宮下 遥 12
宿のチェックアウトを済ませ
道中見上げた空は不思議なほどに凪いでいて、差し込む静かな木漏れ日が胸の内にわずかに残った不安を照らした。けれどそれでも足を止めずにいられたのは二人の手が背中を押していてくれたからだ。それに視線を送れば彼女は今も微笑み返してくれる。
山道を登り切り最後の石階段を前に立ち止まった。
ご神体の場へと重なる石段、その両側に対になるように設置された数基の
あの向こうで龍が待っている。
予想でも希望でも勘でもなく確信だった。龍の一部としての自分がそう感じていた。
「手を繋ぎましょうか」
「行こう」
そして私の言葉を合図に二人で一歩を踏み出した。
蝉の声や鳥の羽ばたき、微かな木々のざわめき、十香さんの足音や息遣い、階段を登る私を様々な音が包む。
穏やかな山の気配が変わったのは鳥居を潜った瞬間だった。
龍の領域に足を踏み入れたのだと咄嗟に理解できたのはその感覚に覚えがあったからだ。
私が自我を持つ前、大岩の中でたゆたいまどろみながら触れていたであろう、深層意識にすり込まれた感覚。あたたかく軽くやわらかい水の中のような空間。
境を超えた瞬間に一切の音を遠ざけて私たちはその中に入ったのだった。
大岩を中心に円状に広がる広場。風景は変わらない。けれどおそらく私たちだけ特別な場所に招かれた。
異常な状況の中でも慌てずにいられたのは、確信として感じていた通り目の前に迎えてくれる存在が居たからだ。
龍の子。
私を模した姿は遠く鏡を見ているようで、しかしその表情は見えなく、
私は十香さんと繋いだ手を離し数歩龍に近付いた。恐くはなかった、覚悟はもう決まっていた。
「お願いがあるの」
数メートル先、彼女に声は届いているはず。けれど反応は見られない。
「私の記憶を返して」
単刀直入に、誤魔化す必要も意味もない。だけど言葉にすることには意味がある。覚悟を伝えるのだ。
「あなたにも理由があって記憶を隠していることは分かってる。もしかしたらそれが私のためなのかも知れないことも」
もしかしたら知ることで辛い思いをするかも知れないことも。でも。
ぎゅっとこぶしを握る。まだ覚えている指先の感覚に、触れた心を思い出す。
「でも、知りたい」
辛くても、痛くても、上手くいかなくても、結局手放せない。
「大切だから」
その時初めて彼女が反応を示した。
私は思わず振り向いた。
龍が視線を送ったように見えたのだ。私の後ろ、十香さんに。
「あ」
しかし今度は十香さんの小さく漏らした声と表情で前を向く。
龍が振り返り歩き出そうとしていた。
一瞬混乱する。
そんな、どうして。
「待って」
追いかけようとした瞬間、まさに足を浮かせた瞬間、周囲の景色が変わった。そして足を降ろした時それを認識する。ことりと地面に着いた足が音を立てた。
「ここは」
「石畳の道、ですね」
私と十香さんを包む景色が昼間三人で歩いた
「懐かしい」
知っている、いや、確実に経験をしたことがある感覚。欠片を覗き見るのではなく今まさに追体験をしているかのような感覚。
そこに、驚きも冷めないうちに不意に聞こえてくる足音と声。
「じゃあ、ポスターのテーマは
「うん」
男の子の声とそれに頷く女の子の声。
さっきまで龍が居たはずの場所、気が付けばそこに龍の姿はなく、その向こうから私たちに向かって二人が歩いてくる。小学生くらいの男の子と女の子。女の子の姿は良く知っている。
「あれは、
それに男の子も。
「
十香さんの驚く声に答えるように呟いた。
私の中で今まさに記憶が蘇っていく。
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