雲川 深雪 1
「うん、上出来」
店先に置いたマネキンの着物を整えて私は呟いた。
いつも店内で着せ替えているのだが、運ぶ時に抱えるのでどうしても少し崩れてしまう。
今日のキンさんのお召し物は
「そろそろ単衣の季節も終わりかな」
空を見上げると昨日よりも少し雲が高く感じた。
「さ、今日も頑張るとするか」
店内に戻ろうとして硝子戸に映った自分の姿が目に入った。
「おっと」
私は自分の着崩れを直し店内に戻った。いつも通りの穏やかな朝だった。
「それでさ、あいつ彼氏いなかったっけとか聞くの。信じられなくない? デリカシーが無いって言うかさ、察して欲しいって言うか、いやむしろそこまでの流れで察しろって言うかさ」
騒がしくなったのは約束していた友人、
彼女とは高校生の頃からの付き合いで、私にとっては唯一親友と呼べる存在だった。
由美はこうしてときどき店に顔を出してくれた。ほとんどが遊びに来るようなもので、店が暇なら私の仕事を横目にいつまでも時間を潰していることさえあった。
一度、退屈じゃないかと尋ねたことがある。
「ううん、大丈夫。私、
と言われてしまった。そんな風に言われたらこちらとしては何も言えない。だから結局いつも好きにしてもらっている。
だけど今日はそんな暇潰しのために来ている訳ではなかった。
「着物を見立てて欲しいんだけど、明日行ってもいいかな?」
昨晩そんな連絡をもらっていた。
もちろん返事はOKで、それで彼女は約束通り来店したのだった。
私の店は大通りから一本入った路地裏にある。大きさで言えば平均的な民家の半分程度、小さな店で店内もこじんまりとしている。もともと雑貨屋だった店を居抜きで借りたのだが、建物のオーナーが親戚だったのでさらに割安で貸してもらえた。正直運が良かったと思う。
店内にはリサイクル着物を中心に各種小物、和雑貨などを並べていて、彩り豊かに、見ていて楽しい花壇のようなレイアウトができればと心がけている。
まだまだ余裕がある経営状態ではないけれど、周囲の人の助けもあってなんとかやっている。
本日朝一でやって来た由美は、店内の棚を物色しながら、さっきから愚痴をこぼしていて、私はそれを隣に並んで聞いていた。ちなみに他にお客さんはまだ来ていない。
「それにあいつ作業が雑だからさ、結局私がやり直すことになってさ」
「えー、それは大変だったね」
彼女の愚痴は全部同じ人に対するもので、そんな様子が微笑ましくてつい笑ってしまった。
「ねえ、その人がお祭りに一緒に行く人?」
そう聞くと由美は手を止めて、そして弱々しい口調で呟いた。
「うん、まあ、そうだけど……」
唇が尖がっている。照れているのだ。可愛い奴。
今日、由美はその彼とお祭りに着て行く着物を選びに来たのだった。
「じゃあ気合入れて選ばなきゃね」
「待って、まだそう言う関係じゃないって言うか、その、ただの同僚なんだけど……」
「えー、本当に? 私知ってるよ。由美、結構前からその人の話、してたよね」
実は以前から彼女の話の中にその同僚は度々登場していて、しかも最近その頻度が増えて来ていた。
ま、そのことは指摘しないでおいてあげようと思う。
「え?! 本当?!」
「うん」
私が頷いたのを見て、由美は恥ずかしそうに俯いた。
「深雪に嘘は吐けないな」
「付き合い長いから」
そっか、と頷いて、思いを馳せるように少し黙ったあと由美は言った。
「あいつ、鈍感だけどさ、いい奴なんだよ。一緒に働いて来たからそれは私が一番良く分かってるし。ただ今までタイミングが合わなかっただけって言うかさ。だから……」
「チャンスなんだね」
「うん、まあ……。不安もあるんだけどね。でもそれも、あいつなら分かってくれるんじゃないかって」
由美が前に付き合っていた人と別れた理由は互いの仕事によるすれ違いだった。当時私も散々泣き言を聞かされた。
だからこそ今の由美の状態が本当に微笑ましくてしょうがない。
「上手く行くといいね」
「……うん、ありがとう」
「じゃあやっぱり特別可愛いやつにしないとなあ」
「あはは、お手柔らかにお願いするよ」
それから本腰を入れて着物を選んでいると、少し言いにくそうにしながら由美が切り出した。
「あのさ、それと、深雪に伝えておきたいことがあるんだけど……」
「伝えておきたいこと? ん? 何?」
特に思い当たることはなかった。
「その、さ、お祭りなんだけど、
「あ、龍神祭なんだ、そっか」
地元の有名なお祭りだ。私は行ったことないけれど。
「その、いいかな? 行っても」
「え? なんで? いいよ、行っても。あ、もしかして、まだ気にしてるの?」
「少しだけ」
「もうとっくに時効だよ。ん? 時効って言い方あってるのかな? とにかく気にしなくていいって。最近はお互い忙しくてお祭りの日だって会ってなかったじゃん」
「まあ、ね」
どうやら私のことを気に掛けてくれているみたいだった。もしかしたら今日だって着物を選びに来たのはついでで、そのことを伝えに来たのかも知れない。きっとそうだ。そう言う奴なのだ。由美は本当に可愛い奴なのだ。
「でもありがとう。嬉しいよ」
こうやって私のことを考えていてくれることが素直に嬉しい。
「いや、まあ、ちょっと気になっただけ。私も時効かなって思ってたし」
照れてる。
「あー、由美って本当に可愛い。これはその同僚君もイチコロだな」
「な、何言ってんの」
顔を赤らめた由美が可笑しくて私は笑った。
「ほら、笑ってないで早く選んでよ。一番いいやつ」
「はいはい」
私たちはそれからたっぷり時間をかけて大切な着物を選んだ。
由美を見送るため店先に立つと、昼前の町の空気が朝よりも少し賑やかに感じた。
「深雪、ありがとう」
「頑張ってね」
着物と、それ以外の各種小物も彼女に似合うものが選べた。我ながらいい仕事をしたと思う。由美も満足そうにしてくれている。
「ねえ、深雪」
「ん?」
「ごめんね。本当は少し気にしてるでしょ?」
「え?」
「お祭りのこと。だって深雪が特別なんでもない風にする時って大抵嘘ついてる時だもん」
「そ、そっかな」
「埋め合わせは絶対するから」
「そんな、埋め合わせなんていいのに。でも、うん。本当に気を遣ってくれてありがとうね」
それから路地を曲がって姿が見えなくなるまで、そこで由美を見送っていた。隣でキンさんの着物が僅かに風に揺れていた。
「龍神祭か」
店内を整理しながらさっきの会話を思い返していた。
由美の前ではあんな風に言ったけれど、正直に言えば実際それが自分の中で本当に時効になっているのか分からない。もしかしたら言われた通りなのかも知れない。
「完全に見抜かれてるな私」
なぜならその言葉を聞いた時、少なからず動揺したからだ。結果、由美の言う通りの態度をとってしまった。
とは言えもちろん昔のことだ。それが今現在に何か支障をきたすようなことはない。だけど遠い思い出のように懐かしむのにはまだ早いのかも知れない。
「案外まだ引き摺っているのかもなあ」
店頭に視線を送った。視線の先は硝子戸の向こうのキンさん。彼女が着ている着物。その柄。
『好きなんだ。この花』
いつか聞いた声が聞こえた気がした。
あれは、まだ私が進路も決められないでいた、高校二年生の頃のことだ。
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