大平 遼太郎 4

 雲川くもかわの話、康二こうじの言っていたこと、何もかもをそのまま信じられた訳じゃない。迷う気持ちが消えた訳でもない。けれど確かに自分は二人の言葉に動かされた。

 雲川と別れたあと、いまだ霧の中で惑う頭をよそに、足は歩くべき道を知っているかのように龍神祭りゅうじんさいへと向かっていた。


 のぼり、提灯、ポスター、行き交う人たち、祭りの雰囲気は会場に近付くほどに増していき、次第に賑わう音が高鳴る心音と混ざって胸の中で響き始める。

 その音を辿れば、奥底ではいつかの自分が一人で立っている。どうしようもならない現実を抱えて。とっくに分かっているはずなのに馬鹿げた奇跡を待って。あの約束の鳥居の前で。

 いつも溜息だけを残したあの場所、だけど今、はるかがそこで待っている。

 いや、本当はそんなことはありえないと分かっている。分かっているはずなのに、どうしても膨らんでしまった期待で胸が騒ぐ。


 落ち着け。落ち着け。どうなるにしろ恐らく何かがあるんだ。あくまでそれを確かめに行くだけだ。


 自分にそう言い聞かせながら冷静になるように努めて珠守神社たまもりじんじゃへの道を急いだ。



 夜道はやがて祭りの舞台へと姿を変えた。道の両端に屋台が並び始め、店先には煌々と明かりが灯る。道幅が減少していることもあり集う人々の密度は増し、賑わいは一気に祭りのそれとなった。

 屋台は神社の参道と、参道と直角に交差する道に所狭しと並んでいて、光の回廊のように拝殿の門の前まで続いている。目的の鳥居の場所はその中心付近になる。


 人波の中をなるべくもう何も考えないようにして進む。

 顔を上げた先に鳥居の上端が見えたと思うと間も無く開けた場所に出る。

 昔からそうなのだが、鳥居から数メートルは屋台の設置が禁止されているため、参道との交差点であるこの場所にはぽっかりと空間が広がっているのだ。


 交差点に出るとすぐに行き交う人の間から鳥居の柱の方を見た。

 考えることは皆同じなのか待ち合わせをしているであろう人が数人。着物姿の女性もいる。

 しかし自分から近い柱の前にはそれらしき姿は見つけられなかった。


 ならばと思い、もう一本の柱の方へと目を移す。

 同じく数人。

 やはり待ち合わせをしているであろう男性。それと学生だろうか数人の若い女性のグループ。

 それだけ。

 こちらにもそれらしき姿はなかった。


 いない。


 もう一度、最初に見た柱を確認する。

 ちょうど着物姿の女性の待ち人が来たところで、嬉しそうに笑い合って歩き出したところだった。


 それ以外他に変わったことはなく、もちろん遥はいない。

 知らないうちに体が強張っていたのだろう、力が抜けた気がした。


 はは……。


 奥底から溜息にも似た冷笑が込み上げた。

 震える呼吸と共に指先が冷えていく感じがした。

 鳥居の前、ずっと一人で待っていたあの頃がまたフラッシュバックする。祭りの終わりの冷えた指先。


 何やってんだろうな俺は。当たり前だろ。なんで期待してんだよ。

 結果はこれだ。何回も味わった祭りのあとの虚しさ。

 帰ろう。そうだあの頃と同じだ。


 記憶の中の自分とシンクロするように来た道を戻ろうと踵を返した。


 ふと、道の先、屋台が作る光の回廊の真ん中でこちらを見るように立っている小さな男の子に目を奪われた。

 どこかで見たような、どこにでもいるような、小学生くらいの男の子。

 男の子は人波など意にも介さない様子ですいすいと走って来て俺とすれ違った。


 特に何かを思ったわけではない。ただ何気なくその子を追うように振り返った。

 しかし人混みに紛れたのかもう男の子の姿は見つけられなかった。


 けれど代わりに、振り向いた視線の先、遠い方の鳥居の柱の前、若い女性のグループが退いたその場所に、着物姿の女性が一人残っていることに気が付いた。


 女性が着ているのは白い着物だった。離れているため良く分からないが、緑の葉とピンク色の花のような柄が見える。


 あなたが好きな花の着物を着て――。


 雲川の言葉と、高校の頃に見た着物を思い出す。街灯の明かりの中淡く開いたその花は、


 撫子なでしこ


 一瞬、心臓が縮み呼吸が止まる、が一度冷めた頭が冷静になれと訴える。


 だめだ。期待するな。落ち着け。


 深めに息を吸って吐いて、確かめるために女性の元へと近付く。


 長い髪を纏めて上げている小柄な女性。麦わら帽子を手に伏し目がちに立っている。足元はブーツで、確かに着ている着物の柄は撫子のように見える。丸い大きな眼鏡をかけていて、眼鏡の奥のその顔は……。


 違う。遥じゃない。


 そう思い足を止めた瞬間、目の前の女性が顔を上げた。そしてしっかりと俺と目を合わせて言った。


「お待ちしておりました。大平遼太郎おおひらりょうたろうさん」

「……あ、あんたは?」


 そう声に出すのがやっとだった俺に女性が名乗った。


一ノ瀬十香いちのせとおかと申します」

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