大平 遼太郎 6

「悪い冗談はやめてくれ」

「ううん、冗談じゃないよ」

「嘘なんだろ」

「嘘じゃないよ」


 喋り方が、小さな仕草が、もう遮るものの無くなった心に触れる。

 今更どんなに首を振っても目の前の瞳は真っ直ぐに見つめてくる。

 彼女の瞳の中の自分が顔を歪め俯いた。


「信じて。遼太郎りょうたろう君」


 ずっと求めていた懐かしい声に名前を呼ばれ、顔を上げたのはあの頃の、小学生の頃の自分。


「本当に、本当にはるかなのか?」

「うん」

「本当に……」

「うん」


 微笑み頷くここに居る彼女はあの頃のままの彼女だった。


「……ごめん、俺、いっぱい迷って、どうしたらいいのか分からなくなってた」

「私も同じだよ」

「今日だって、ここにこない方がいいかもって思ってた……」

「でも、こうして来てくれたでしょ。約束、覚えててくれたから、私のこと忘れないでいてくれたから、だからちゃんと会えた。私たち、ちょっとたくさん迷子になっちゃったけど」

「遥……俺……」


 話したいことは幾つもあるはずなのに言葉が詰まって声にならない。

 すると彼女が明るく言った。


「ね、遼太郎君。お祭り見て回ろうよ。私ずっと楽しみだったんだよ、遼太郎君と一緒にお祭りに行くの」

「お祭り?」

「そうだよ、お祭り。約束したでしょ、一緒に行こうって。あれ、もしかしてそのことは忘れちゃったの?」

「え、あ、ううん、忘れてない、忘れる訳ない」


 首を振って必死に否定する姿が可笑しかったのか遥が笑う。


「じゃあ、ほら、行こう」


 そして彼女はそっと手を差し出して。

 俺はその手に自分の手を重ねて。


「……うん」


 二人手を繋いで歩き出した。



 連なり揺らめく蝋燭ろうそくの火のような橙色の灯り。その一つ一つから溶け出た光は柔らかく広がり、繋がり、重なり、大きくなって包み込むように祭りを照らす。

 参道を行く人の影も小さく、そでを擦り合わせ歩くその顔は明るく、人々の声は露店の活気と共に祭りの賑わいとなり、昇る熱気とあたたかな光と相まって山間やまあいに響き、生まれ出た光は遠い星を前に滲み混ざるようにしてやがて夜に還る。


 きっとこれは龍がくれた夢。


 もしかしたらどこかで龍も見ているのかも知れない。だとしたらそれは特別に綺麗な景色なのだろう。ふと、そんな考えが頭を過った。


「どうしたの?」

「ううん、なんでもない」


 子供に戻った俺たちは手を繋いで約束の祭りの中を歩いた。

 射的、ヨーヨー、金魚すくい。焼きそば、たこ焼き、リンゴ飴。それとコロッケ。気になる屋台には全部立ち寄り、食べたいと思ったものはなんでも食べ、沢山食べる遥に驚き「お祭りは別腹!」と怒られたりして。


 途中で康二こうじが彼女らしき子を連れているのを見かけたりもしたけれど、なんでかちょっと照れくさく咄嗟に隠れてしまった。でも隠れたその瞬間が無性にこそばゆくて変にドキドキして、彼女のことは今度学校で会ったら聞いてみようと、こっそり二人で話しながら顔を見合わせ笑った。


 お祭りは二つ目の鳥居と拝殿への門の間までくると雰囲気が変わる。そこまでと違い、お祭りの業者さんではなく地域の人たちが主体となってお店を出している場所になるからだ。同じように屋台を構えているが内容はフリーマーケットのようで、それまでよりもずっとアットホームな感じになる。


 ここには商店街で見知った顔も幾つかあって、例えば手芸屋さんが生地や雑貨に加えてハンドメイドの商品を売っていたり、なぜかお風呂屋さんが植物の苗や種を売っていたりと、普段とちょっと違うそんな様子が楽しい。

 でも、バーゲン本を並べている図書館の屋台では良く知っている職員のおばちゃんがビール片手にお客さんをそっちのけで隣の屋台のおばちゃんとおしゃべりをしていて、いつも通りのそんな姿が可笑しくて笑ってしまった。


 順番に一つ一つお店を見ながら歩いていくと、門の手前で屋台が無くなり広場になっている場所に行き当たる。


「わ、ポスター飾られてる!」


 遥がそう言った通り、そこの広場には掲示板が設置されていて、提灯や灯籠の灯りの中、龍神祭りゅじんさいのポスターが貼り出されていた。見てみるとここには応募作品の中から選ばれた佳作以上の作品が掲示されているみたいだった。佳作以上と言っても数十枚はありそうだったけれど。


「あるかな私たちの」

「きっとあるよ」


 一度頷き合ってから二人で緊張しつつ掲示板を端から見ていく。どれも力作ぞろいで感心してしまう。

 見始めて少しして遥が嬉しそうな声を上げた。


「あ、ねえ、あった、あったよ!」


 彼女が指さし示した先に飾られていたのは二人で考えたポスターだ。

 康二に見せてもらったあの写真と似た構図で、撫子なでしこの花と大きなご神体の大岩、それとその上には俺と遥。俺は座っていて隣で立ち上がった遥の手を取り、遥は立ち上がって夜空の彗星に片手を伸ばしている。夏休みに二人で考えた通りの絵だった。


「本当だ! 凄い! 特別賞だ!」


 賞を貰えるなんて、これなら取材にも行ったかいがあったと言うものだ。


「今年は彗星が見えるから選んでくれたのかな」


 遥が浮かれた声のまま言った。


「彗星?」

「そうだよ、花火のあとの時間が一番綺麗に見えるんだって」

「そうなんだ、でもさ、それもあるかも知れないけど、やっぱり絵がいいんだよ」

「そうかな」

「そうだって。この構図だって、あ……」

「ん?」


 そう言えば康二にまだ許可をもらっていなかった。でも、まあ、大丈夫かな。この構図は康二の兄貴が撮った写真を参考にしたものですって色んな人に言えば、たぶんむしろ喜んでくれると思うし。


「あー……、なんでもない。そう言えばタイトル付けたんだね」


 遥の一枚にだけ絵の下にタイトルが貼りだされている。


「うん、どうかな?」

「うーん、なんか、康二の兄貴が付けたみたいな感じ」


 直前まで思い浮かべていたからかそんな感想になってしまった。中学生である康二の兄貴はそう言うお年頃ってやつだ。


「え、そうかな、それがどう言う意味か良く分からないけど、私はかっこいいと思うんだけどな」

「うん、いいと思うよ。俺も嫌いじゃない」


 それから俺たちは他の作品も一通り見て、あれこれ感想を言い合った。

 その中でも特に気に入った作品は、最優秀賞に選ばれていた商店街の和菓子屋さんのポスターだ。

 あたたかい印象の絵で、幻想的な灯りの中、着物姿の女の子がお祭りを楽しむ姿と、その傍らで女の子を大切そうに見守る男の子が描かれている。


「綺麗な絵」

「うん」


 遥の言葉に俺は頷く。


「なんだか私たちみたいだね」


 本当にお祭りの光のようなその絵を見ながら、なんにも傷つけない優しい笑顔で遥が言うから、今度は俺が、そうだね、と笑った。

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