宮下 遥 5

 早足で崖上の遊歩道から川辺へ下りてきた私たち。ちょうど話の結論にも辿り着いたところだった。


「もしかしたら観光名所とかじゃない方がいいのかも」


 私の言葉に十香とおかさんは頷いた。


「そうですね、確かにもっと日常的な場所にこそ手掛かりがあるのかも知れません」

「そうだよね」

「でも、まだ探し始めたばかりですし色々見て回ってみましょう」

「うん、あ、あの人かな」


 進行方向の先、石積みの土手の上、女性がこちらを向いて座っていた。


「そうだと思います」


 会話を止め、十香さんはさらに足を速めた。ゴロゴロとキャリーバッグの車輪がせわしなく回る。もちろん私もついて行く。


「す、すみませんでした! 本当に」


 女性の目の前で頭を下げる十香さん。手に持っていたビニール袋がガサリと音を立てた。それから顔を上げ、息を弾ませながら尋ねる。


「大丈夫でしたか? お怪我とかされてませんか?」


 それに対して女性は立ち上がって笑顔で返事をくれた。


「全然問題ないです。大丈夫です」


 どうやら怪我は無さそうで、それに怒ってもいないようだったので私は安心した。

 それから片手を差し出した彼女、その手にはお饅頭があった。昇り龍の焼印だ。さっき飛んで行ったものだろう。綺麗なままだったので少し驚いた。彼女が地面に落とすことなくキャッチしたのだろうか。


「龍のたまごも無事ですよ」

「え?」


 そこで何かに気が付いたような十香さん。

 初対面とは違う不思議な空気を感じて、私は二人の顔を交互に見た。


「あ、和菓子屋さんの……」

「はい、お饅頭好きのお姉さん」

「あれ? 知ってる人?」


 思わず口を突いて出た私の問い掛けに、十香さんは横目でチラリとこちらを見て少しだけ頷くと、気恥ずかしそうに女性からお饅頭を受け取った。


 出会ったのは十香さんと顔見知り、と言うか彼女が今朝お饅頭を買ったお店の店員さんだったのだ。


 確かにあんなにたくさん買うお客さんがいたら覚えちゃうな、なんて思ったけれど十香さんの手前それは口には出さないでおくことにした。


「あの、もしかして、店員さんもお饅頭食べようとしてました?」

「え、あ……、あはは、まあ、そうですね」

「ふふふ、可笑しいですね」

「よかったら一緒に食べます? お饅頭」


 それは店員さんからの思いもよらないお誘いだった。

 十香さんなら首を縦に振るだろうと思ったけれど、意外にも彼女は少し戸惑った顔をしていた。

 その原因にはすぐに気が付いた。


 あ、そうか、私が居るから。


 それから急いで十香さんに伝えた。


「私のことは気にしなくて大丈夫だよ、ちょうどいいしちょっと休憩しようよ」


 私の言葉を聞くと十香さんは笑顔で店員さんに返事をした。


「はい。是非」



 私たちは土手に三人並んで座った。十香さんを真ん中に左右に私と今日子きょうこさん。ちなみに店員さんの名前は風祭今日子かざまつりきょうこさんと言った。


 私は今日子さんとは話ができないけれど、隣の二人の会話を聞いているだけでも楽しかった。


 午後の光に輝く川面。水の流れる音。

 なんとなくだけど、こんな感じ前にもあったような気がする。


 だけどそれは、まどろみの中で夢を見ているようで、心地良いばかりではっきりとはしなかった。


 十香さんはいつの間にか今日子さんと打ち解けてしまい、隣で見ていた私は感心してしまった。ついでにどんどんお饅頭を食べる彼女の食欲には改めて驚かされた。


 しばらく話した頃だ、十香さんは少し私の方を気にするようにしながら今日子さんにこう言った。


「あの、よかったらなんですけど、案内していただけませんか? この町のこと」

「え?」「え?」


 今日子さんと声が重なった。


「あ、いえ、その、もちろん無理にとは言いませんし、嫌じゃなければですけど」


 それは今日子さんだけではなく私に向けた言葉でもあると気が付いた。


 最初はちょっと驚いたけれど、少し考えてみて私もいいアイデアだと思った。この町で働いている今日子さんなら色々詳しいだろうし、日常的な場所に潜む手掛かりに導いてくれるかも知れないからだ。


「いいアイデアだと思う、私も賛成だよ」


 そう伝えると今日子さんからもちょうど同じような答えが返ってきた。


「いい、ですよ」

「やったね十香さん!」

「ドラ饅を一緒に食べた仲です。バシッと案内しますよ」

「ドラ饅?」


 ドラ饅?


 私は今日子さんの言葉に、十香さんと同じように首を傾げた。だけどきっとその意味は彼女とは違うものだったと思う。聞き覚えがあったのだその言葉に。


「あ、すみません。龍のたまごのことです。ドラゴン饅頭で、ドラ饅」


 そんな言葉の由来にも。

 頭の中に、まるで私が喋っているかのようなイメージが浮かぶ。

 今日子さんが十香さんにじゃない、私が誰かに喋っている。


『ドラゴン饅頭で、ドラ饅』


 だけどそれ以上のイメージが出てこない。


「ドラ饅、面白いですね」

「あんまりお客さんの前で言うと店長に注意されるんで言わないようにしてたんですけど出ちゃいました。まあ、とにかく案内の件は任せてください」

「ありがとうございます!」


 隣で楽しそうに話す二人をよそに私は一人、川に流されて行ってしまいそうな小さな記憶の欠片を握りしめていた。

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