第29話 夜半のヴェストリ

 しばらく西へと続く道を歩いていると人影も減り始め、ある境を超えたあたりから人気が完全に無くなった。周囲の光景も温かみのある木造から冷たい印象を放つ石造りが軒を連ねる。


 アルフェイムという森林に囲まれた小国には二つの地区が東西を分かつようにして存在する。一つはエルフが居住する東の村落"アウストリ"、そしてもう一つが西に位置するドワーフの町"ヴェストリ"である。


 現在向かっている鍛冶屋はヴェストリの南側に炉を構えており、そこの鍛冶師は「ヴェストリの鍛冶神」と称されているという。


 ……ということまでがヴェストリに足を踏み入れるまでにフミから区切り区切りに得た情報なのだが、ユキトにはこれまた気掛かりなことが一つだけあった。


「なんでさっきから透明化を使ってるんだ?」


 フミはエヴェリーナたちと離れた後に、数少ない紙を使用して透明化の魔術をかけているのである。


「いいじゃないですか、あなたも透明になれますし」


 フミはユキトの小袖を軽く引きながら微かに聞こえる程度の小声で話す。態度はエヴェリーナの腕のなかに包まれていたときから逆戻り、むしろ前より少し冷たくなっている気さえしてくる。


「まあ俺はノルカーガに追われる身だから仲間と思われたくないってのはわかるけど、こんな閑散とした場所で人目なんか気にしても仕方ないだろ」


 いくつかの家屋から仄かな橙の灯りがわずかに石畳を漏れ出ているが、大半の家は明かりもついておらず耳を澄ませば寝息も聞こえてきそうだ。細くしなった三日月の光がここまで心強く感じるのは初めてである。


「ドワーフは自前の秘具で透明化できるので油断なりません、あと、到着するまで静かにお願いします」


 そうして言葉の戸は再び立てられてしまった。ここまでくると避けを通り越して嫌われているのではと猜疑心さいぎしんが芽生える。


 何かやってしまったのかと顎を摘まんでひとり懊悩おうのうする。

 ユキトは女性経験こそないものの、会話における地雷への嗅覚には恵まれたものがある自負している。一つ一つの回想を鑷子せっしで砂粒を摘まむが如く丁寧に摘出して回れば、何か一つくらい見当があってもよいはず。だが、思い当たる節はなに一つない。


 袖と後ろ髪を同時に引かれるうちに一際強い明りを窓から放つ石屋が目の前に現れた。


 三差路の鋭角に建つ切妻屋根の石屋は他の家よりも一つあたまを抜けて高く、帯に掛けられた石の看板には「インディヴァル剣工房」と記されている。袖を引く力も弱まったということはここで間違いはない。


「私はここで待っていますので」


 案内を終えたフミは軒の下でユキトの袖から手を離す。一緒に入るつもりはない模様。


 視認できなくなったフミから離れると、ユキトは扉の前に立った。


「あのー、誰かいらっしゃいますかー……?」


 観音開きの木扉を片方だけゆっくりと引き、隙間から恐る恐る中の様子を覗き込む。電灯に照らされたかと思うくらい明るい室内に、鍛冶師らしき人影は見受けられない。


「こんな夜半に何用だ、人の小僧」


 しゃがれた声が部屋の中から聞こえてくる。だが声の主らしき者はどこにもいない。


「何をボケーっとしとる、下だ下っ!」

「した?」


 注文通り視線を下に向けると、


「わっ!?」


 ついと二歩後退する。ユキトの足元にはペンギンほどの背丈しかない老人が直立していたのだ。


「人を見るなり腰を抜かすとは礼儀がなっとらんぞ。わしは幽霊か」

「す、すみません」


 往年のネタがかまされた後、お年を召した小人は綿菓子のように白くもっさりとした顎髭を触りながらユキトに説教をたれる。

 ドワーフが小人だと理解していても、実際に見るとその体型の異様さに腰が引ける。真夜中に一人で遭遇しようものなら卒倒する人間がいてもおかしくはない。


「それで小僧、こんな時間に何用だ?」

「知り合いの剣を修繕してもらいたくて来たんです。ここで打ってもらったみたいなんですけど」


 ユキトが鞘から抜いた剣を前に出すと、老ドワーフは事態を把握したように「あぁー」と納得の声を漏らす。


「なんだ、そういうことだったか。いいぞ、入ってこい入ってこい」


 白髭の小人は肩を叩く感覚でユキトの脚をポンポンと平手でたたく。そして身長の何倍もある扉を手押しで開けてユキトを歓迎した。

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