湯本 康二 9
支払いと受け取りを済ませ席に戻ると石原がちゃっかりメモリーカードの中身を開いていた。
「おい石原」
しかも俺のパソコンでだ。
なんでパスワード知ってんだよ。
「ちゃんとポスターの画像でしたわ」
振り向いた石原は、くわえていたドラ饅を手に取り、小憎らしい顔で笑った。憎めない顔だから質が悪い。てか、饅頭勝手に食うなよ。
俺は一つ溜息を吐いて、出前のトレイを空いている机に置いた。ちなみに石原のは特盛、味噌汁、おしんこ、サラダにデザート付きだ。
それから石原の肩越しにディスプレイいっぱいに開かれた画像を覗き込んだ。何気なく見たものの、その絵に俺は驚かされた。
「これ……、写真の構図と同じだ」
「え? 何? 写真ってさっき言ってたやつ?」
その絵は、あの、兄が撮った心霊写真と同じ構図だったのだ。
夕方の時間帯にご神体の大岩がまるで空を見上げているかのような。
しかし写真と違う所もあった。
大岩の上に二人の人物が描かれていたのだ。
二人は手を繋いでいるのだが、一人は座っていてもう一人は立ち上がっていた。座っている人物は男の子で、もう一人は女の子だった。その女の子は空に向かって手を伸ばしていて、女の子の伸ばした手の先には尾を引く星が描かれていた。
彗星?
今年、龍神祭の夜に彗星が見えるんだってな。
自分で言った言葉を思い出した。
「ねえ、じゃあ、この二人って遼太郎君と遥ちゃんじゃない?」
石原に言われてハッとした。
確かにそうかも知れない。だけど……、
「いや、そんな訳ないだろ」
一ノ瀬さんがこの絵を描いた時点で二人のことを知り得たはずはない。いや、事件のことを事前に調べていたとしたら、でもだからと言って……。二人をこんな風に描くだろうか……。
「偶然だろ。偶然」
偶然です。偶然が重なっただけなんですよ。
奇しくも一ノ瀬さんが言った言葉が重なった。
「でも、一ノ瀬さん、これを遼太郎君に渡すために湯本に会いに来たってことだよね」
「え?」
「だって、そうじゃなかったらこんな風に用意してこないよね」
「あ、ああ、そうだな」
「理由を聞かなかったの?」
「理由、そう言えば聞いてないな」
「……駄目ね」
「すまん」
しかし確かに石原の言う通りだ。一ノ瀬さんは、この絵を遼太郎に見せるために俺に会いに来たのだろう。それが一番の目的で、事件の話は二の次だった……。いや、だけど……、なんのために……。
しばらく考えてみたが答えはまとまらなかった。
それから、昼食を食べながらも石原はまだ気になることがあるようで質問をしてきた。
「あのさ、あんたがお兄さんと仲悪いのってその事件が原因ってこと?」
俺は一瞬箸を止めた。
今日は随分自分の内面に踏み込まれる日だ。まあ、ここまで来たらもういいか。
「いや、まあ、そうだな。単純に写真がって訳じゃねえんだけどな。なんて言うかな、どうしたらいいか分からなかったんだと思う」
そうだ、どうしたらいいか分からなかったのだ。
あの時の俺は、それまでに考えらないくらい、複雑な心境だった。
憂い、焦り、恐怖、嫉妬、小学生の俺が抱えきれない程の感情のうねり。
だから、その結果、俺は自分ではどうにもならない感情を単純な怒りに変え、一番身近にいた兄に向けた。
俺は二人の遭難も、遥の失踪も、遼太郎と疎遠になったのも、全部兄のせいだとした。兄が俺に写真を見せたのが悪いのだとした。
今なら分かるが、それで自分の心を守ったのだと思う。
だけどその代わり、仲のいい兄を失った。
「だったらさ」
「ん?」
「チャンスじゃん」
石原はカツ丼を食べながらあっけらかんと言った。
「何が?」
「お兄さんと仲直りするチャンスじゃん」
鳩が豆鉄砲を食ったようとか言う表情がある。たぶんこの時、俺は人生で一番その表情に近い顔をしていたと思う。
石原がそんな俺に気が付いた。
「え? あれ? 私なんか変なこと言った?」
「ん、いや、なんだろう、はは、なんか、あはは、石原、お前やっぱ面白いわ」
正直、自分の中に仲直りと言う発想が無かった。石原に言われて初めてそのことに気が付いたくらいだった。仲のいい兄と言う、失ったものはもう戻ってこないと思っていたのだ。
そのあとも俺は自然と込み上げて来る笑いを抑えられず、訳が分からず狼狽える石原を前に暫く笑っていた。
軽く洗った出前の食器を職員玄関先に置いた。ふと見ると校庭がぼんやりとモヤッて見えた。二学期も始まったと言うのに相変わらず顔をしかめたくなるほど暑い。
だと言うのに俺の顔はこしょばゆそうに緩んでいた。
その原因は重なった偶然。
最近やけに思い出していた昔のこと。
一ノ瀬さんとの出会い。
失くした写真との再会。
一ノ瀬さんの言葉と石原の言葉。
「はは、なんなんだろうな今日は」
職員室に戻ろうとした時、また声が聞こえた気がした。
頑張れ、康二君。
しかし声のした方を振り返って見ても誰もいなかった。そこには職員玄関に切り取られた写真のような四角い情景があるだけだった。
幻聴? 暑いからか?
そうだ、きっと幻だろう。だってその声はさっきと同じ、昔聞いた遥の声に聞こえたからだ。
一ノ瀬さんと話をして思った。
最近良く思い出していたあの頃のこと。遼太郎と遥と三人で過ごした日々。
それは短い時間だったはずなのに俺にとって随分印象深い時間になっていた。
石原と話をして思った。
俺はそんな時間に蓋をしていたのだ。その蓋はあの写真だった。写真はその中身と一緒にあの日々を色鮮やかなまま未精算の過去として保存していた。
そして時は来た。今が清算するべき時なのだろう。
「あー、忙しいのになあ!」
やることが沢山ある。考えることも沢山ある。だけど遼太郎に連絡を取らなければいけない。兄と仲直りしなければいけない。大事なタイミングを逃してはいけない。
「しっかし、兄貴とは何を話したもんかな」
自分で声に出してみたものの、実はそんなのはもう決まっている。写真で失った仲なら、写真で取り戻せばいい。あの夏休みに遼太郎の家に駆けた俺のように、今俺の手にはあの失くした写真とのちょっと不思議な再会の話がある。それでも話題に困ったら、写真を教えてくれとでも言えばいいんだ。
「チャンスじゃん」
石原の言う通りだ。
まったく、石原にはでかい借りが出来てしまった。この借りはいつになったら返せるかは分からないが、まあ、とりあえず、龍神祭にでも誘ってみようかと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます