一ノ瀬 司 2
絵を描いてくれと頼まれてから数日後の今日、姉は約束通り帰ってきた。自分の家なのだから帰ってくるのは当たり前のはずなのだが、それが当たり前でないくらい彼女は普段家にいない。
シャワーを浴びた姉は、髪も乾き切らないうちにデータを受け取り、居間のソファーに腰掛け、早速自分のノートパソコンで確認を始めた。
「なるほど、なるほど、いい絵じゃん。さすが
絵についての指示はあの最初の電話とメールのあとにもあった。空に描く星、人物の性別や体勢、細かい部分の修正などについてだ。
「それで姉ちゃん、今回は何してんだよ?」
グラスに注いだ牛乳を一つ姉の前の机に置いて、それとなく、さりげなく、気にしていたことがバレないように聞いた。
「ふふふ、まあまあ、ちょっと待っててね。牛乳ありがとう」
こちらには取り合わないで姉はパソコンの操作を続ける。
待つしかない俺は手持ち無沙汰になって彼女のハス向かいのソファーに座った。
自分ように用意したグラスの牛乳に口を付ける。
姉がパソコンで何をしているのかは見えなかったが最後の一言でそれがデータのやり取りだと分かった。
「送信っと」
「は? 姉ちゃん、もしかしてその絵、誰かに見せんの?」
「まあねえ」
「そう言うことは一応許可取って欲しいんだけど」
「まあまあいいじゃん、私たちの仲じゃないか。それに司だって分かってたでしょん」
「まあ……」
実際、予想はしていた。と言うか本当はそう思っていた。何か題材があって作品を作る時、それは誰かに見せるのが前提である場合がほとんどだからだ。だからまあ、外に出せるようにそれなりに気合いを入れて描いたつもりだ。
「タイトルも素敵だし、ふふ」
「タイトル?」
牛乳を口に含んだ状態でなんのことかと考え、ハタと気付く。
絵に付けたタイトルを消していない――。
「んぐっ!」
飛び出しそうになった牛乳をなんとか飲み下し咳き込んだ。
「ちょっと」
パソコンを守るように抱え眉をひそめる姉。
「タ、タイトルってそのまま、あのまま送ったのかよ!」
「そうよ。わざわざ消す必要ないじゃない。それに素敵なタイトルだと思うし」
そう言われて、タイトルを付けた時の自分を思い出す。
『龍の町に星が降る』
我ながら思う。センスは中学生のままだな。とは言え、この絵を見るのは姉ぐらいのものだろうし、まあ、いいか。
なんて、今思うと少し斜に構えて考えていたことが、一連の行動全てが恥ずかしい。
ぐああ……!
できたばかりの歴史の一ページにしばらく悶えたあと、なんとか落ち着いてきた俺は改めて姉に尋ねた。
「それで? 一体何してんだよ」
姉はパソコンを閉じ、やっとこちらに向き直って話し始めた。
「あの写真、司にも送ったやつ。あの場所に行ったんだよ。そしたらそこで龍神様に会ってね」
「ちょっと待った。それこないだも言ってたよな。龍神様って」
「そうだね」
「そもそも龍神様って何?」
「んー、どうせなら会わせてあげたいけど今いないからなあ。司も
「は? どう言うことだよ」
「あれはあの町だからってこと。籠根町は龍の揺り
「偶然、ねえ……」
この姉においてそれは本当に偶然と言えるのだろうか。
「そうだなあ、ご神体がサーバ、龍が
「……分からないんだけど」
「ま、波長が合ったってことで」
おそらく超常的な現象に触れたであろうくせに、そんな一言で笑って片づける姉が、姉らしくもあったけれど信じられなかった。
「ん? ところで遥ちゃんって」
「あ、遥ちゃんのこと話してないか。んー……」
そこで姉は牛乳を口へ運ぶ。
それを見て、しまった、と思った。
牛乳と一緒に今話そうとしていたことを飲み込んでしまうような、そんな気がしたのだ。
案の定、姉はグラスを置くとさっぱりした顔でこう言った。
「やっぱりまだやめておこうかな」
こうなってしまっては、たとえ食い下がってみてもきっと姉は話さない。姉は基本的に強情なのだ。
それに食い下がるなんてことをしたら姉の話を楽しみにしていたことがバレてしまうようで嫌だった。
仕方ないので詳細についての追及は諦め概要について聞く。
「まだってことは、まだ解決してないってことなのか?」
「そうだね、まだ大事な、とっても大事なことが残っているの」
含みありげにそう言ったあと、姉は遠くを見るような顔で微笑んだ。
大事なことって? と尋ねようとした時、今度はこちらを向いてニンマリと笑う姉。
「だから、司君はもうちょっと待っててね」
心の内を見透かしているかのような笑顔を向けられて思わず席を立ってしまった。
「あれ? どうしたの?」
「牛乳、無くなったし。部屋でやること思い出した」
誤魔化す、が、苦しい。
「えー、もうちょっとお姉ちゃんとお話ししようよ」
「嫌だ」
一刻も早くこの場を離れたい。姉にからかわれる弟の自尊心だとか、見透かされた羞恥心だとか、話を聞きたい好奇心だとかがせめぎ合ってざわざわしている。だからと言ってそれをむやみやたらにぶちまけられる年でもない。だからとりあえずこの場を離脱したい。
「なんでー?」
まだおちょくるように言ってくる姉をよそに俺はグラスを片付け部屋を出る。
一応部屋を出る直前にこう言い捨てた。
「全部終わったらまとめて聞くから」
そんなことがあった日からまた数日後、姉は再び籠根町に旅立って行った。今度は学校に行って人に会うのだとか。ちょうど二学期が始まって一週間ほど経った休日のことだった。
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