風祭 今日子 10
夢を見ている。
夢の中で私は転がるドラ饅を追いかけていた。
ドラ饅は止まることなく転がり続けた。
私はそれがどうしても欲しくて必死に追いかけていた。
手を伸ばしてもドラ饅は捕まえられず、果ては飛んだり跳ねたりしながら私の手をすり抜けた。
次第に私は追いかけることにも疲れて、ドラ饅との距離も離れていき、とうとう足を止めた。
疲労感と焦燥感の中、呼吸を整え前を向くも、ドラ饅はもう見えなくなっていた。
暫く立ち止まっていた私だったが、どうすることも出来ず、来た道を戻ろうと振り返った。
振り返るとそこに女の子が立っていた。小さな女の子だった。女の子はその手にドラ饅を持っていた。私が追いかけていたドラ饅だった。どうしてかそれが分かった。
私がそのドラ饅を返して貰おうと手を伸ばすと女の子は言った。
「これがほしいの?」
私は頷いた。
「本当に?」
また頷いた。
「でもまた失くしちゃうんじゃないの?」
首を横に振った。
「本当?」
今度は縦に振った。
「じゃあ、もう失くしちゃ駄目だよ」
私は頷いて、そして手を差し出した。
女の子はその手にドラ饅を置くと、そのまま私の手を包むようにして言った。
「ね、そろそろ起きて」
私はなんのことか分からず首を傾げた。
「起きて」
どうしたらいいか分からないまま立っていると、
「起きろー!」
ついに女の子が叫んだ。
「わあ!」
私は飛び起きた。
「夢?」
夢を見ていた気がした。だけど上手く思い出せない。誰かに叩き起こされたような、それで驚いて目が覚めたような、そんな感覚だった。
部屋にはカーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。私はベッドの上にいて、居間のテーブルの上には昨日の宴会の跡がそのまま残っている。小さな寝息に気が付いてそちらを見ると十香さんが寝袋に包まっていた。
「寝袋……」
昨晩のことを思い出した。十香さんが当たり前のようにキャリーバッグから寝袋を取り出してびっくりした。
「これがあればどこででも眠れますから」
十香さんはその言葉通り今も気持ち良さそうに眠っている。
眠りに就く前のことだ、電気も消してそれぞれ横になった私たちはその状態で少しだけ話をした。
「十香さんはどうして旅をしているんですか?」
何気ない質問だった。十香さんから色々な旅の話を聞いていたからふと頭を過ったのだった。
「私は自分の物語を探しているんです」
そんな答えが返って来た。
「理由は、本当は自分でも良く分かっていないのかも知れないのですが、そうですね、きっとそれが私の夢だから、でしょうか」
「夢……」
「私も大事なその夢を失くしたくないんです。もしかしたらただの我儘かも知れませんが。ねえ今日子さん、私思うんです、我儘かも知れないけれど、でもそんな風に我儘でいいんじゃないかって。例え都合良くたって、自分の心に対してくらいは真っ直ぐでいていいんじゃないかって。もちろんそれで周りの人に迷惑や心配をかけ過ぎるのはあまり良くないこととは思いますが。それでも私は苦労をするなら夢のためにしたいですし、きっとそんな夢を前にする時が来たら、形振り構わずそれに手を伸ばすと思います。だってこれは私の人生で、私は私だから」
胸が締め付けられているような感覚がした。締め付けているのは他でもない私の小さな手だ。ペンだこで固くなった指先が、それは私の手だと言っていた。
「ふふ、変なこと言ってしまいましたね。まだ酔ってるみたいです」
「あ、いえ、全然そんな」
「もう寝ましょう」
「……はい」
昨晩の会話がまだ目の前にあるように感じた。
その時だった。外から車の音が聞こえた。その音は聞き慣れた資源ゴミの回収車の音だった。音は遠く、回収車はまだ数軒先の回収先にいるようだった。
急激に鼓動が高鳴るのを感じた。
「ん、おはようございます……」
私の気配に気が付いたのか、回収車の音のせいか十香さんも目を覚ました。
「あ……」
目が合った十香さんは私の顔を見て何かを察したのか、表情を変えすぐに寝袋から抜け出した。
「どうしたんですか?」
「ノートが……」
回収車の音はもうそこまで来ていた。十香さんもその音が何か気が付いたようだ。
「私、どうしよう……やっぱり……」
「今日子さん」
十香さんは真剣な表情で私の顔を見ている。
回収車は遂にこのアパートまでやって来た。業者の声とゴミ置き場の戸を開ける音が聞こえる。
「私……」
十香さんは私の言葉を待っているように何も言わない。
鼓動が速い。口も乾いている。上手く声が出せる気がしない。
だけど十香さんは待ってくれている。
私の言葉を。
だったら出すしかない。
声を。
言葉を。
「私は……!」
私は、失敗して、失って、だらしなくて、優柔不断で、最低で……。だけど、だけど、私も、私も我儘でいたい。私は夢と一緒に生きていきたい。
そして私はついに素直な気持ちを吐き出した。
「私、嫌だ、やっぱり嫌だ! ノート捨てたくない! 諦められない! 捨てたくないよ!」
決壊したダムのように、ダムから流れ出る濁流のように、言葉は感情を乗せ私から飛び出した。
「はい!」
私の言葉を聞くとすぐに十香さんは力強い笑顔で返事をした。まるで期待していた答えが聞けたとでも言うように。
そして振り返り、すぐさま部屋を飛び出していった。
私が動けないでいる一瞬の間だった。
気が付けば回収車はもうこのアパートの作業を終えたようで、音は離れて行っていた。
「十香さん……!」
私もベッドを降りた。よろけて当たったテーブルの上で空き缶が何個か倒れた。姿見に映った自分に、寝起きのままと言うことで逡巡するも、すぐに裸足のまま靴を突っ掛け部屋を飛び出した。
朝の眩しさに目が眩む。だけど引き返せない、私は目が慣れるその間に靴を履きなおした。それから転がるようにアパートの階段を駆け降りる。
「いない」
アパートの前に出ても、もう回収車も十香さんの姿も見えなかった。
だけど音は聞こえた。静かな朝の街だ、胸を叩く心臓の音の方がうるさいくらいだ。
こっちだよ! 早く!
誰かに呼ばれているような気がした。
私はその方向に向かって走った。車の音もそっちから聞こえる。
寝起き過ぎて体が上手く動かない。鼓動を強く感じる。呼吸も荒い。頭も少し痛い。それでも足を止める気は無かった。
十香さんが走っているのに私が走らない訳にはいかない。それに今追いかけてるのは、自分の大切な夢だ。止まれない。絶対に止まっては駄目だ。
頑張れ!
交差点の少し手前、その声が聞こえた一瞬、小さな女の子とすれ違った気がした。だけど私は振り返らなかった。交差点を曲がった道の先、十香さんの姿があったからだ。
寝間着姿の十香さんと道路脇に停車した回収車。十香さんは回収車に追いついていた。作業員に頭を下げ、その束を受け取っているところだった。その束は見間違えるはずもない確かに私のノートの束だった。
私が追いついた時、回収車は走り去り、十香さんは振り向いた。
「重いですね」
十香さんはノートの束を両手で丁寧に持ちながらいつものように笑った。
「十香さん……」
息を切らした私がそれ以上何も言えないでいると十香さんが言った。
「今日子さん、寝ぐせ凄いですよ」
そう言う十香さんの髪の毛はそれは見事に千々に乱れていた。
「十香さんだって……」
一瞬あと、二人して吹き出して笑った。
ボサボサ頭の寝間着姿の女が二人、朝の道端でゴミみたいなボロボロのノートの束を持って笑っている。可笑しくて可笑しくて涙が溢れた。
「もう無くしちゃ駄目ですよ」
「はい」
昨日より心地良く感じる風は自分の熱のせいだろうか。町は明るく空は晴れている。季節は確実に前に進んでいる。だけどきっと今日も暑くなる。
再会を約束して十香さんと別れて数日後、十香さんからメールが届いた。メールに
は十香さんからのメッセージとURL。
『うちの弟中二病なんです』
そんな一文と、弟さんの描いた絵のアップロード先のURLだった。
絵をダウンロードしてそのタイトルを見た時、十香さんの一言と相まって笑ってしまった。
『龍の町に星が降る』
「ふふ、確かに中二病かも」
私は十香さんにデータを受け取った旨を返信した。
「さてと」
そして自分の作業を再開した。
パソコンの画面には一枚の絵が広がっている。女の子が好きな男の子とお祭りを楽しんでいる絵だ。
私は結局、龍神祭の絵を描くことにした。
執筆ツールは実家に送っていた物を取りに戻った。片付けたと言っておきながら捨てられなかったあたり、悔しいが自分らしさを感じてしまう。
店長に確認したところ、一枚でも二枚でも変わらないと言うことだったので、十香さんの分と合わせて受け取って貰えることになった。
「ちゃっちゃと仕上げちゃおうね」
なにせ私には大事な漫画の執筆作業が待っている。この絵はその肩慣らしだ。それに、龍で始まった夢なのだから、龍で再開するのも良いではないか。
「ふふふ、あー、早く描きてー!」
題材は決まっている。ちょっと変わった女性が主人公だ。そうだ、まるで十香さんみたいな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます