雲川 深雪 4

 その日から花壇の前に居る先輩を良く見かけるようになった。

 放課後だけではなく休み時間や何かの隙間の時間、私も外に出る際、自然とその姿を探していた。

 先輩はいつも撫子なでしこの花を見ていた。そして私に気が付くと振り向いて笑った。その笑顔はどこか寂し気で、見る度なぜか胸が苦しくなるのだった。

 けれど、そんな胸の苦しさも、挨拶とほんの少しの会話も、確実に私の顔を上に向かせていた。

 いつの間にか委員会の仕事は楽しみになって、学校生活自体、憂鬱に思うことはなくなっていた。



 ホームルーム後のざわつく教室、私は手早く荷物をまとめて席を立った。


「あれ? 今日早いね」


 すぐ後ろ、まだ席に座っている由美が顔を上げて言った。


「うん、早めに行ってやりたいことがあるんだ」


 へー、と薄ら笑みを浮かべた由美。


「最近いいことあった?」

「え?」

「例えば、好きな人ができたとか?」


 心臓が跳ね上がった。喉が詰まった気がして、咄嗟に声が出なかった。それでもしっかり顔には出ていたようだ。


「あはは、ごめんごめん。なんか最近、楽しそうだからさ」

「あ、はは、そっか、そっかな」

「ね、そこまで一緒に行こ。私ももう出るからさ」

「う、うん」


 内心焦る私をよそに、なんでもないように由美が席を立った。さっきのはちょっとした冗談のつもりで言ったみたいだった。けれど私の心臓はまだ落ち着いていなかった。



 花壇を前にしても教室での由美との会話が頭から離れなかった。

 好きな人。そう言われて思い浮かべたのは、大平おおひら先輩だった。だけど私は自分の気持ちに確信が持てていなかった。恥ずかしい話、今まで身近な誰かを好きになったことがなかったからだ。


 私、先輩のこと、好きなのかな……。


 その答えは分からない。けれど、私が少しだけ前向きになれたのはきっと先輩のおかげだ。それは自分でも分かっている。


 委員会の仕事だって単純に与えられた仕事をするだけじゃなくなった。先輩と言う花壇を見てくれる存在のおかげで、自分でもあれこれと気が付くようになった。花壇のレイアウトをもっと良くしたいなんて欲も出て来たくらいだ。

 今日だって、崩れかけたレンガを新しいものに変えたいと思い、委員会の先生に直訴までして新しいレンガを出してもらった。我ながら凄い変化だと思う。


 けど、それって、好きってこと、なのかな……。


 ……。


 ……。


「うん、分からないものは分からない。さ、とにかくやっちゃおう」


 私は考えるのを無理くり止めた。


 軍手をはめて、シャベルを片手に、しゃがんで作業を始める。黙々と。今日は暑くて額に汗が浮かんでくる。

 しばらく経っただろうか。時間は良く分からなかったけれど、もうほとんど花壇を直し終わった時だった。


雲川くもかわ


 本日二度目の心臓の跳躍で胸の壁がドンと叩かれた。

 目の前の作業に集中し過ぎていて人の気配に気が付かなかったのだ。

 明らかに驚いていたのだろう、先輩は私の様子を見て少し心配そうな表情を浮かべていた。


「ごめん、びっくりさせたかな」


 勢い良く立ち上がって首を振る私。


「大丈夫です。全然。本当に」


 急に動いたからか額の汗が垂れてきて、慌てて手で拭った。

 それを見て先輩が言った。


「雲川、おでこ」

「へ?」

「土、付いてるよ」

「え!」


 軍手の土が付いてしまったみたいだった。

 私はさっきより慌てて、軍手を外してハンカチで顔を拭いた。

 恥ずかしくて夢中でこすって、そのあと、顔を上げると先輩が笑っていた。

 顔が真っ赤になった。でも笑われているのに嫌な気持ちはしなかった。先輩のその笑顔が私に向けられた笑顔だとハッキリ分かったからだ。


 きっと変な顔をしている。恥ずかしいのに嬉しくて、見られたくないのに見て欲しい。なんだか分からないのに胸が高鳴っている。


「雲川は偉いな」

「いえ、そんな、ただ委員会の仕事、してるだけです」


 もう顔が熱いのか気温が高くて暑いのか分からない。夏休みも近いので暑いのは確かだけれど。

 先輩も今日の暑さに夏休みを連想したみたいだった。


「雲川は夏休みの間も来たりするの?」


 そんな質問。


「はい、私当番になってしまって。家も近いので」


 先日の委員会でそう決まった。もちろん当番は私だけではない。けれど、部活をやっていないこと、家が近いこと、それと最近の仕事に対する熱心さから当番の回数は私が一番多くなった。

 正直、今となっては嫌ではなかったけれど少し残念な気持ちもあった。夏休みだと先輩に会えないからだ。


「じゃあ、会うことあるかもね。夏休みも図書室開いてるみたいだし」


 先輩の一言。


 夏休みが楽しみになった。

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