大平 遼太郎 8
一定間隔に小さな電灯が設置してあるのみの登山道。花火の音は聞こえるがその光が地面に届くことはなく、もちろん懐中電灯のようなものも持っていない。だけど俺は闇に足を取られることなく山道を駆け登ることができていた。前を行く
これも龍の力? それとも彼女の?
そんな疑問が頭に浮かんだものの、消えた
だけど不意に、俺とは違い息切れを感じさせない様子で、彼女が口を開く。
「この道、綺麗になっているのが分かりますか?」
「……ええ」
走りながらなんとか呼吸を整え返事をする。
確かに、見える範囲だけだが、彼女の言うように以前よりも整備されている様が道中に見て取れた。
転落防止用のロープ柵、要所要所に付けられた危険周知のための看板や目印、思えば電灯もあの頃には無かった、道自体も歩きやすくなっている気がする。
「あのあと、ここは随分整備されたんです。今も町の人の手によって定期的に点検や補修がされています。もう二度と不幸な事故が起きないように」
「そう、ですか」
「町も変わって行きます。事故も、何もかもを乗り越えて。けれどそれは決して忘れてしまうと言うことではありません。むしろその出来事さえ己の糧として、新しい自分へと成長していこうとしているのです。そしてそれは遥さんも同じです」
「遥も?」
「はい。遥さんは自分で過去を知ることを選び、受け止め、龍としての運命さえも受け入れて、今飛び立とうとしているんです。そのために、あなたに忘れていいとまで言って、未練を断ち切って」
遥の手の震えに感じたもの。迷い、未練。しかしそれを改めて考え想った時、言葉を零してしまったのは弱い自分だった。
「……俺は、どうしたらいいでしょうか?」
その発言に一ノ瀬さんは叫び答える。
「そんなこと自分で考えなさい!」
けれどすぐあと彼女は、すみません、と謝り言葉を続けた。
「私は、遥さんの背中を押してあげたいんです。もう変えることのできない運命であるなら、少しでも彼女の負担を軽くしてあげたい、心残りの無いようにしてあげたいと思っているんです。でも、あんな一方的な別れ方をしてほしかった訳ではないんです。だから……」
彼女はそこで黙って続きを言わなかった。
けれど本当は言われなくても分かっていた。
遥の負担、未練、それは俺のことなのだろう。
俺にとっての遥は間違いなくかけがえのない、今でも忘れられない、忘れたくない大切な存在だ。そしてきっと、自惚れや勘違いではなく遥にとっての俺もそうなのだ。だから失くした記憶を探してまで遥は会いに来てくれた。
なのに最後に見た俺が、こんなに後ろ向きで情けない駄目な奴じゃ、心配させ不安な気持ちを与えてしまうだろう。もしかしたら自分のせいだと思わせてしまうかも知れない。そうなったら会ったことを後悔させてしまうかも知れない。
「一ノ瀬さん、すみませんでした。分かっているんです、自分でも。前を向いて変わらなくてはいけないこと。きっとそう望んでくれる遥のためにも。それに俺も、遥の未練のままでいたくない。これが変えられない運命であるなら遥が安心して行けるようにしてやりたい。遥が悔いを残さないように。それと俺自身も、もう後悔しないように」
これが最後なのだから。
「……急ぎますよ」
「はい」
二度と足をとられないように、決して動けなくならないように、慎重に、だけど取り残されないように必死で、俺は残る山道を駆け登った。
立ち止まり呼吸を鎮める。灯籠の火だけが人口の光源として石階段を闇の中に浮かび上がらせている。うるさい心臓に慣れれば耳に入るのは騒めく木々の音だけ。花火は終わったのかその音はもう聞こえない。暗く静かな夜の山中。
「この先です、手を」
差し出された掌。下を向いていた顔を上げ目の前の一ノ瀬さんの姿を見る。こんな状況のせいか改めて思ってしまう。
不思議な人だ。
帽子はピンで留めているのか腰のあたり、いつの間に整えたのか着物に目立った乱れはなく、一方髪は少し乱れている。まだ余裕が見えるほどの体力が秘められた小柄な体。何より眼鏡の奥の迷いの無い真っ直ぐな瞳。
どうしてなのだろうか、その瞳の光を見ると確信させられてしまう。彼女に導かれて行けば何かがあるのだと、そこに遥がいるのだと。
俺と遥、それと龍の町、そこに突然現れた
けれど今はそんなことを考える時ではない。余計な迷いはもういらない。
俺は深めに呼吸をして彼女の手を取り歩き出した。
一段一段最後の階段を登る。少しして見えてきたのは鳥居とその向こうの景色。黒い濃淡を感じるだけの夜の光景。ご神体の形は分かったがそれ以外には何かがあるようには見えない。なのに近付くにつれ否応なく緊張は高まる。目の前の巨大な闇や未知のものに対する恐怖さえも様々な感情と合わさって心臓を叩く。
変化が生じたのは鳥居を潜った時だった。
何か別の空間に入り込んだような、見えない温度の壁を越えたような、そんな感覚を肌に覚えた瞬間、目に映る景色が変わったのだ。
まるであのポスターの絵の中に入ってしまったかのようだった。
暗かった広場は明るく、空は夕焼けのグラデーション、足元には一面にピンク色の
一ノ瀬さんを一瞥して彼女が頷くのを確認し、俺は繋いだ手を離して歩き出した。
一歩づつ、そこにいる大切な存在に向かって。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます