宮下 遥 16

遼太郎りょうたろう君に会いたい」


 記憶を取り戻して新たに生まれた私の願い。だけど結論から言えばその願いの行方は彼の判断に委ねることにした。

 一時は感情的になって願いを口にしてしまったのだけれど、落ち着いてから十香とおかさんと一緒に考えて出した結論だった。


 どうしようもなく時間が経ってしまっているのだ。

 私が会いたくても彼もそうだとは限らない。それに会ったとしても、単純に龍になりましたなんて言う訳にもいかない。今の状況はあくまで十香さんだから成り立っている状況であって、普通に考えたら異常なことなのだから。ましてや遼太郎君はもう大人になっているはずだ。いつまでも子供のままの私とは違う。こんな話を素直に信じてくれるとは思えない。それどころか私のことを忘れてしまっているかもしれない。ううん、本当はその方がいいのだと思う。私のことを忘れてしまうくらい今を幸せに生きていてくれれば、それが一番いい。寂しくないと言えば嘘になるけれど、私たちの道はそれくらい決定的に分かれてしまったのだから。でももしも今でも私のことを想っていてくれるなら、そう期待してしまう気持ちがあるのも本当だ。


 だから判断を彼に委ねることにした。

 あのポスターの絵を届けることで。

 もしも彼がまだ私を少しでも想っていてくれるならばきっと、いや、もしかしたらきてくれるかもしれない。きてくれなければそれはそれでいい。それなら彼はきっと私を忘れて今を生きていてくれるはずだから。そう私は納得できると思うから。


 記憶を取り戻しておよそ一か月。様々なことをした。

 康二こうじ君に会いに学校に行った。

 お祭り用の着物を買いに着物屋さんに行った。

 他にも色々、改めて町を散策したり、今日子きょうこさんに会いに行ったり、十香さんも許す限りの時間を一緒に過ごしてくれた。

 私はその中で、街を眺め、自分を振り返り、家族や友達、遼太郎君を想った。


 そして時間は優しく穏やかに今日を運んできた。

 龍神祭りゅうじんさい


 あの日、龍は、星を待っている、そう教えてくれた。

 調べてみると龍神祭の夜に極大日を迎える彗星があった。

 龍はその彗星を待っているのだ。


『もしも迷子になったらこの鳥居の前で』

『うん。分かった。ここで待ち合わせ』


 日も暮れて祭りはもう始まっている。

 賑わう人の中、私は十香さんと共にいる。

 あのほんの些細な約束の場所で。


一ノ瀬いちのせさん」


 不意に声をかけられた。


「……湯本ゆもとさん」


 康二君がそこにいた。

 隣には同僚の、確か、石原いしはらさん。

 二人とも着物を着ていて、それが良く似合っている。

 特に石原さんの着物姿には目を奪われた。

 青と白と薄い灰色の混ざる緩やかに波打った大きなしま模様。生地の折り合わせによってステンドグラスのような幾何学模様にも見える。黒い帯には橙色や黄色に鮮やかに色付いた紅葉もみじ。帯の黒に重なるように銀色の小さなハートのアクセサリーが揺れていた。

 康二君に合わせるように彼女も会釈をした。


「その説はお世話になりました」


 そう言ったのは康二君だった。

 十香さんは彼の意外な言葉に少し慌てて首を振った。


「いえ、お世話になったのはこちらの方で、私は何も」

「いいんです、お礼を言わせてください、一ノ瀬さんがきっかけをくれたんですから」


 康二君はそう言って大事そうに首から下げたカメラにそっと触れた。


「待ち合わせ、……ですよね」

「はい」


 十香さんの返事を聞いたあと康二君は何か言いたそうにしたけれど言い淀んだみたいだった。

 すると隣の石原さんが彼を小突いて、それをきっかけに決心したように彼が言った。


「あの、一つだけ、可笑しなことを言わせてください」

「はい……?」

「ありがとうと伝えてください」

「え?」

「あ、いえ、いいんです。分からなければそれで、気にしないでください」

「いえ、分かりました。必ず」


 康二君は私の存在に気が付いているようだった。

 どうしてだろう、十香さんと居ると不思議なことばかりが起こる。


「……きますよ、きっと」

「はい」


 それからほんの少しだけ当たり障りのない会話をして、改めて会釈を交わして、二人は祭り中へと歩いて行く。途中、石原さんがこちらを振り向いたけれど、すぐにまた前を向いた。


「あの二人素敵だね」

「ええ」


 寄り添い歩く二人の後ろ姿に、有り得たはずの自分と遼太郎君の姿が微かに重なる。

 私は頬を緩め目を伏せた。帯の紅葉に誘われるようにいつかのことを思い出す。


 約束の場所、この鳥居の前で私は彼を待つ。初めて会ったあの日からの大切な日々を振り返りながら。

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