に留まったか――』


 男の叫喚が鳴り響き、浮いた鎖がバラバラに砕けて地に落ちる。


 地の砕けた骨は黒色骸の海にのみ込まれるようにして消滅する。


「感情ひとつで奇跡が起こせるんなら、世話ないっての。現実的に考えやがれ」


 そして紅き空は一瞬で元の済んだ青へと、中央から波打つように色を戻した。


「終わった……よな」


 日の当たる地面は草地に戻り、あの忌々しい黒の骸はどこを見渡しても存在しない。


 本当に、紅い夜が明けたのだ。


 大きなため息をついて地面へ倒れこむ。緊張の糸が一気に緩んで、強張っていた全身の力を抜けていく。

 倒れた時、剣のほうから金属が擦れるような音がした。土に頬が触れたまま剣に目をやると、剣身が折れて砕けていることに気が付く。折れた剣の柄を握っていた手で剣を労うように優しく撫でる。


 思い出したように痛みだす上体をゆっくり起こすと、遠くの方にちょこんと座った黒髪少女が目に映る。ビル四、五階ほどの高さから落下してよく無事だったなと感心しつつ、彼女のもとへいこうと腰を上げる。


「何だ?」


 座り込む彼女の背後に人影が見える。目を凝らしてそれが何なのか確かめる。


 その正体は、全て消えたはずの黒色骸だった。


「くそっ、どれだけ往生際が悪いんだよっ!」


 黒色骸の残党はふらふらと身を揺らしながら黒髪少女の後ろに立つ。

 そして、小刻みに震える細い腕は頭より上に振り上げられ、今にも彼女へと振り下ろされようとしていた。少女もユキトみたく緊張が途切れたのか背後の骸に気付いていない。


「刻筆師っ、後ろっ!」


 駆け出すが少女との距離はあまりに遠い。健康体で全力疾走しても骸の身体には届かない、出来たとしても少女を庇えるかどうかというところだ。


 ユキトの声が届き、少女が背後を振り返った。


 その時、視界の端から火の玉が現れ、黒色骸に衝突する。

 炎を受けた骸はその場で崩れ去り、地面に溶けていく。


 炎の出現元をたどって顔を移動させる。


 そこには、座ったまま両手を前に突き出すメイとその腕を支えるミズキの姿があった。

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