大平 遼太郎 3
夕焼けの時は短く、たちまち日は暮れ街路灯にも明かりが灯り始めた。
「先輩、お一人ですか? もしお時間あるようでしたら、少し歩きませんか?」
互いの時計の針を合わせるようにたどたどしく挨拶を交わしたあと
もともと迷っていたせいもあり、あやふやな返事をしてしまったのだが、彼女は肯定と受け取ったようで「じゃあ行きましょう」と笑った。
昼間よりも冷たい風と虫の声、路面を踏みしめる靴の音。
隣を歩く雲川を横目に何を話したらいいかと逡巡していると彼女が先に口を開いた。
「変な感じがしますね。こうして歩いているとあの頃に戻ったみたい」
あの頃。彼女のそれは高校時代のことだと分かってはいるが、どうしても違う頃を一番に思い浮かべてしまう。
「そうだな」
そう返事をしたけれど、ほんの少しあいてしまった間。
すると彼女はくすりとまた笑った。
「先輩変わってないですね」
核心を突かれたようで否定するのも遅れて「そんなことない」と言う言葉と彼女の次の言葉が重なる。
「先輩は今は……あ、すみません」
「あ、いや、ごめん、今は?」
彼女に質問の先を促す。
「あ、今は何をされてるんですか?」
「ああ、フリーのプログラマーだよ、細々とやってる」
「そうなんですね。えーと、先輩は今なんて言おうとしたんですか?」
「ん、ああ……」
ただの否定の言葉をいまさら言う訳にもいかず他の話題を探す。
「雲川は、着物、作ってるのか?」
下手な質問になってしまったが言わんとしていることは伝わったようだった。彼女の着物に視線を送っていたからだろう。灰色の生地の中に植物の枝葉と実が描かれていて、実だけに赤く色が入っている。
「ええ、作ってます。でもこれは違うんです。お店の売り物だったんですけど、ちょっと気に入ってしまって自分で買っちゃいました」
「お店?」
「はい。こう見えて私、着物屋の店長なんです。アンティークの着物屋さんです。自分で作って売ることもありますが」
高校の頃、帰り道、控えめに夢を語る彼女の姿が重なった。
「じゃあ、そっか、夢叶えたんだな、すごいな」
「えへへ。すごいでしょ」
強がるみたいにそう言って雲川は笑った。
「なんて、まだまだですけどね。色々大変で、なんとかここまで辿り着いたって感じです。ここまでくるのだって本当に必死で、他のことには脇目も振らずってやつで、アイドルでもないのに恋愛禁止だーとかやっちゃったりして」
「そっか。そうだよな」
それから少し間を置いてから彼女は言った。
「先輩のおかげなんです」
「俺の? そんなことないだろ」
「いえ、そうなんです。だから先輩お店にも来てくださいね」
「……ああ」
簡単な約束なのにためらいを感じてしまう。
「……やっぱり変わってないですね先輩」
彼女がそう言ったのはそのためらいを感じ取ったからなのだろう。
約束に対するためらい。そんなものが自分にはずっとある。未消化のままの約束が原因なのだろう、けれど、これからはこの町自体が原因になってしまうのかも知れない。
「今日はどうして
「ん、ああ、ちょっと、な」
「お一人で?」
「ああ、一人だよ」
そのあと会話が途切れて二人して黙ったまま少し歩いた。
夜の暗い公園を横目にした時だった。
「
雲川が呟いた。
「え?」
思わず声を出し振り返ると、雲川は数歩後ろの掲示板の前で立ち止まっていた。
「何年かに一度こう言うポスターありますよね」
彼女が見ている掲示板には筆の勢いそのままの荒々しい龍が描かれた龍神祭のポスターが飾られていた。
「あ、ああ、そう、かもな」
なんとなく龍神祭の話題からは遠ざかりたかった、けれど彼女が追い打ちをかけるように言う。
「先輩は今日龍神祭に行くつもりで籠根に来たんですよね?」
立ち止まり黙っていたせいか遠く祭りの喧騒が聞こえた気がした。
一瞬、鳥居の前で立つ高校の頃の自分がフラッシュバックする。
「別に、そう言う訳じゃ……」
言い淀んだ俺に彼女はためらいなく続ける。
「不思議なことがありました。それで決めていたことがあるんです」
どこか彼女の雰囲気はさっきまでと変わっていた。静かに吹く秋風が彼女の熱を冷ましたかのようだった。
「雲川?」
彼女が何を言おうとしているのか分からなかった。
「じつは今日会えなくても先輩に連絡をしようと考えていました。友人が先輩の連絡先を知っている人に心当たりがあると教えてくれて。お店のこととかずっと伝えたいことがあったので」
「そっか、ありがとう、な」
「それは、龍神祭が終わったら、そうしようと思っていました。でももし、もしも、龍神祭が終わる前に、もしも会ったら、別のことを伝えようって決めていました」
「別のことを? 俺に……?」
「迷ってしまいました。少し。でも、今、私、あの頃の先輩の気持ちが分かるんです。たぶん、今の、あなたの気持ちも。迷いも」
意味が分からず何も言えないでいると雲川がパッと表情を変えた。
「あはは、すみません。すごく久しぶりに会えたのに気持ち悪いことを言ってしまって。本当に、なんて言うかあれですよ、犯罪とか、変な宗教とか、なんかそう言うんじゃないですよ」
おどけたように言ったあと、彼女は俯いて自分の着物の赤い実を撫でるように触って言った。
「ただ、単純に、願ってしまったんです。自分のことだけじゃなくて先輩たちのことも。だけど私にも簡単に譲れないものはある訳で、だから迷って、大袈裟ですけど運命みたいなものに賭けてみました。結果はこれで良かったのかな。まだ分かりませんが。そうですね結末を教えていただければ嬉しいです」
「結末? 雲川、悪い、なんのことを言ってるのか分からない」
それに、先輩、たち……?
「先輩、
「……いや」
「再会」
ぽつりと呟くようにそう言ったあと彼女は続けた。
「私、先輩と
彼女の口から突然出たその名前に心臓を叩かれた。
「もしも迷っているのなら、龍神祭に行ってください。きっとそこで彼女が待っています。私の、あなたが好きな花の着物を着て、遥さんが待っています」
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