一ノ瀬 司
姉がいる。少し変わった姉だ。歳は七つ上で二十四。詳しくは知らないが大学で働いていて、事務職をしているらしい。
実家住まいで両親とも仲がいい。俺とも、まあ、仲は悪くない。
性格は真面目なのだが好奇心旺盛で自由奔放。良く言えば何物にも縛られない心の自由を持っている。悪く言ってしまえば自分勝手で自由気まま。
外見はどちらかと言えばおとなしい印象で、図書館や美術館を背景にすれば良く似合いそうな感じ。
けれど実際はアクティブでキャリーバッグ一つでどこにでも行ってしまい、しょっちゅう家を空けている。
これだけなら特に変わった人物ではないと思う。ではどこが変わっているのか。
それは一言で言うのならば姉の取る立ち位置である。
正直上手く言えないのだが、姉はいつも核心のすぐ近くにいるのだ。いや、姉が無自覚にふらりと立ったその場所に核心があると言ってもいいかも知れない。
運命に愛されている。中学生の頃、俺は姉に対してそんな印象を持っていた。今思うと恥ずかしい。運命なんて言葉で実の姉を表現するなんて。しかも今ではその印象は正しくなかったと思うようになった。
姉は事象の輪の中にはいない。それでいてその事象に干渉出来る無邪気な第三者。
それが今俺が持っている姉の印象だ。
しかも好奇心旺盛だから性質が悪かったりする。
例えるなら、時計台のガチガチに絡み合った歯車の中を自由に飛び回り好きな所に油を差して回れる時計技師、の最愛の娘。
一夜にして滅びた超古代文明。その遥かな時の謎を解き明かす考古学者、の隣の家で偶然タイムマシンを発明してしまった主婦。
ミステリー小説の探偵と犯人。その火花散る対決を描く著者、が思いを寄せる喫茶店のマドンナ。
いずれも少々ずれているかも知れないが、概ね今はそんな風に思っている。あくまで自分の勝手な印象ではあるのだが、とにかく姉は少し変なのだ。
さて、どうしてこんなことを考えているのかと言えばだ。
数日前、例によって家を空けていた姉から電話があったのだ。
彼女とは違い出不精な俺は部屋のベッドの上でその電話を取った。
「はい。何?」
『……』
「え? 頼みごと? いいけど、また何かやってんの?」
『……』
「温泉町? 龍? 卵? 夢?」
『……』
「あー、分かった、分かったよ。話はまた今度聞くから。それで?」
『……』
「絵を描いて欲しい?」
『……』
「あ、ちょ、メール? 資料? 待って……」
姉は自分の用件だけを伝えると、こちらの返事を待たずに電話を切った。俺はやるともやらないとも言っていないし、それどころかほぼ電話から聞こえて来る言葉を繰り返していただけだ。
しかしもちろん状況はこちらの都合などお構いなしだ。それからすぐにメールが送られて来た。
『よろしくー』
そんな軽い一言のメッセージに添付されていた資料は二つ。
一つは何か大きな岩と花が映った日付の入った古びた風景写真。
もう一つはそれをモデルにしたであろう、たぶん姉が描いた、へたくそな絵。
携帯で二つの資料を見たあと、俺は上体を起こしてベッドに腰掛けた。
それから浅く溜息を吐いてベッドから立ち上がる。
机に向かいパソコンの電源を入れ、そしてタブレット用のタッチペンを片手に持った。
なんとなく、擦り減ったペン先を見て思う。
馬鹿だな俺も。
わざとらしく溜息など吐いたところで自分自身本当は分かっている。
どうせなんだかんだ言っても姉の頼みを断ることが出来ないのだ。
理由は単純で、結局俺は少し変わった彼女の存在を面白く思っているのだ。その面白い存在に関わっていることを嬉しく思っているのだ。
だから姉から何か頼まれたら断らないし、断らないから姉もまた頼んでくる。
シスコンかよ。
そうかも知れないな。
これまで何度も繰り返した自問自答は今や簡潔だ。
起動したパソコン画面、イラストソフトを立ち上げて早速作業に入った。一瞬画面に映った気がした楽し気な顔をした人物には目を瞑って。
そして数日後、完成した絵を前に俺は姉の帰りを待っていた。彼女は今日帰ってくる予定だ。絵のデータも今日渡す約束になっている。
データを渡すその時、きっと自分はそれとなくねだるのだ。一体今度の話はどんな話なんだと。この絵にはどんな意味があるのかと。それを聞くのを楽しみにしていたことがばれないように。
絵を眺めていて、ふと気が付いた。
タイトルがない。
ファイルの名前は適当に付けてはいたものの絵自体にはまだ名前を付けていなかった。こうして完成してみると愛着も湧いてくるもので何か考えたくなっていた。
「そうだな……」
キーボードにタイトルを打ち込む。
『龍の町に星が降る』
我ながら思う。センスは中学生のままだな。とは言え、この絵を見るのは姉ぐらいのものだろうし、まあ、いいか。
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