第27話 弓と風

 もと来た道の暗闇から先の尖った物体が飛来し、風切り音をつれてユキトの頬をかすめ取った。


「おい、今後ろから何か飛んできたように見えたぞ、なんだありゃ!?」


 声を荒げて荷台に乗った二人に尋ねるジョージ。フミも先の物体を視認したようで、彼女の表情に凛々しさが戻る。


 飛来物の接近した頬に触れる。頬の薄皮はやや乱雑に切れており、指先が赤く染まる。


「とにかく奴は後ろの方だ、一気にトばすか?」

「いえ、少し待ってください」


 荷車を止めて疾駆の態勢に入るジョージをフミが呼び止める。


 制止した声の数瞬の後、今度は左右を塞ぐ木々の葉の隙間から飛来する。強襲物は直進することなく、ユキトとフミの間を弧を描くような軌道で反対側の葉中に消えていく。


「横の方にもいる上に、軌道を曲げることもできるのか……!」


 輝かしかった夕焼けは不気味な夕闇へと変貌する。周囲は葉のひしめき合う音で埋め尽くされ、次々と様々な方向から放たれた鋭利が荷車に接近、葉の間に消えていく。


「ジョージ、あれを掴むことはできそうですか?」

「ちょっと集中はいるが、難しいことはねえ」

「これを持って包むように飛来物を掴んで欲しいのです」


 フミは白蝶の回収できた分の紙にルーンを記し、飛来物を目で追いかけ続けるジョージへ急いで渡す。


「あれには何かしらの能力が加えられています、出来る限りその紙の部分で掴んで手を守ってください」

「一気に難易度上がるな、まあ任せろっ!」


 上向けた掌に紙をのせて、ジョージは飛び交う矢を目で追う。


「次、おそらく右の方角から飛来します」


 フミの言葉を聞き得れたはジョージは右側に意識を向ける。だが矢を放つ相手に覚られぬよう身体は前を向き続ける。


 一時の静寂が荷車を包む。


 葉のざわめきは、右手に鳴った。


「彼の者の御手は加護を纏う、スリザス!」

「よっ!!」


 ジョージは上体を捻り、手を伸ばすと見事に飛翔物をとらえてみせる。自立した物体は手中でしばらく暴れ狂うと、観念したように動かなくなった。

 同時に襲撃もぴたりと止む。


「ただの矢みてえだが、おっ?」


 ジョージが手に顔を近づけて瞠目どうもくし、ユキトとフミも紙を覗き込む。紙は裂かれていないものの、矢の進む方向と平行に擦り痕が荒々しくついていた。


「あの矢に纏って操作しているのは風、それも見た限り繊細かつ洗練されたマナの流動、正体はおそらく風系の元素魔術です」

「"弓と風"か。矢が見えた時点でそんな気はしてたが、これで確定だな」


「お見事でございます」


 行く手から冷めた女性の声が聞こえ、弓を両手に抱えた茶髪の少女が荷車へと歩いて接近する。


「やはりエルフでしたか」


 薄緑と白を基調とした薄めの服装に特徴的な長くとがった耳。確かにその風貌はエルフに対してユキトが持つ印象とかなり近しいものである。


わたくしはアウストリ担当の門守かどもり。現在、アルフェイムには安全確保のため入域規制がかかっております。そのため住民および発行手形をお持ちの方以外は入域を断らせていただいております。あなた方はそのどちらでもないご様子ですのでこれ以上の侵入は許可いたしかねます」


 エルフの少女は淡々とした語り口調で濃紫の直視をユキトらに刺す。


「お待ちください、私にはエヴェリーナという知人がアウストリにいます。その方に連絡していただければ私が危険な人間でないことを証明してくれます。それでもいけませんか」

「なりません、例え知人であったとしても住人か手形を持つ方以外を通すわけにはいきません。ご理解いただけたのであればお帰りください、ご理解いただけないのであれば次は警戒の矢ではすみませんよ」


 背負った矢筒から矢を抜き取ったエルフは一瞬の所作で弓を構える。羽根は奇妙なはためきを見せ、つるはピンと張り詰める。


「引き返さないのであれば敵性ありとみなします、よろしいですね」

「えらく頑固で攻撃的な守衛だな……!」


 時を移さず荷車から飛び降りて姿勢を下げ臨戦態勢をとる。しかし状況は非常に厳しい。


 フミは魔術に使用する紙が少なく魔術の多用は不可能。ジョージは体格からして剛の者だがエルフは弓矢を用いる魔術師、相性の良い相手ではないだろう。ユキトの非力さに関しては明々白々だ。


 何より相手はただの守衛。意固地といえ悪事を働いていない人に対しては出来る限り穏便に事を済ませたい。


「退却いたしませんか、仕方ありません。それでは一撃――ひゃっ!」

「ひゃ?」


 剣呑とした場に突然、嬌声きょうせいが響く。


 弓をつがえていた茶髪エルフは体を一瞬震えさせる。よくよく見ると、自身のうなじを手で押さえている。


「駄目でしょファイちゃん、敵でもない人に襲い掛かっちゃったら」


 弓を下ろしたエルフの後ろから別の女性の声が聞こえる。茶髪エルフの背後にはもう一人、大らかな雰囲気をまとう金髪のエルフが現れた。


「エヴェリーナ?」

「あっ、やっぱりいた!」


 金髪の朗らかそうな女性は茶髪エルフを後ろにつれて荷車で膝立ちになったフミに近づく。ウェーブした長い金髪はとても美しく、大きなたれ目は彼女のおおらかさを助長している。どうやら彼女がフミの話した知人らしい。


「そろそろ一か月過ぎるから、来るなら今日くらいかなって見に来たのよ」


 金髪エルフが荷車から降りたフミの頭をギュッと胸に抱き寄せる。


「よろしいのですか、その方々はアルフェイムの住人でも手形持ちでもないのですよ?」

「フミちゃんは私にとって娘みたいな子だからいいの! そもそも外部の人でも住民の許可が出たなら入れてもいいはずでしょう?」

「良いですが嫌です、それが原因で何か問題が起きたら多少なりとも私の所為になるではありませんか。危険の芽は育つ前に摘み取るべきです、私責任など絶対に負いたくありませんので」


 終始、真面目な表情を崩すことなく淡々と己の保身に走る門守エルフ。許可が出ているのにつっ返す方が問題ではないのか。


「まあまあ、そのときは先輩として私が責任を取るから」

「それなら問題ありませんけど」

「いいのかよ、もうちょい使命感持てよ守衛」


 こんな利己主義なエルフが門守でアルフェイムは本当に大丈夫なのか他人ごとながら心配になる。リズに存在する国はどうしてこうも不適合者ばかり雇用しているのだろうか。


「ま、よくわからないが解決したみたいで良かったな!」


 勝手に杞憂するユキトとは反対に、少女らの会話する様子を見て歯を見せて頷くジョージ。相変わらず良い人感が満ち満ちている。


「ここからアルフェイムはすぐそこだし、オレの役目もここまでだな」

「乗せていただきありがとうございました。お礼と言っては何ですが」


 フミは抱き着かれたまま懐から小紙を取り出し、ジョージの大きな体の前に差し出す。灰色の小紙には端の方に数字が記述されている、あれがいわゆるガルとやらなのだろう。相場はわからないがとにかく額としてはそれなりに大きそうだ。


「別に運賃なんか取らねえよ。今回は帰るついでに乗せてっただけだし、うちもそれほど金に困ってるわけじゃねえから」

「それならこれでシオンに何か買ってあげてください」


 紙幣だろうものは断る大きな手と突き出す小さな手に挟まれて湾曲する。


「そういうことならありがたくもらうとするが、にしても通常運賃の二倍ってのは多くないか?」

「大丈夫です、半分はユキトさんの分なので」

「えっ、そうなのか!?」


 押し返していた手のひらを上に向けて折れかけていた紙幣を受け取るジョージ。その横で、目の開いた顔をフミに向ける。


「返済しろなんて言いませんよ、あなたはガルなんて持っていないでしょうし」

「いやさすがにそういうわけにはいかないっていうか」

「そうです、他人に肩代わりしてもらおうなど以ての外です。己の尻拭いくらい己でやるべきです」

「自分の責任ぶん投げる奴だけには言われたくないけど!」


 こんな年端も行かぬ少女におごられたとあっては男の名が廃る、しかしユキトの懐には一銭も入っていないことも事実。せめて何か代わりになるものはないかとユキトは頭を回転させる。


「何かひとつ頼み聞くっていうのは? 身の丈以上のことはできないけど、承諾したことに関してはきちんと守るってことで」

「おう、だが今は特に思いつかねえから今度会った時とかでいいか?」

「もちろん!」

「じゃあ、それで頼んだ!」


 ジョージはユキトが上に差した人差し指を軽く握って提案にのった。


「身の丈に合う頼みが存在しないかもしれないので、先の半額は前払いということにしておいてください」

「よく思いつきましたね、新手の詐欺か何かですか?」

「……少しは信用してくれよ」


 一切ユキトのことを信用していない少女二人に肩を落とす。フミはまだしもこの門守エルフはからかいの目をしている分、余計に立腹してやまない。


「そんじゃあ期待してるぜ、ユキト! フミも貰った分はちゃんと脚で返すからな!」


 親指を立てて見せるジョージにユキトは同じく親指を立て、フミは軽くお辞儀をする。そして巨体は空になった荷車をつれ、猛スピードで森の中を駆け抜けていった。


「私たちもアルフェイムに行きましょうか」


 ジョージの姿が見えなくなると、ユキトらは金髪のエルフを先頭に石畳の上を歩いてアルフェイムへと足を進めた。

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