湯本 康二 7

 あの写真の日を最後に俺は遼太郎の家には行っていなかった。変な別れ方をして、そのままと言う気まずさも多少あった。それでも、新学期になったら適当に誤魔化せばいいか、くらいに思っていた。

 だけど写真を見せに行った数日後、事件が起きた。


 俺が知ったのは母からだった。

 最初は電話がかかって来て、遼太郎が家に来ていないか、何処に行ったか知らないか、と言う内容だったと思う。その時はまだそこまでの緊急性を感じていなかった。どうせ遼太郎と遥の二人で出掛けているのだろう、と思っていた程度だった。


 しかし、立て続けにかかってくる電話、そこから漏れ聞こえて来る、警察、消防、と言う言葉、その対応をしている母の様子、それらによって小学生の俺でも何か非常事態が起きたのだと感じ始めた。


「なあ、どうしたんだよ?」

「遼太郎君いなくなっちゃったんだって」

「はあ? どうせ遥のところだろ?」

「遥ちゃんも……」

「遥も?」

「いなくなっちゃったって……」


 思いもよらない身近なところで起こった事件に肌が粟立ったのを覚えている。

 事件事態に関して言えば俺もニュースで発表されたような概要しか知らない。


 珠守神社のご神体のある山で遭難事件があった。遭難したのは大平遼太郎おおひらりょうたろう宮下遥みやしたはるかの二名。数日後に遼太郎だけが見つかり、遥は見つからなかった。そしてそのまま、遥は今も見つかっていない。当時この事件は龍神様による神隠しだと騒ぎになった。


 だけど確かに俺はリアルタイムに進行していくあの事件の渦中にいた。

 一ノ瀬さんに話しながら、当時の気持ちが蘇る。


「あの時、たぶん俺は、俺だけは他の人とは違う意味で焦っていたのかも知れません」

「違う意味、ですか?」


 俺は頷いて、それから石原が持って来たお茶を一口飲んだ。


「写真ですよ。心霊写真。滑稽な話かも知れませんが、俺は遼太郎たちはあの写真のせいでご神体の山に行ったんじゃないかって思ったんです」

「……なるほど、そうですか」


 あの時の自分が、それまでに考えらない程、複雑な心境だったのを覚えている。二人を心配する気持ち、自分のせいかもしれないと言う焦り、失くした写真に対する漠然とした恐怖、そして遥への嫉妬。

 小学生の俺が抱えきれなかったのも無理はない。だから……。


「遼太郎と再会したのは夏休みが終わってしばらくしてからです。遼太郎は夏休みが終わっても何日か学校を休んでいました」


 久しぶりに登校してきた遼太郎のやつれた様子は今も忘れられない。かける言葉が見つからなかった。

 遼太郎と遥の仲の良さはクラスでも知られていることだったので、みんな遼太郎にどう接したらいいか分からないようだった。

 それから遼太郎はなんとなくみんなに避けられるようになった。いじめとはまた少し違う、腫れ物に触るような、そんな感じだったのだろうと思う。そしてそれは俺も同じだった。


「遼太郎とはそれからも、クラスも一緒で、中学も一緒でした。だけど俺もだんだんと疎遠になって行って、大学に進学した時、遼太郎はこの町を出て行って、それっきりですね。あいつ成人式も来なかったし」

「そうだったんですね」


 手に持っているお茶の熱を温かく感じた。少し冷房が効きすぎているのかも知れない。


「ちょっと寒いですね」


 エアコンの設定温度を調整しようと席を立ち、壁のリモコンを操作しながらなるべく平静を装って言った。


「すみません、実際俺もこれくらいしか話せることが無くて、こんな感じで大丈夫でしたか?」

「いえ、いえ、十分です。ありがとうございました。それとすみませんでした、急に押しかけて辛い気持ちを思い出させてしまって」

「あー、いや、いいんですよ。もう昔のことですし。それに、その写真にもまた会えましたし。心霊写真だなんて、今思えば本当に子供騙しなんですけど、なんて言うか、気掛かりではあったんですよ。ずっと」


 その時だった。少し間の開いたあと背中越しに俺は聞いた。


 康二君のせいじゃないよ。


 あるはずのない声、聞こえるはずのない声、その声を聞いた時、途端に記憶が蘇った気がした。

 その声は確かにいつか聞いた遥の声だったのだ。


 俺は思わず振り返った。


「どうかされましたか?」


 しかしそこには変わらず一ノ瀬さんが座っているだけだった。当たり前だが遥の姿などある訳がなかった。


「あ、いや、すみません、なんでもないんです」


 気のせい、だよな……。


 しかし俺が再び席に着くと一ノ瀬さんは言った。


「私も、湯本さんのせいではないと思います」

「え?」

「偶然です。偶然が重なっただけなんですよ」

「あ、そ、そうですね。自分も、そう、思いたいです」


 言い間違いなのかもしれない、だけど確かに一ノ瀬さんは、私も、と言った。それはどういう意味なのだろうか。みんなと同じで、私も? それとも、私も、遥と同じようにそう思っている……?


「あの……」


 俺が不確かでまとまらない疑問を口にしようとした時、先に一ノ瀬さんが喋り出した。


「あの、お話聞かせていただいたあとに非常に恐縮なんですが、もう一つだけお願いしたいことがありまして、よろしいでしょうか?」

「ああ……、ええ、はい、なんでしょうか?」


 それから一ノ瀬さんが取り出したのはメモリーカードだった。

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