宮下 遥 11

 籠根かごねの鉄道は地元民の足にもなっているが観光客の利用が多い観光路線だ。単線で一駅ごとの区間が短く観光名所と生活拠点を結ぶ線路をゆっくりと静かに走っている。

 朝の駅前、私たちは再びの別れの時間を迎えていた。


「絶対また来てくださいね」

「はい、必ず」


 今日子きょうこさんの言葉に十香とおかさんが笑顔で返事をする。もう何回か聞いたそんなやり取りもこれが最後だろう。麦わら帽子を直すと十香さんはキャリーバッグを引いて改札に向け歩き始めた。いつも躊躇いなく歩く彼女の一歩は大きい。

 何も言わずついて行こうとした私、けれど小さく数歩、それだけで止まってしまった。


「十香さんあのね私も今日子さんにありがとうって伝えたい」


 たまらず声をかけたのは彼女とはこれが最後かもしれないと頭を過ったからだ。

 すると十香さんは綺麗に立ち止まって振り向いた。そうする準備をしていたみたいだった。口元が微笑んでいた。


「今日子さん、改めて本当にありがとうございました」


 さっきよりも離れた彼女に、さっきよりも少し大きな声で言う。

 私も振り返って今日子さんの顔を見る。


「あ、いえ、そんなこちらこそ」


 彼女はそう言ってちょっとだけ驚いた様子で照れくさそうにしていた。


「それともう一つ、もう一人分、ありがとうございました」


 淀みない十香さんの言葉。

 けれど今日子さんはその意図が分からないと言った感じで不思議そうな表情を浮かべていた。


 分かっている。私はそう言う存在だ。


 瞬間、寂しさのような冷たい気持ちが込み上げたが私は堪えて声を出した。この別れの温度を変えたくはなかった。


「本当にありがとう」


 それだけ言って再び今日子さんに背を向けて歩き出した。これ以上は何も言えないし彼女の言葉を待つ必要もない。

 足を出すたび俯きそうになる顔を上げ前を向く。

 ちょうど十香さんを通り過ぎたくらいのところだった。


「私からもありがとうって伝えてください!」


 今日子さんがそう言った。

 思わず足を止めてしまった。


「はい!」


 直後聞いた十香さんの返事の声は微笑んでいた。

 じゃあきっと今日子さんも笑っている。

 私は振り返らなかった。私は彼女に零れた涙を見せたくなかった。この顔を見せたら、もしかしたら涙だって伝わってしまうかもしれないと、そう思えたからだ。



 電車はゆっくりと私たちを運ぶ。車内は混んではいないけれどそれなりに乗客が居て、私と十香さんは黙って並んで座席に座っていた。と言うか本当は私がベソベソしていたので十香さんが何も言わずにいてくれただけだったのだけれど。

 一つ目の駅に着いて乗客の乗り降りが済んでまたゆっくりと電車が走り出した頃、私はやっと十香さんに話しかけた。


「十香さん、ありがとう」


 彼女がこちらに目配せをしたのを確認してから私は続けた。


「本当は迷ってたんだ。このまま記憶を思い出していいのか分からなくなって。ごめんなさい十香さんがこんなに協力してくれてるのに。でも今日子さんを見ていて、一緒に十香さんの話を聞いて、私も決心することができた。もう迷わない。だから我儘かもしれないけれどこのまま、十香さんにも、もう少しだけ一緒に居て欲しい」


 私の話を聞いた彼女は携帯電話に文字を打ち、それを私に見えるように傾けた。


『夢を見ました。私も同じ夢を。だから私からも、今日子さんをありがとう。なんだか今日は朝からありがとうが渋滞気味ですね』


 彼女はちらりと私を見るとまた文字を打った。


『さて、では次の作戦はどうしましょうか?』


 今度は、はっきりと私の顔を見て笑う。だからもちろん私も笑った。


 電車は住宅地を抜け林間の線路を進んで行く。

 窓の向こうの流れる木々の影をしばらく眺めたあと私は言った。


「私、龍にお願いしてみようと思う。やっぱり龍は私の記憶を持っていてそれを隠していると思うから。でもきっと……」


 夢の中で聞いた龍の声を思い出していた。


『急いで』


 あの声は私と今日子さんを助けてくれた。


「私がちゃんと本気で頼めば教えてくれる、そんな気がする」


 決して悪戯に私を困らせるために記憶を隠している訳じゃない。そこには理由があってそうしているはずで、その理由は分からないけれど、私が覚悟を決めて頼めば龍はきっと答えてくれる。


『分かりました。では次の目的地は』


 十香さんの打つ文字が途中で止まったのは電車のアナウンスが目的の駅に着いたことを告げたからだ。

 私たちは会話を止め電車を降りた。

 その駅は乗車した駅よりも緑に囲まれた山深い場所。十香さんの宿があり、そして珠守神社たまもりじんじゃの最寄り駅でもあった。

 電車が走り去って目の前の景色が開けた。向こうに山の緑が見える。

 その方向を見ながら十香さんが携帯で打った文字の続きを声に出す。


「次の目的地はご神体の大岩、龍の卵ですね」

「うん」


 私は力強く頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る