湯本 康二 3

 一ノ瀬さんを連れて来客室に移動した。来客室は職員玄関から職員室を挟んだ隣にあり、職員室から入れるように内扉も付いている。貴賓を招くこともあるので内装や調度品もしっかりとしている。もちろん空調設備もいい物が据えられている。

 部屋に入るなり早速エアコンを入れた。


「すみません、ちょっとバタバタしてまして、準備も出来ず、すぐに冷えますから」

「いえ、お構いなく」


 俺は一ノ瀬さんと自分の分の麦茶を用意して席に着いた。彼女を正面のソファーに机を挟んで向かい合って座る形だ。


「あの、改めましてありがとうございます。お母様にもお世話になりまして」


 一ノ瀬さんが会釈をするように軽く頭を下げた。


「ああ、いえいえ、いいんですよ。むしろ母が何かご迷惑をかけていないか心配なくらいで」

「ご迷惑だなんて、楽しくお話聞かせていただきました」


 ああ、なんとなく想像がつく。一ノ瀬さんはこう言ってくれているが、母が一方的に楽しく喋っている光景が。


「なんか、すみません」

「いえ、全然、本当に楽しくて、寧ろ私が強引に話を聞いてしまったくらいで」


 謙遜する一ノ瀬さんを前に自分の中で警戒心が薄れていくのを感じていた。

 と言うのも、母からこの話を聞いた時から、やはり少し変な人物を想像していたのだ。何かの詐欺の類なのかとも疑った。

 それがまあ、実際に会ってみたら若い丁寧な女性だ。少なくとも今のところ悪い印象は受けていない。


「籠根町には観光で?」

「はい。それで町の歴史に興味が湧きまして」

「それで図書館に」

「そうなんです。そこでお母様にお会いしまして」


 母は若い頃から司書として図書館に勤めている。それなのにあのお喋り具合だ。我が親ながらどうかと思う。


「なるほど。あー、それで、その、話の件ですが」

「はい。もうご存知かとは思いますが、十五年前の事件についてお聞かせいただければと思いまして。もちろん無理にとは言いませんし、可能な限りで構いませんので」


 彼女は姿勢を正すようにしてそう言った。


「あ、えーと、まず、失礼かも知れないんですが、最初にお聞きしておきたいんですけど、どうしてあの事件のことを、その、お調べになっているんですか? 町の歴史と言えばそうだと思うのですが。正直またちょっと違う部類の話かと思うのですが」


 それは単純に気になっていることでもあった。母からなんとなく聞いてはいたものの、どうにも要領を得ず納得しきれないでいたのだ。

 別に話をすること自体はなんの問題も無い。確かに自分にとっても無関係とは言えない事件なので進んで話したいと言う物ではないのだが、それでももう昔の話だ。概要を語るくらいなんでも無い。約束をした母の手前、話さないと言う訳にもいかない。


 まあ、あんまり変な奴だったら追い返すつもりでいたけどな。


 俺の問いに「はい」と返事をした一ノ瀬さんは「ちょっと失礼します」と席を立ち床でキャリーバッグを開け始めた。


「ああ、机使っていいですよ」

「いえ、ここで大丈夫です。実は……あれ? ん? ちょっと待って下さい……」


 探し物が思ったところに無かったらしい。慌てた様子で一ノ瀬さんはキャリーバッグの中をあちこち探し始めた。

 途中で何かに気が付いたように「あ」と声を出した彼女はキャリーバッグの中からビニール袋を取り出して、さらにその中から紙箱の包を取り出した。


「あの、これどうぞ」


 それは籠根町の商店街で売っているお土産用の饅頭だった。パッケージに龍の絵が描かれている。


 ドラ饅か……。最近食ってねえな。


「すみません。手土産を忘れてしまって、そこで買った物なんですが良かったら貰って下さい」


 一ノ瀬さんはぺコンと頭を下げた。

 さっきから頭を下げさせてばかりでなんとなく申し訳ない気持ちになってくる。


「あ、ああ、すみません。ご丁寧に。あの、ゆっくりでいいですから」

「そんな、貴重なお時間を頂いてますので、そう言う訳には」


 俺に包を渡すと一ノ瀬さんは捜索を再開した。

 なかなか見つからないらしい。

 仕方ないので貰ったばかりの饅頭の箱を開けて待つことにした。


 なんか懐かしいな。良く食ったっけなドラ饅。そう言えばなんで食わなくなったんだっけかな……。


 しかし、なんと言うか。


 俺は一ノ瀬さんの方をチラリと窺い見た。

 相変わらずバッグの中をあれこれ探している。


 懐に入るのが上手いって言うのかな、いや、上手いと言うか、これは天然か……。


 ドラ饅のパッケージの紙を畳みながら一ノ瀬さんの印象について考えていた。何故かと言えばこの時にはもう俺の中で彼女に対する警戒心はほとんど無くなっていたからだ。


「あ、ありました!」


 見つかったらしい。

 一ノ瀬さんは探し始めた時と同じようにそそくさとキャリーバッグを畳むと席に戻った。片付けるのは早かった。


「すみません、お待たせして」

「いえ、いいですよ」

「本の間に挟んだままにしていて、失念していました」

「そうですか、見つかって良かった」

「あの、ちなみになんですが、この辺りって、熊出ます?」

「熊ですか?」

「はい」

「あ、いや、あまり聞かないですね。以前ニュースになったようなことがあった気もしますが、それもだいぶ山奥の方だったと思いますし」

「そうですか。安心しました。すみません変なことを聞いてしまって」

「ああ、いえ」

 

ふりだしに戻った感じだった。と言っても自分の中の感覚では全然違った。何気ない会話の中に僅かにあった緊張感も、警戒心と共に無くなっていた。


 わざとやってるんだとしたら恐ろしいな。


「それでですね、きっかけはこれなんです」


 そう言って一ノ瀬さんが差し出した物を見て驚愕した。警戒心が無くなっていたからなおさらだった。剥き出しになった心臓を叩かれたような感覚だった。

 思わず立ち上がっていた。


「どこで、これを……?」

「あの……」


 急に立ち上がった俺を見て一ノ瀬さんも驚いた表情を浮かべていた。それでやっと自分の状態に気が付いた。


「あ、ああ、すみません、いや、でも……」


 席に着いてもう一度一ノ瀬さんが机に置いた物を見た。決して見間違いや勘違いではない。それは俺の、いや、正確には俺が昔、兄から貰った写真だった。

 その写真は籠根町にある珠守神社のご神体、龍の卵を写した風景写真だ。最後に見た時から比べると、色褪せ大分古ぼけてはいるが。


「この写真は古書店で買った本の中から出て来たんです」

「本の中から? そう、ですか……」

「あの、どうかされましたか?」

「いえ、その、ちょっと驚いてしまって」


 高鳴った鼓動を落ち着かせるため一つ息を吐いた。

 どう言う経緯でこの写真が古書店の本の中から出て来たのかは分からない。だけど確かにこれは俺が失くした写真だ。


「実はこの写真、その、信じられないかも知れないですが、俺の兄が撮った物なんです」

「お兄さんが……」

「ええ、それを俺が失くしてしまって、小学生の頃なので、もうかなり前になりますが、まさかそれが今ここにあるなんて」


 この写真は俺にとって忘れることの出来ない特別な写真だった。それもどちらかと言えば悪い意味でだ。久しぶりに目にしたはずなのに一瞬でその写真だと分かってしまうあたり今でも心のどこかで引き摺っているのかも知れない。いや、確かに引き摺っているのだろう。


「でしたら、まず、この写真はお返しします」

「あ、いえ、いえ、いいんです。返していただかなくて。きっと何かの縁でしょうし、それは一ノ瀬さんが持っていてください」


 もう二度と見ることは無いと思っていた写真だ。別に写真それ自体に未練がある訳ではない。


「それで、この写真があったから?」

「はい、この写真を見て、これが、この風景が一体何処にあるものなのかと思いまして」

「なるほど、それで籠根に」


 確かに、大岩、龍の卵は籠根の観光名物でもある。調べれば割と簡単に見つけることは出来るだろう。


「籠根町に来て、このご神体と龍神様にも挨拶をさせていただきました。それで龍神信仰や民話に興味が湧きまして。元々、趣味と言うか、民話とか伝説とかが好きなもので」

「それで図書館へ行かれたんですね」

「はい。図書館で龍神祭と言うお祭りがあることを知りました。その歴史を調べていたんですが、記録の中に龍神祭が中止になった年があると言う記述を見つけました。その年と言うのが、この写真に記録されている年と同じでした」

「なるほど」


 確かにこの写真はあの年に兄が撮った物だ。そうだ、龍神祭が中止になった年にだ。


 しかし、龍神祭か。どうにも今は過去を振り返るべき時なのかも知れないな。


「それで気になって何があったのかと調べようとしているところにちょうどお母様が」


 それであの母がでしゃばって来たと言う訳か。


「分かりました」

「こんな感じでご納得いただけましたでしょうか?」

「大丈夫です。すみません。色々聞いてしまって」

「いえ、押しかけているのはこちらですから」

「えーと、じゃあ……」


 一通りの経緯を聞いて納得したが少し考えてしまった。何故ならきっかけがこの写真だからだ。その時点で事件の概要だけを語ると言う訳にもいかない。


 何から話したものか。


 俺は自分でも記憶を掘り起こすようにして、ぎこちなく昔話を始めた。

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