雲川 深雪 9

 高校二年生、あの年の龍神祭りゅうじんさいの夜、私は一人公園のベンチに座っていた。



「ごめん。約束があるんだ」


 あの日、私の誘いに対して先輩は俯き黙ったあとそう言った。

 私は、短い一言の中に、その雰囲気に、彼が言外に伝えようとしていることを感じ取ってしまった。

 けれどそれを上手く呑み込むことができなかった。


「あ、あはは、そうなんですね、実はっ、友達に誘われて先輩も良かったら一緒にって思っていたんですが」


 咄嗟に誤魔化してしまった自分が滑稽で。


「ごめん」


 改めて真剣な表情で謝ってくれた先輩にはきっと、そんな誤魔化しはバレているんだってことも分かって。


「大丈夫です。大丈夫ですよ。ちょっと残念ですけど。本当に大丈夫です」


 それでも、そんな風に言い続けるしかできなかった自分がやっぱり可笑しくて。


「あの、今日は本当にありがとうございました。着物見てくれて。凄いって、先輩に褒めてもらえて嬉しかったです。作って良かったって、挑戦して良かったって、本当に思いました。では、それじゃあ、私はこれで」


 逃げ出すようにその場をあとにして、ほとんど日の暮れた道の上、一人になって。


「あー、そっかー、他に約束があったんならしょうがないよなあ。そうだよなあ」


 うそぶくように呟いて。


「あはは、緊張したあ。でも、着物見せられて良かったなあ。褒めてもらえたし、本当に良かったあ」


 笑った私は泣かなかった。



 所々街灯に照らされているだけの公園は薄暗く静かで、時折遠く風の中に聞こえる祭りの喧騒がなおさらこの場所の寂しさを感じさせた。


 先輩に誘いを断られた私は後日「一緒にお祭りに行ってもいいかな」と由美ゆみにそう言った。私と先輩の関係を気にする彼女との会話の流れの中で、なるべくなんでもないように見せたかったための発言だった。


「先輩、他に約束があって行けないみたいで、だから、やっぱり由美たちと一緒に行こうかなって思って。先輩の変わりみたいで感じ悪くてごめんだけど、せっかく着物も作ったし、着て行けたらいいなって、駄目かな」


 けれど、そんな由美との約束も破ってしまった。どうしても着物にそでを通すことができなかった。

 友達と祭りに行くと親に伝えていたので家にも居づらく、それで結局、Tシャツに緩いデニムと言うラフな格好で外に出て、こうして今この場所に居る。


「馬鹿だなあ私」


 それは、由美に変に誤魔化してしまったこと、その上自分からした約束を破ってしまったこと、それだけではない。

 私は先輩とのあの日の会話を後悔していた。


「聞いちゃえば良かったのに」


 約束って、彼女さんですか?

 おどけた感じで軽く。

 そうすれば、もやもや悩む必要だってなかったのに。


 ……。


 浮かんだ言い訳めいた言葉に心の中で首を振る。


「違う」


 この期に及んでまだ誤魔化そうとする自分が情けなかった。


「言えば良かったんだ。好きだって」


 そうだ、それでもっと、すがれば良かった。泣いてしまえば良かった。破れて散り散りになるんだとしても、はっきり伝えていれば良かった。


「こんなに、好きなのに」


 私は先輩に断られてやっと自分の気持ちを自覚することができた。


「馬鹿だよ、ほんとに……」


 だけどそれは今更どうすることもできなくて、そしてこれからも、どうすることもできなくなってしまった。


 私はベンチの上で膝を抱えて小さくなった。


 肌寒い夜の空気の中、自分の体温が温かく、その温もりを感じながら、ふと不思議な感覚にとらわれる。

 それは幼い頃、一人で遊んでいる時や叱られた日の布団の中、或いは影長く伸びる夕焼けの帰り道、そんな場面で覚えた感覚。

 イマジナリーフレンド。想像上の友達。自分のことを一番理解してくれて、そっと寄り添ってくれる親友。この町では龍の子と呼ぶ。


 今彼女が隣に居る。姿は見えないけれど、優しいその存在を感じる。


「……私ね」


 自然と、彼女に話をするように声を出していた。



「好きな人が出来たんだ。穏やかで、優しくて、時々寂しそうに笑う人」



「その人のおかげで、大事なことも思い出せたんだよ」



「だけど私、鈍いから、自分の気持ち、ずっと分からなくてさ」



「やっと分かったんだ。断られてやっと分かったんだ。先輩のことが好きなんだって」



「でも、一緒に、分かっちゃったんだよ。先輩にも好きな人が居るんだって」



 それは直感にも似たものだった。誘いを断られたあの時、私は必死に喋りながらもそのことに気が付いてしまっていた。撫子なでしこを見る先輩の笑顔の先に、この町を出て行きたいと言う先輩の本心の理由に、いつもその人が居たのだと言うことに。

 正確に言えばどちらが先かは分からない。先輩の気持ちに気が付いたことで、自分の気持ちにも気が付いたのかも知れない。だけどあの瞬間に私は知った。



「私、恋をしていたんだ」



 けれどこの想いを伝えることはできない。先輩の想いも知ってしまったから。分かってしまったから。

 困らせてしまうのも、否定の言葉を聞くのも、今の関係が終わってしまうことも、そのどれもがただ怖い。



「どうにもならなくなっちゃった」



 だから、好きだと言ってしまえば良かったのだ。そうすればもう終わることができていたはずだから。



「ね、私どうしたらいいかな。また分からなくなっちゃったよ」



 答えは返って来ない。あたりまえだ。隣に居る親友は幻想なのだから。



 その時、ふと、ずっと傍にあったように感じていた気配が消え、それと同時に目の前に別の気配が現れた。



深雪みゆき


 耳慣れた声に名前を呼ばれ、顔を上げるとそこには由美が立っていた。


「なんで?」


 思わず口からこぼれた疑問。

 彼女は別の友達と祭りに行っているはずだった。ここに来るはずもなかった。


「あー、深雪の家に連絡したら、もう出たって言われたからさ」


 少し荒い呼吸を整えながら由美はそう言って私の隣にドカリと座った。


「ちょっと探しちゃったよ。ちゃんと携帯持ってて欲しいよね。知ってる? 携帯電話って携帯しないと意味ないんだぜ。それかここに居るって伝えておいて欲しいわ」


「いや、あの、そうじゃなくて……」

「深雪って嘘吐くの下手だよね。まあ、なんか、ばればれって感じ。しょうがないから泣き言の一つでも聞いてやろうかなとか思ってたんだけど、待ち合わせ場所に来ないから、こっちから来てやったわって感じ?」


 由美は、ふう、と一息吐いて、そでで汗を拭った。


「化粧落ちるなあ、ま、暗いし、いっか」


 彼女は化粧もしていたし、カジュアルなパンツスタイルだけれどしっかり外用のお洒落な格好をしていた。それなのに今は足を広げて、襟元えりもとをパタパタやりながら、ここに居る。


「龍神祭は、いいの……?」

「ん? んー、龍神祭はその内行ければいいかな。他の子にもちゃんと断って来たし。それよりこっちの方が大事」

「大事?」


 向き直った彼女と目が合う。


「深雪の方がずっと大事。大事な友達が一人で落ち込んでるかもしれないのに放っておけない」


 私は何も言えず、しばらく二人で見つめ合ってしまった。すると照れ臭くなったのか由美は視線を外して横顔を見せた。唇が少し尖っている。


「うはは、ちっと恥ずかしいな。あ、でも、あんまり期待されても困るよ、別にいいこと言える訳でもないし、面白いこと言って笑わせるとかもできないし……って、えええ」


 もう一度彼女がこちらを向いた時、私は泣いていた。


「ゆみぃ……!」

「わ」


 抱き着いた私を受け止めて、ちょっと慌てたあと、由美は優しくそっと呟いた。


「まあ、なんにもできないけどさ、話くらいなら聞くからさ」


 夜の公園は相変わらず静かで、静かだけれど、自分の泣き声で遠い祭りの音はもう聞こえない。


 確かに感じる温もりの中、安心した私は、ふと、龍の子が微笑んだ、そんな気配を感じたのだった。

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