第26話 続、異世界人力車に揺られ

「うっ……えふっ……」


 四つん這いになり目を見開いて、荷車の床を意味もなく眺め続ける。正確に言うと意識がほとんど宙に浮いているためただ目をかっぴらいているだけである。


「ふたりとも大丈夫か?」

「んなわけあるか!」


 大きく速度を落としたジョージはのんきに荷車を進ませる。地下で食したものとの再会が避けられそうなのは不幸中の幸いだが、走行中は体にかかる圧でいつ首が後ろに持っていかれると怯えていた。明らかに生身の人間に直接かかっていいGではない。


 息も絶え絶えの中、傍目にフミの様子を窺う。


 彼女も荷車の隅っこで三角座りをして、プルプル震える両手で口もとを押さえている。ユキトと同様に見開いた目にはうっすらと涙がにじんでいる。

 さしもの戦闘少女もこの暴走車には耐性がついていないらしい。


「すみません……ほんの少しお時間を……っ!」


 ダムの決壊を寸前にしたフミが転がるように荷車から下車し、小走りに遠くの草むらへと向かう。この世界、体内構造は魔力というのにしっかり吐くものは吐くらしい。


「てかジョージ、名刺があるなら呼び出し方くらい書いといてくれよ。フミがいなかったら絶対わからなかったぞ」


 悪心おしんの止まったユキトはハンドルを下ろして荷車の板に軽く腰をつけるジョージに話かける。


「実は呼出とは逆側の余白を押すと音声が流れるようになっててよ、それを聞けばわかるって仕掛けになってんだ。誰かがうっかり落として、いたずらで呼ばれても困るしよ」

「あの呼び出し方がわからない奴が音声流せるわけないだろ……」


 名刺を取り出し、右側の余白に指を置いて少し念じると先と同じく押した部分から紫紺の光が微かに放たれ、ジョージのものと思しき声が説明を始める。まぐれでも起きない限り、まず流れはしなかっただろう。


「にしても、ジョージとフミと知り合いだったなんてな。異世界もおもったより狭いんだな」

「友人というか、俺からしたら娘みたいなもんだ。言っても俺がこの世界に来たのが六年ちょっと前、フミと出会ったのはそこから一年痕のことだから、長い付き合いってわけではないがな」


 両腕を組むジョージは仰ぎ見ていた顔を荷台のユキトへと向ける。


「思ったよりこの世界での生活は長くないんだな、知ってることが多かったからもっと昔から生きてるのかと思ってた」

「ステラが種々の知識を持っててな、オレはそれを少しばかり教わったってだけだ」


 鼻の下を伸ばして妻であろう人とののろけ話に興じるジョージ。この美女と野獣は何の経緯いきさつで付き合うまでに至ったのかと、眉をひそめて名刺の写真に目を落とす。


「でもユキト、お前こそよくフミと知り合いになれたな」

「事情があって危ないところを助けてもらったんだ。明日には赤の他人らしいけど」

「なるほど、フミらしいな」


 ジョージは車体後方部の縁にぐでっともたれ掛かったユキトから目を外して、短く笑い声をあげる。


「あの子はやっぱりあんま人と接しない方なのか?」

「そうだ、自慢じゃねえがアルフェイムの外を一緒に歩けるのはオレくらいなもんだぜ。まあなんだ、ようは"類は友を呼ぶ"ってやつだよ」

「アンタとフミに共通点があるようには見えないけどなあ」


 体の大きさから性格まで違いしか見られないと思いつつ、巨体に目を向けたユキトは軽く首を傾ける。


「すみません……お待たせしました……」


 無事に一山超えることのできた少女が千鳥足で戻ってくる。荷車は目から光が失われた少女をのせて再び車輪を回す。


「ここはどこくらいの地点なんだ?」

「あと数分でアルフェイムの入り口ってところだ、日が落ちる前には余裕で着くぞ」

「本当に速いな」


 暴走していたときは時間が地獄のように長く感じたが、空に浮かぶ太陽の位置は先とほとんど変わっていない。一時間以上かかるところを十分弱に短縮したということは、本当に車くらいの速度で走ってたことである。改めて考えると身が震えてくる。


 そんなことを思ううちに、荷車は石が敷き詰められた道に合流する。この石道を進めばアルフェイムの東口に辿り着くという。


「あと少しか……」


 電車に乗った子供のようにもたれていた縁を掴んで、土の轍が残る整備された街道を眺める。


 リズに降り立ってからというもの、文字通り死ぬほど壮絶な出来事しかなかった。ようやく息のつける場所に辿り着けそうとわかると、すっと肩の力が抜ける。


 その、気の抜いた一瞬間だった。


 ユキトの頬を尖物が掠めたのは。

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