第20話 刻筆師、現る

「刻筆師の娘か」


 ツァーラートは踵を返して黒羽檻の少女に目を向ける。


「その方々を解放してください」

「そんな勿体ないことをするつもりはない、君も魔術師なら力で示してみたらどうだ」


 地中から何十もの黒色骸の群れが呼び出され、間髪入れずに刻筆師と呼ばれる少女へ走り出す。

 すると少女は黒羽織の内側から正方形の紙を取り出し、所持する筆で即座に何か書き入れる。


氷柱つららは蓮を想いて瓦解する、イサハガラズ


 黒羽檻の少女が唱えると彼女の上空に先の鋭い氷塊が形作られ、迫りくる黒骸に放たれる。氷塊と衝突した骸は氷諸共砕け散る。

 単独で真後から襲い掛かった黒骸にも、あらかじめ用意していた紙を無詠唱のままかざすだけで火炎が発生し、骨を粉砕した。


「っ――!!」


 骸の出現は留まらず、突如として地面から少女を取り囲むように多くの黒骸が突出、土を巻き込んで彼女を強襲する。


「砦は主を囲いて自壊する、スリザスライドハガラズ


 黒羽織の少女が隆起した地に包まれ、全方位からの攻撃を土壁が阻む。壁は数瞬後、外側の黒骸に向かって破裂したように土塊を浴びせた。


 あの少女は戦闘に慣れている、素人目にもそのことは容易に察せられる手際の良さであった。


「さすがは刻筆師、ルーンの力は伊達でないな」


 すべての攻撃をいなされてもなおツァーラートは余裕を崩すことはない。


「気味の悪い骸を生成する程度の野良魔法に遅れなどとりません」

「この力ではまだ劣るか、やはり使わねばなるまいな」


 不敵な笑みを浮かべたツァーラートが懐から中指ほどの細い銀棒を取り出す。


「必要魔力量の銀棒四つは既に確保済み、これは余剰分だ。まさかここまで早い使用は想定外だったが、致し方ない」


 男は銀棒の半分が顔を出すよう握りしめ、拳を頭の近くまで振り上げる。


「導き手よ、再び私に奇跡の加護を――!」


 拳を己の胸に下ろして銀棒を深々と突き刺したツァーラート。突き刺した胴からは碧絶岩を触れたときに発生した稲光が発される。苦痛に耐える雄叫びが狭い庭地に響き渡ると、上空が紅黎あかぐろく濁り始める。


「部分的とはいえ緋霄ひしょうを誘起するとは、いったいどれ程の魔力をため込んだのか、考えたくもありませんね」

「進化には犠牲が伴う……望ましい方法ではないがね」


 紅天の下、指間に肉が浮き出るほど強く腕を握って己の身体を抱くツァーラートの背中から半身の黒色骸がぬるりと抜き出てくる。

 男の何倍もある骸はその図体に反して軽々と浮遊する。見えない圧が身体を波打つ。周りの空気が皮膚を抜けて心臓の一点を圧迫する。


「さあ、再開だ」


 骸の内側を反響したような重低音が声を作り出す。

 ツァーラートの体は魂が抜けたように地に伏している。今はあの巨大な骸が本体という解釈で良いのだろう。


 巨大な骸は想像を絶する速度で黒髪少女に急接近、大きく振り回した手骨から逃れようと少女は行く手を阻む大量の黒骸を破壊しながら跳躍する。時折追従する巨大骸に攻撃を仕掛けるが、一部箇所が破損するだけでその痕もすぐに埋められる。


「っ!」


 黒羽檻の少女は逃走を続けるも徐々に距離を詰められ、ついに巨大な手に捕縛されてしまう。


 巨大骸は少女を捕まえた手を髑髏どくろの前に近づけて、穴の開いた底深い両眼でしげしげと彼女の顔を見つめる。長くとがった指骨の先端がか細い少女の身体へ徐々に食い込んでいく。それでも少女は暴れることなくじっと髑髏に視線を据える。


「刻筆師と言えど所詮は娘、君も十分に進化の対象だ。怒りは痛みで補え、このままゆっくりと圧される責苦で目覚めるのだ」


 少女の身をさらに締め上げようともう一方の手を添える。


老獪ろうかい朽ちては塵と化せ、ベルカナハガラズ


 詠唱した少女は指骨の間から手を出して巨大骸の手に紙を張り付けた。

 紙に記された文字は煌々と光り出すと、巨大骸の体は手骨からみるみるうちに粉塵となって散っていく。


「これは――」

「あなたに進歩を促せるほど、この魔術はやわではありません」


 重々しい断末魔すら消滅によって途切れ、残響が赤暗い世界にこだまする。少女は澄ました顔のまま足を曲げて着地する。


「ご無事ですか、みなさん」


 黒羽檻の少女は何事もなかったかのようにゆっくりと歩いて座り込んだユキトに近寄る。


「終わったのか……?」


 ユキトの問いにやや気だるげに首を縦に振る少女。圧倒的な結果に宙に浮いたままだった意識がだんだんと体に戻ってくる。


「白蝶を介して話してた人、だよな。只者じゃないとは思ってたけどここまで強いとはな」

「相手の方が非力だっただけです。緋霄は初見なのでどれ程の相手かと思いましたが、とんだ拍子抜けでした」

「初めてって割には落ち着きすぎだろ」

「全くもって同感です、これなら初めてはもっと別の人の方が良かったです」

「お前、もう少し言い方だな……」


 注意を促すユキトに首を捻って頭上にはてなを浮かべる少女。彼女の純な瞳を見ていると、むしろ卑しい思考に至った自分に羞恥を覚える。

 無垢な少女から目をそらすようにメイたちのほうへ視線を向ける。ミズキは膝を立てて座るメイに寄り添っている。ミズキに目立った外傷はなく、負傷を受けたメイも命に別条はないと見られる。


「にしてもこの辺の空だけ真赤だな、何なんだこれ」

「緋霄というリズ特有の現象です。私も文献でしか見たことはありませんが、誘起した源が断たれるとそのうちもとに戻るそうです」


 呆気ない幕切れに気持ちと脳の整理が追い付かないユキトは相槌をうち、紅天を見上げようと後ろの地面に両手をつく。

 そのとき、片方の手に接触した部分が妙にグラついたような感触がした。

 押し込むような、回転してズレるような固く奇妙な感覚。


 不意に手元へ視線が映る。


「なっ!?」


 気味の悪さに突然手を引っ込めて双眸が見開く。


 ユキトの手の置いていた場所には、草と土に埋もれた黒い髑髏どくろがユキトを凝視していた。


「――っ!?」


 物が裂かれる音が耳に入り、顔を前に向け直すと少女の背が大きく仰け反っていた。彼女は倒れないよう踏ん張った片足で体を返しつつ、ユキトの傍まで跳んで後退する。


 苦悶の表情を浮かべる彼女の背中には大きな獣の爪痕のような傷が出来ていた。


「緋霄が晴れぬうちに気を抜くとは。やはり浅いな、娘」


 少女が先ほどまで立っていた場所には、塵となって霧散したはずの巨大な骸が姿を取り戻していた。

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