雲川 深雪 3
放課後、いつもの渡り廊下前。
「じゃあ部室行くね」
「うん、私も委員会の仕事」
そう伝えると、由美にまん丸い目でジッと見つめられた。
「深雪……」
「な、何? どうしたの?」
「最近何かあった?」
「え?」
「あ、ううん、別に悪い意味じゃないんだけどね。なんて言うか、えーと、あ、そうだ、憑き物が落ちた? みたいな」
「つ、憑き物?」
「うーん、言い方あってるか分からないなあ。ほら、深雪ずっと元気なかったじゃん。それが普通に戻ったって言うかさ」
「え、そ、そうかな」
「そうだよ。安心した。ちょっと心配してたから」
「そうなの?」
「うん」
「……ごめん」
「なんにも謝ることないよ。とにかく良かったよ。じゃ、行くね、また明日ね」
「うん、また明日」
私、何か変わったかな。
由美と別れて、いつものルートを辿りながら考えた。
勉強が出来るようになった訳ではない。友達だって増えた訳ではない。学校が楽しくなったのかと言えば、特別そんなこともない。
「失礼します。用具倉庫の鍵借りて行きます」
職員室に入って近くに居た国語教師に伝える。
「おう」
返事はそれだけ。前のようなお使いはなさそうだった。
それから、鍵を片手に用具倉庫へ向かう道すがらまたぼんやり考える。
あ、でも、楽しいってほどではないけれど……。
実は委員会の仕事に行くことが嫌じゃなくなっていた。理由はたぶんこの間の一件。
あれ以来、私は環境委員の仕事のたびに図書室を気にするようになっていた。
わざわざ図書室に行ってまでとは考えていなかったけれど、機会があれば先輩にお礼を言おうと思っていたからだ。
例えばまた図書委員に日誌を届けるとか。
だけど結局その機会は訪れていない。
図書室で先輩はいつも同じ席に居た。
けれど先輩が私の方を振り向くことはなく、今日までずっと後ろ姿を見ることしかできていなかった。
もちろん今だって。
仕事の準備を整えた私は花壇の前。
花壇から見える図書室の窓には席に座る先輩の背中。
せめてこっちを向いてくれれば会釈くらいは出来るのに。
一向に振り向いてくれない背中を見ながら私はまた考える。
こんな感じで先輩のことを気にしながら週に何回かの委員会の仕事をこなして、他の時間も、思えば結構そのことを考えていて……、あ、そうか、だからかも知れない。だから由美には憑き物が落ちたみたいに見えたのかも知れない。だって、ぼんやりした憂鬱感よりも、具体的な相手がいる悩みの方がマシだから。
先輩と言う対象が憂鬱の霧の中で道しるべになっていたのだ。
花壇の中で膨らむ蕾の前、不意に由美の問いに答えが出た私だった。
変化があったのは、しばらく経ったあと、一学期の中間テストが終わって季節が変わろうとしている頃だった。
その日、いつものように委員会の仕事に向かうと、花壇の前に人が立っていた。
「あ……」
見覚えのある背中は大平先輩のものだった。
先輩は私に気が付くと振り向いて言った。
「君、環境委員だったんだね」
私のことを覚えていてくれた。
「あ、はい。あの、せ、先輩、この前」
お礼を言わなくちゃと、そのことで頭が一杯だった、だから目も合わせずいきなり切り出してしまった。
「この前?」
だけど時間も経っていて、先輩は今更何を言われるのか分からないようだった。
「あの、ありがとうございました。日誌、渡してくれて」
「ああ、なんだ、いいよ別に。俺から提案したことなんだし」
「でも、お礼を言うのを忘れていて、時間も経ってしまって」
「大丈夫、気にしてないよ。それより俺の方がお礼を言いたいくらいだよ」
「先輩がお礼、ですか?」
もちろん心当たりはなく、だからちょっと固まってしまった。
「君、いつも花の世話をしてるだろ。偉いなと思って」
知っていてくれたんだ。
先輩が花壇の方を向き直ったので、それにつられて視線を上げた。
その時、不思議と時間がゆっくりと感じて、私はその中で初めて先輩の顔をまともに目にした。
一つ年上なだけなのに、同級生よりもずっと大人びて見える横顔。少し風に流される前髪、透き通る茶色がかった瞳も、そしてどこか遠くを見ているような眼差しも。
先輩が言葉を発するために、唇を開くのが分かった。
「好きなんだ。この花」
瞬間、その声を聞いた瞬間、時間は止まって、懐かしそうに目を細めた先輩の顔が、少し寂しげな優しい声が、いつか再会するべき写真のように、どうしようもなく私の心に焼き付いた。
「じゃあ、俺はそろそろ行くから」
「あ、はい……」
先輩はそう言うと校舎の方に歩いて行った。
私は先輩が立ち去ったあともしばらくそこで動けないでいた。
花壇では咲いたばかりの赤い
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