大平 遼太郎 1
子供会とかそう言う地域の集まりだったと思う、商店街の花壇の整備を手伝った帰り道、一緒に参加していた友達とも別れて川辺の道を一人で歩いていた。
真夏の暑さを思い出したように急に気温が上がった日で、商店街からの差し入れの袋を持つ手が汗ばんでいるのを感じながら、強い日差しが川面に反射して輝いているのを横目に見ていた。
不意に視線を奪われたのは川にかかる歩行者用の橋を渡り始めた時だ。進行方向の先、橋の中央付近、麦わら帽子を被った女の子が一人川を見ながら立っていた。
可愛いとか綺麗だとかそう言った印象を受けたのではない。ただその横顔から目が離せなくなった。ずっと探していた一瞬が目の前に現れたかのようだった。
だけど子供の自分にはどうすることもできず、もちろん足を止めることなどなく、訳も分からず高鳴るばかりの鼓動を押し殺すみたいにして彼女の横を通り過ぎた。
小さな悲鳴のような彼女の声を聞いたのはもうすぐ橋を渡り切ってしまうと思った矢先だった。
振り向くと風に遊ばれこちらに向かってくる麦わら帽子。
反射的に受け止め前を向くと彼女もこちらを見ていて目が合った気がした。
咄嗟に俯いてしまった。
それから受け取りにきた彼女に帽子を渡している時、彼女がなんて言っていたか、自分が何を言ったか、それは良く覚えていないのだけれど、ただ何か、普通の受け答え以外に何かを言わなくちゃと、彼女の服の赤と白に何度も視線を落としながらそんなことばかり考えていたのを覚えている。
それで結局俺がしたことと言えば、どうしてそうなったのか、饅頭を差し出すことだった。
手に提げていたビニール袋から、差し入れに貰った饅頭を取り出し彼女に渡したのだった。
きっと戸惑ったに違いない。もしかしたら気持ち悪いと思ったかもしれない。
彼女がどんな顔をしていたかは目にしていない、けれど自分がしたことでほとんどパニックになってその場から逃げ出そうとした時、彼女の声がした。
「ドラ饅だ」
思わず顔を上げ聞き返した俺に彼女は言った。
「ドラゴン饅頭で、ドラ饅。くれるの? ありがとう」
彼女は笑った。
さっきまで花壇の整備をしていたせいだろうか、それとも服の色を見ていたせいだろうか、咲いた彼女の笑顔を見て思ってしまった。
転校してくる前の年の秋、親戚の家に遊びにきていた彼女、これが俺と
また作業の手が止まっていた。
ソースコードの並んだ画面をそのままに、空になっていたマグカップを持って席を立つ。
単身者用のあまり広くない部屋だ、余計な物がないだけだが机の周り以外は大して散らかってはいない。仕事とプライベートの線引きなどほとんどなく、生活の大半はこの部屋で完結してしまう。会社を辞めてフリーになってからは人付き合いも必要最低限なものだけで人に会う機会も減った。当時付き合っていた女性がこの部屋にくることももうない。
だから、という側面もあるのかもしれない。こんな薄暗い部屋で一人で居ればどうしても物思いにふける時間は増えてしまう。
キッチンでマグカップにコーヒーを注いで机に戻った。
積み重なった本の上に置いたままになっていた封筒が目に入り手に取る。
差出人の名前を見て、またあの頃を思い返そうとしてしまう。
あの頃。
しかしその言葉が浮かんだ時、自嘲気味に笑いがこぼれて回想の足を止めた。
あの頃か。
平然とそう思うようになってしまったのはいつからなのだろうか。
風化していく想いから目を逸らしたくて、塞がりつつある傷を認めたくなくて、あの町を出たはずだった。
けれどあんなに繰り返した日々の記憶も、すぐそばにあったはずの想いも時間は遠く離れた過去に変えてしまった。
いつの間にかあの頃の全てはフレームに収めた懐かしい景色のように変わっていて、自分さえも、それを目を細め眺められるような、そんな風に変えようとしていた。
だけどそのことに気が付いた時、これでいいのだろうかと、あがくようにそう思っている自分がいることにも気が付いた。
細い糸を辿って色褪せない悲しみを見つけて、その中に沈んでいけばどこか安心してしまう自分がいることに気が付いた。
時間のままに進むべきだ、きっと変わるべきだ、いつまでも囚われたままではいけない、分かってはいるはずなのにあの頃に残したままの想いが停滞を望んで心が不具合を起こしている。
一体いつまでこのままでいるつもりなのだろうか。そう思うこともある、けれど何かが変わるきっかけなんて、過ぎてしまったあの頃の想いを浄化することなんて簡単にできるわけがない。重ねる月日の中でそれも実感していた。
手に取った封筒を開けることなくまた元の場所に戻そうとした時電話が鳴った。
携帯の画面には封筒の差出人と同じ名前が表示されていた。数日前に何年かぶりに話をした幼馴染の名前。
『
「ああ、どうしたんだ? また」
『ちょっとな。それよりお前今何処にいるんだ?』
「何処って、自分の部屋だけど」
『はあ!? ああ、いや、いいんだ、そうか。あの絵は見たんだよな』
「絵? ああ、悪いまだ見てない」
『見てない? まだ見てないのか?』
「ああ、ちょっと忙しくてな」
『今見ろ、すぐに』
「今?」
『ああ、頼む』
携帯を机の上において封筒を開け、中に入っていたメモリーカードをカードリーダーに差し込んで読み込む。
『お前ならその絵の意味が分かるんだろ? その上でどうするか判断しろ』
読み込んだデータを開く。
『俺の勘違いならいいんだ。だけどもしもそうじゃなかったらきっと後悔する。俺もそんな後悔をもうしたくない』
ディスプレイいっぱいに画像が表示され、目の前に絵が広がった。忘れることなどできない、俺と遥しか知らない、彼女が描くはずだったポスターの絵が。
『これは馬鹿げた話かもしれない。俺の話なんか信じなくてもいい。だけどその絵を見て自分で判断して欲しい。もしかしたら、お前がずっと待っていた人に、遥に、会えるかもしれない。いいか、今日だぞ、
机の上の携帯からは変わらず
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