宮下 遥 2

 ご神体の大岩、龍の卵は神社の裏山にある。正確に言えば籠根かごねの低山の一つ、その中腹の珠守神社たまもりじんじゃ、そこからさらに登った頂上付近の平坦な場所にだ。

 籠根町かごねまちの観光名所にもなっているので、ご神体への道は整備されていて迷わず進むことができる、が、低い山とは言え山道ではあるのでそれなりに険しい道を進む。


「やっぱり預けてきた方が良かったんじゃないかな?」


 私が振り返ってそう声をかけると十香とおかさんは顔を上げて笑顔を作った。


「いえ、これは、私の、大事な、旅の、お供、ですので」


 彼女はキャリーバッグを持ったまま山道を登っていた。

 舗装されていない道なので、キャリーバッグは転がすことができず、側面についている取っ手で、ボストンバッグのように持ち運ばれている。取っ手には帽子も引っ掛けられている。

 バッグは重たいようで彼女の顔は赤く息も上がっていた。


 私にとっては目を瞑っても歩ける道、でももちろん初めての人には大変で、大きい荷物を持っていればなおさらだ。


「本当に大丈夫?」

「大丈夫です、でも、確かに、もしまた、登る機会があったら、預けてきてもいいかも知れません」

「うん、私もそう思うよ」


 神社にはそんな人のために荷物用のロッカーも設置されている。


「少し休憩する?」

「大、丈夫です」


 大丈夫と言われても、手助けできない身としてはなんとも心苦しい。


「んー、あ……」


 その時私は閃いた。


「そうだ、十香さん。私が十香さんの中に入って交代で運んだりできないかな。ほら、さっきみたいに」

「いいアイデアですね。でも、それだと、体は私のままなので、結果は変わらないのではないでしょうか?」

「う、それもそうだね」

「お気遣い、ありがとうございます」

「ううん。力になれなくてごめんなさい」

「いいえ、お気持ちだけでも嬉しいです」


 そう言ってまた笑ってくれる。

 ちょっと変な人だけど、十香さん、やっぱり優しい。こんな私のこともすぐに受け入れてくれたし。


 私たちは今、珠守神社からご神体へと向かっている。元々ご神体を目的地にしていた十香さんにお願いして同行させてもらっているのだ。その代わり、勝手知ったる私が一応先頭に立ち案内をしている。


 私は十香さんに合わせて歩くペースを少し落とした。

 ふと見上げた林間のきらめく日の光の中に、ほんのついさっきのことを思い出す。



 石階段での出来事のあと私たちは境内の端のベンチに移動して自己紹介をした。場所を移したのは私がどうしても人目を気にしてしまったからだ。十香さんは全く気にしていない様子だったけれど。普通逆じゃないかな。

 ちなみに私と十香さんはすぐに元の状態に戻った。驚いた次の瞬間には戻っていたのだ。


「あの、私、はるかって言います」

「遥さん。私は一ノ瀬十香いちのせとおかと申します。遥さんは幽霊さんですか?」

「あ、いえ、違うと思います。私は、たぶん、りゅ、龍です」

「そうなんですね」


 十香さんはあっさりと頷く。

 たったそれだけの反応に私は返って不安のような感覚を覚える。


「さっきのはなんだったんでしょうね」


 買い物の帰り道で偶然会ったご近所さんに話しかけるかのように彼女は言った。

 それに対して私はワンピースのフリルを触りながら恐る恐る言葉を口にする。


「わ、わかりません、私もあんなの初めてだったし。でもたぶん、私が、と、十香さんの中に入り込んでたんじゃないかと思います。それこそ幽霊が、ひょ、憑依するみたいに」

「なるほどです」


 またあっさりと。

 そんな彼女に、ついに私は聞いてしまう。


「……あの、なんて言うか十香さん、もうちょっと驚いたり、怖がったりしないんですか?」

「どうしてですか?」

「あ、いえ、その、えと、大丈夫です……」


 真っ直ぐ問い返されてこちらが困ってしまった。



 私たちは終始こんな感じだった。どちらかと言えば普通じゃないのは私の方で、異常な事態に狼狽えるべきは十香さんだと思うのに。

 でも、出会えたのがそんな風に全く動じない彼女だったからこそ、私の胸に光に向かい伸びる小さな期待が芽生えたのかも知れない。


 山道を登る十香さんを振り返り私はまた声をかけた。


「ねえ、十香さん、どうして、私を、その、私の存在を信じてくれるの?」

「どうしてと言うのは、どう言う意味ですか?」

「だって、やっぱり、私みたいな、得体の知れないもの、怖くないのかなって……」


 歩きながらも考えるように少し黙った十香さん。


「そうですね、信念、と言うと大げさになるかも知れませんが、自分の理解を超えるものに出会った時、私は、あるがままを受け入れることにしているんです」


 立ち止まる私の横、追いついた十香さんはバッグを置いて、ふう、と一息吐き微笑んで言った。


「だってそうすれば、その先でもっと自分の思いもしなかった素敵なことに出会えるかも知れないじゃないですか」


 私はそんな十香さんの言葉を聞いて、また胸の期待が膨らむのを感じていた。

 ざわざわと木漏れ日が揺れる。


 この人なら……。


「あの……」

「それに遥さんは全然怖くないですよ。とっても可愛らしいですし」

「へ、あ、そんなこと……」


 思わず可愛らしいと言う言葉に反応してしまった。


「さて、行きましょうか、ご神体まではあとどれくらいですか?」


 十香さんがまたバッグの取っ手を両手で掴んで持ち上げた。


「あ、あとちょっとだよ」

「もうひと頑張りですね」

「う、うん、頑張って十香さん」


 ご神体まではあと少し、今じゃなくていい、そこで十香さんに言おう、そう私は心に決めた。

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