風祭 今日子 1
夢ってなんだっけ。
私の頭は遂にそんなことを考え始めた。つまり心ここにあらず。さっきから体はゼンマイが切れかけたオモチャのようにノロノロと惰性で仕事をしていた。
「お待たせしましたー」
なんとも気の抜けた声だ。
私は食べ歩き用の小さな紙包に入れた饅頭を客に渡した。
彼女たちはそれを受け取ると、店員のやる気のない態度など気にも留めず、はしゃぎながら歩いて行った。
女性三人組の旅行者だ。
夏も後半だ。家族旅行は落ち着いた。大学生だろうか。夏休みを利用した女子旅だろうか。友情だな。楽しそうだな。羨ましいな。
雑に箇条書きでもするように彼女たちの青春に勝手に思いを馳せる。
彼女たちの離れて行く後ろ姿を眺めながら無意識にレジカウンターに頬杖を突いた。そして溜息も吐く。そんな様子を見かねたのか今度は同僚が小突いてきた。
「ちょっと、店長見てるよ」
「え?」
振り返った視線の先、蒸し上がった饅頭の湯気の向こう、強面の店長が和菓子製作で鍛えられた彼の太い腕を組みながら大魔神よろしく睨んでいた。
「げ」
良くも悪くも活が入った。太い腕で霧の中から引っ張り出されたような感覚。店長って凄いと思う。一睨みで店員の心を職場に連れ戻すのだから。
私は慌てて遠くなった客の背中に向かって声を上げた。
「ありがとうございました! またお越しください!」
しかしその声が客に届いた手応えはなかった。ただ朝の小忙しい街の空気に消えて行っただけだ。
そんな街の空気に微かに異質な低音を聞いた気がした。
ん?
空を見上げた。良く晴れている。聞こえた気がした音が雷かと思ったが違うようだった。
なんの音だ? まあいいか。それよりも……。
今はその正体よりこの場を取り繕うことの方が大事だった。
「いやあ、労働って素晴らしいね、ね」
私は同僚に向かって力強く微笑んだ。
「う、うん」
ぎこちなく笑う同僚。
そんな同僚のバックで心なしかさっきより大きくなっている音。どうやらこちらに向かって近付いているようだ。
そんな場合ではないのに何故か気になってしまう、そのせいか頭は半分その音について考え続けていた。
これは小さな車輪が転がる音だ。あ、そうだ、あれだ、キャリーバッグだ。何が異質な音だ雷だ。割と良く聞く音じゃないか。
「ちょーっといいかなあ、風祭さん」
不気味に笑う店長。
ニコリ。
車輪の音。
ゴロゴロゴロゴロゴロ。
店長の威圧感。
ゴゴゴゴゴ。
頭の中でほとんど自動的に漫画のコマ割りと効果音が思い浮かんでいた。
あー、えーと、次は、次のコマはどんなだろうか……。
私は店長に精一杯の愛想笑いを浮かべつつ、さっきまで音のことを考えていた方の頭で、いつの間にか漫画のコマ割りを考えていたのだった。
そうだ、キャリーバッグの音がちょうど店の前で止まるんだ。
ピタリ。
すると音は想像した通りに止まった。
そうしたら次はキャリーバッグの持ち主の声がして……。
「すみません」
これもまた想像通りのその声に、私はしめたと思い振り返って威勢良く返事をした。
さあ、主人公の登場だ。
「はい、いらっしゃいませ!」
そこにはキャリーバッグを片手に姿勢良く女性が立っていた。気のせいだろうか、それとも私の頭の中の主人公補正のせいだろうか、朝の光にキラキラと輪郭線が輝いて見えた。
女性は鍔広の麦わら帽子を取るとショーケースを覗き込んだ。うなじの辺りで一つに結んだ長く柔らかそうな髪がふわりと風に揺れた。
大きな丸い眼鏡の向こう、済んだ瞳でまじまじとショーケースを覗き込んでいる。
服装は丈の長いスカートと夏らしく爽やかなシャツ。全体的に清潔感のある印象だった。
大人女子の一人旅。雑誌に彼女の写真を載せるとしたらきっとそんな見出しが付くだろう。
背丈は私と同じくらいでそんなに大きくない。彼女が背筋を伸ばしてこちらに向き直ると視線がピッタリと合った。
「この、龍のたまごって名物なんですか?」
彼女はショーケースを指さしながら丁寧な口調で言った。
「はい龍のたまごですね! そうなんですよこの町、龍の伝説が多く残っている町でして。それに因んでって感じですね」
一方私は商売人口調。ここぞとばかりにアピールかましていた。目の前の客にではない後ろの店長にだ。どうです仕事してますよと。
「へー、龍の伝説に因んでですか」
良し。食いついてる。もう一押し。これでマイナスをゼロに戻してやる。
「うちのは炊きたて蒸かしたて、熱々で美味しいですよ」
「そうなんですね。じゃあ、五十個ください」
私の勧めに対して間髪入れずの注文。
「はいかしこまりました! 龍のたまご五十個ですね!」
反射的に返事をしたもののすぐにその異常さに気が付いた。
「五十個ぉ?!」
それはふらっと立ち寄った一人の客が気軽に注文するような数ではなかった。
しかし今目の前にいる女性は平然としている。微笑んでさえいる。そして驚きのあまり聞き返した私に対しても真っ直ぐな返事。
「はい」
「あ、お、お土産用ですか? でしたら保存の利く冷蔵の物もありますし、発送も出来ますので……」
女性の口から出た想定外の数字に驚きつつも冷静に逃げ道を探す。
「いえ、炊きたて蒸かしたてのやつをお願いします」
彼女は無邪気な笑みで逃げ道を塞いだ。
それで確信した。
冗談や悪戯じゃない。本気だ。本気でちょっと大変なお客さんだ。
どうなんだ。これはどうなんだ。これはマイナスがゼロになるやつなのか。正直キャパを超えた注文は有難いと言うよりも迷惑な気持ちの方が勝ってしまう。
私は店長の方をチラリと窺い見た。
店長は既に作業に入っていてこちらを一瞥すると小さく頷いた。ゴーサインだ。
よし、ゼロになるやつ。よーし、やってやろうじゃないか。
私は女性に向き直ると改めて営業スマイル全開で言った。
「ちょーっとお時間頂きますがよろしいですか?」
「はい、待ってます」
剣呑な雰囲気一つなく素直な返事。
むむ、いい度胸じゃないか。いいお客様ではないか。
女性の返事を聞いて私も動き出した。
現在ショーケースの中には僅かに見本程度の冷蔵龍のたまごと団子などの和菓子しかない。理由は単純、朝だからだ。この時間はまだまだ午後からの混雑時に向けての仕込みをしている時間だ。それに今は繁忙期でもない。常時在庫を抱えておける程の余裕はないのだ。つまり現状ショーケースには五十個もの龍のたまごはないのである。
ではどうするのか。答えは明白だ。作るのだ。これから五十個の龍のたまごを用意するのだ。幸いたった今蒸かし上がったものはある。勿論それはこれからのピークの時間に向けて準備していた商品でもあるので、改めてその分は作り直さなければならないが、店長からゴーサインは出ている。
さて、龍のたまご。所謂酒饅頭で、味はなかなか美味しい。しかし美味しいだけでは観光客向けのお土産としては弱い。と言うことで、この籠根町の観光名所の一つである珠守神社のご神体の大岩を模して作られている。その大岩が龍の卵と呼ばれているので、商品名も龍のたまご。
形を模しているとは言え、元が大岩なだけあって、それだけではただのふっくら丸い酒饅頭にしか見えない。だからさらにひと工夫として焼印を入れている。眠る龍の焼印だ。
その焼印は蒸かし上がったあとに一つ一つ店員の手で入れる。そして今はその作業が私のやるべき作業だった。
動き出した私は早速蒸かし上がった饅頭を並べて端から焼印を押し始めた。
饅頭に眠る龍の姿が刻まれる。
これを五十個。私はさっきまでの気怠さも忘れて一心不乱に作業を進めた。
眠る龍、眠る龍、昇る龍、眠る龍……。
何個かに一個シークレットの昇り龍の焼印を刻む。
手が疲れてもただひたすらに、火傷しないように慎重に。
そんな目の前の作業に追われる私。
無くなった仕込み分の饅頭の製造に入っている店長。
レジで他の客の対応に回っている同僚。
一人のお客の来店で店内は不意に慌ただしくなっていた。
一方店先ではその原因の女性客が饅頭の完成を待ちながら穏やかな笑みを浮かべていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます