宮下 遥 14

 図書館の場面は本と一緒に閉じられて次に目にしたのは珠守神社たまもりじんじゃの参道だった。敷地の一番外側に位置する一の鳥居の前から拝殿の方を見ている。奥には二の鳥居があり、十香とおかさんに出会った石段と門も見える。


はるかさん」


 彼女に声をかけられた。

 過去の私と遼太郎りょうたろう君が現れたのだ。

 二人は私たちの前まできて立ち止まった。


「ここにいっぱい屋台が並ぶんだ。すごい賑やかで人も沢山くるんだよ」


 遼太郎君が鳥居の左右と拝殿へ向かう参道を指さし言う。


「楽しそう!」


 頭に浮かぶのはその時想像した光景。祭りの賑わい、人の活気、溢れる光と音、その中を歩く私と……。

 風が吹いた。


「やっぱり天気崩れるのかな」


 遼太郎君の言葉が視線を空へ向ける。

 所々に雲は見えるが良く晴れた夏の空だ。


「大丈夫だよ」

「そうかな」


 彼が心配していたのは天気予報で雨が降るかも知れないと言っていたからだ。


「こんなに晴れてるし、すぐに行って帰ってくれば問題ないよ」


 でも私はそんな彼の心配をよそに自分の気持ちを優先した。今日の取材をとても楽しみにしていたのだ。


「そうだよな」


 笑い合った私たちに計画を中止すると言う選択肢は見えなかった。


 過去の私たちが神社に向けて歩き出すと、二の鳥居、門、拝殿へと順を追って場面が変わっていく。


 境内での最後の場面はご神体のある裏山の入り口だった。

 参拝を済ませた二人が山道を楽しそうに登っていく、その背中を見ていた。

 過去の私たちの姿が見えなくなった頃、山道の入り口に立ち入り禁止の看板が立てられた。


「悪天候のため……」


 十香さんが看板を見て呟いた。


「うん、あの日、雨が降ったんだ。天気予報の通りに」


 だけどもちろんその時の私と遼太郎君は看板が立てられたことを知らなかった、それどころか雨のことなど忘れかけていた。友達と二人でいると言う熱に浮かされていたのだと思う。ただ楽しかったばかりで不安を感じていたことなど覚えていない。


 次に二人の姿を見たのは場面が変わってご神体の前からの視点だった。


 三の鳥居。そういう風に言っていいかは分からないが、ご神体へのその最後の鳥居を潜って二人が広場に着いたところだった。他に人の姿はない。思えばこの広場も山道も人払いは済んでいたのだろう。だから看板が立てられた。私たちはそのほんの少しの間に山に入ってしまったのだ。


「すごい! ほんとに大きいね!」

「な」

「きてよかったよ。この迫力は実際に見てみないと分かんないもん」


 私たちの前で過去の二人がご神体を見上げている。

 白いワンピースが風に揺れていた。


「それになんだろう、安心するような不思議な感じがする」


 この時から私はご神体に特別なものを感じていた。もしかしたら私も十香さんのように元々波長の合う人間だったのかも知れない。



 それから時間が経って、計画していた通りの取材もすっかり済ませた頃、ぽつりと雨粒が肌を叩いた。


「やば降ってきた」


 最初に気が付いたのは遼太郎君だった。

 私も空を見上げて彼に言う。


「やっぱりカッパとか持ってきた方が良かったかな。スケッチブック濡れないようにしなくちゃ」

「そうだな急いで帰ろう」


 山の中でなければもっと早く気が付けたのだろう。けれどあいにく木々に囲まれた場所だったせいもあり本格的に降り出す直前まで気が付かなかった。山を下り始めるとまもなく雨脚は強くなりたちまち滝のような雨になったのだった。

 想像以上の雨の勢いは私たちの行く手を容赦なく拒んだ。登った時はなんてことのない道だった場所が途端に険しく私たちの足を苦しめた。

 そして沢の上を歩いている時ついに事故は起こる。

 雨でぬかるんだ道に足を取られたのだ。


「危ない!」


 遼太郎君が咄嗟に私の手を掴む、けれどバランスを崩し二人は崖を滑り落ちてしまった。

 一瞬の出来事だった。激しく降る雨の中、私と十香さんの目の前でほとんど声を上げることもなく二人は登山道から姿を消した。

 そのあとのことで微かに記憶に残っているのは、抵抗できない程の勢いで流れる濁流のなかで見え隠れする遼太郎君の姿。必死に私の手を掴み離れないようにしている姿だ。


 次に訪れたのは真っ暗な空間。私は直感的にここが記憶の最後の場面だと感じた。


 沢に落ちてからどれだけ時間が経ったのか、自分たちがどこにいるのかは分からなかった。ただ雨はもう止んだのだと思った。音が聞こえなかったからだ。

 目の前に遼太郎君が横たわっていることに気が付いた。他に何も見えないのに彼の姿は良く見えた。

 彼の衰弱は見るからに激しく私にも明確に命が失われていくのが感じ取れた。けれど確かにまだ息をしていた。


 遼太郎君。


 彼の名前を呼んでみた。

 声にはなっていなかった。

 手を伸ばそうとした。

 体は動かなかった。


 遼太郎君。遼太郎君。遼太郎君。


 何度も彼の名前を唱えるうちに、やがて私は龍の声を聞いた。

 それが何を言っていたのかどういう意味だったのかは今も分からない。

 だけど私は縋った。がむしゃらに縋った。そして願った。


 彼に触れたい。彼の傷を癒してあげたい。彼を安心させたい。彼を救いたい。彼の命を助けたい。どうしてもどうしても助けたい。私はどうなってもいいから。


 そんな自分がしたいことばかりを願った。最後に我儘ばかりな願いを。

 そこで私の記憶は途切れている。これが最後の記憶。

 真っ暗な空間も終わり場面は山道の入り口に戻ってきていた。


「私はあそこで命を……」


 自問自答をするように追体験したばかりの記憶を確かめているとそこにもう一人の私が現れた。山の方からこちらに歩いてくる。ワンピースを泥に汚して、ボロボロの姿で、その後ろには遼太郎君を背負って。

 もう一人の私は、私と十香さんの前までくると遼太郎君をそっと降ろし横たえ、こちらを向き直った。

 私は理解した。


「彼を助けてくれたのはあなただったんだね」


 龍が最後の願いを聞いてくれたのだ。きっと私が十香さんの中に入ってしまった時のように私の体を動かして。

 彼を助けたあと、偶然なのか、龍がそうしたのか、私と言う情報は記憶ごと龍の中に溶けていって龍と一つになった。膨大な情報の中で一度は自分を見失う、だけど時間と共に情報は集まり整理され私は自我を取り戻した。そして今の自分になった。

 私の姿をした龍は、私が理解したことを見届けたからか背を向けて歩き始めた。


「待って」


 追いかけようとすると周囲の景色がご神体の広場へと変わった。今度は記憶の再現ではなく最初の場所に戻ったのだった。

 私の呼び掛けに答えてくれたのか、龍は振り向き、私と、それから十香さんに一度づつ視線を送った。しかしまたすぐに前を向いてしまった。そして大岩に向かって歩き始め、まるでそこに重なり溶け込んでいくみたいに姿を消してしまった。

 まだ聞きたいことがあった。どうして記憶を隠していたのか。それを教えて貰っていない。

 消えてしまった龍にもう一度呼びかけようとした時に気が付いた。

 道の先、龍が消えたあたり、大岩の前の地面、さっきまで何もなかったはずの場所に花が生えていることに。

 良く知っている花だった。

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