宮下 遥 15

 一輪の赤い撫子なでしこ

 緊張と期待を感じながら視線を外さず歩み近寄りその前でしゃがむ。

 この花が龍の残してくれた答えだ。

 そこに疑いはなかった。

 私は手を伸ばし答えにそっと触れた。

 すると花はさらりと小さな光の粒になって指先から私に向かって吹き抜けた。

 頬を髪を光が優しく撫でる。

 その行方を追って立ち上がり振り返ると、時を止め春の一瞬を切り取ったように、盛大に舞う花びらのような無数の記憶の欠片が目の前にあった。

 幾つもの光の粒が欠片に反射して私の目に小さなきらめきを届ける。

 そして私はきらめきの中に大切な想いを見る。

 それはどれも些細な瞬間。


 石畳の道、転びそうになった私の手を取って、危ないからとそのまま手を繋いで歩いた。初めて手を繋いで恥ずかしくて俯いて眺めた自分の足。右左と、どこかぎこちなく。隣には歩幅を合わせて歩く彼の足。照れているのか前を向いたままの真面目な顔。


 彼の部屋。隣に並んで座って触れた腕。気付いていたけれど離れたくなくてそれ以上動けなかった。

 康二こうじ君に対して変に誤魔化してしまったあの時も二人だけの秘密という熱に浮かされてしまっていた。二人でたてた計画で二人だけで出かけることがすごく大事だった。


 図書館で風が吹き込んだ時、ひるがえるカーテン、めくれるページ、舞い上がるプリント用紙、そして慌てる湯本ゆもとさん。

 その瞬間が可笑しくて彼と顔を見合わせて笑った。声を出さないように堪えるのが大変だったっけ。


 お肉屋さんで図書館の帰りに立ち寄って食べたコロッケ。ソフトクリームと一緒に食べるの本当に美味しかった。彼が発明だって褒めてくれたのが嬉しくて照れくさくて。

 彼が持っているソフトクリームが溶けて落ちかかっていることに気が付いた時。あまり何も考えていなかったのだけれど、両手が塞がっていた私は反射的に顔を近づけて彼の持つソフトクリームに口をつけてしまった。

「わ」

「ん、ごめん」

 ただ合理的な行動だと思っていた私の顔が熱くなったのは、夕日の中で赤くなった彼の顔を見てからだった。


 珠守神社たまもりじんじゃの前。お祭りの光景を想像していた私に急に彼が真剣な口調で言った。

「良かったら俺と一緒にお祭りに行ってくれないかな?」

「え?」

 本当は初めから一緒に行くつもりだった。それが当たり前のような気がしていた。だけどそう言われて、その時の緊張した彼の様子を見て、それが特別なことなんだって意識したっけ。

「もちろんだよ。嬉しい。誘ってくれてありがとう」

 パッと明るく咲いた彼の花火のような笑顔は忘れられない。

「じゃ、じゃあさ待ち合わせ場所を決めておこう。きっと人が凄いからさ、ちゃんと見つけられるように。そうだな、ここ、ここが集合場所だ。もしも迷子になったらこの鳥居の前で」

 照れ隠しだったのか急にそんな気の早いことを言い始めた彼が可愛くて少し笑っちゃった。

「うん。分かった。ここで待ち合わせ」


 それだけじゃない、他にも色々、学校も、商店街も、河原も、ご神体の取材の時も、たくさん、いっぱい、全部が彼との思い出として輝く。



 輝く光を見つめる私の前に赤い撫子の花びらが一片。


「あ」


 落ちてきたそれをペタンと座ってすくうように両手で受け止めた。

 座った拍子にワンピースのスカートがふわりと丸く広がった。

 花びらは見る間に手の中で溶けて、その溶けた赤色に丸く広がったスカートが染まる。


 そうだ、私のお気に入りの、いつか彼が撫子みたいで可愛いと褒めてくれたフレアワンピース。


「ああ、そっか、私は……」


 両手をそっと握り抱き寄せ目を閉じる。

 まぶたの裏に浮かぶ優しく微笑んだ彼が私の名前を呼ぶ。


 はるか


遼太郎りょうたろう君」


 この気持ちがあったから、あんなに切なくて、どうしても思い出したくて、最後の瞬間だって彼のことばかり願っていたんだ。


 ああ……、でも、そっか……。


 龍の自分を思い出して空を見上げた。


 私は行かなければいけない。私は、もう……。


 突然優しくあたたかい気配が私を包んだ。


十香とおか、さん……」


 彼女が何も言わないで私を抱き締める。小さく震えていた。

 その時、感じる温もりの中で、ふと気が付くように龍の記憶を垣間見る。


 夜の公園で一人の少女が膝を抱えて泣いていた。


 私は龍の想いに触れた気がした。


「そっか……」


 記憶を隠していたのは私のためだ。

 届かない想いを知って、一人で泣いてしまわないように。

 だけど今は彼女が傍に居てくれるから。


「そっかあ……」


 全部わかって、力が抜けて、私は十香さんに体を預けた。もう景色はにじんで良く見えなくなってしまったから目を閉じて。溢れるものもそのままに。けれど私はいつまでもたくさんの優しさに包まれていた。

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