大平 遼太郎 7
薄暗く静かな境内を時折高く上がる花火が色を散らすように照らす。拝殿を背に石段に座って遠景を眺めれば、点々と灯る灯籠の小さな明かりとその向こうに影に塗られたような門が見える。門は内側に黄金色の祭りの光を閉じ込めて、向こう上空の花火を鮮やかに見せた。そしてさらに遥か見上げた中天には尾を引く彗星の姿があった。
祭りはもうすぐ終わってしまう。
今はそんなことを考えたくないのに、繋いだ手の下の石の冷たさと花火の残響と共に吹く風が少しづつ夢の時間を遠ざけ熱を冷ますのを感じていた。
何も話さず二人でしばらく花火を見たあと
「ねえ、
「彗星、花火のあとが一番綺麗に見えるって言ってた」
「うん。あーあ、一番綺麗な時間に一緒に見たかったな」
「どうして? 一緒に見ようよ」
「うん、そうしたいけど、ちょっと無理かも。私ね、あの彗星と遠くに行くんだ」
「どういうこと?」
「龍はね、ずっとあの彗星を待ってたんだ」
「龍が彗星を?」
「うん。それはもしかしたら、ずっと昔からの繰り返しなのかもしれない。龍神様の伝説もずっと古くからあるでしょ? ほら、図書館の本にも」
「うん、一緒に読んだ」
「龍はどこからかやって来て、あの大岩に宿って、この町で成長して、空に帰っていく。空に飛んだ龍は大岩と同じように彗星に宿ってずっと遠くまでいくの。そのあとのことは私にも分からないけれど、きっといつか龍は彗星と一緒にここに戻って来て、また大岩に宿って、この町で夢を見るのだと思う」
「夢を?」
「うん、この町の人と一緒に見る夢。私も色んな人の夢を見た。楽しいもの、怖いもの、悲しいのだって。そうして龍は人と一緒に成長して、心を知って、星と共に命のサイクルを廻す、そう言う存在なんだと思う」
「だから、遥も行くの?」
「うん。命のサイクルは止めちゃいけないから」
「だけど遥だけ残ることはできないの?」
「それはできないよ。私はもう龍の一部だから」
「でもこうして今だってここに」
「これはね、奇跡。奇跡だよ。龍と、
「でも、それでも」
「分かって、遼太郎君」
「本当に、行かなくちゃいけないの」
「うん」
「やっとこうして会えたのに」
「うん、そうだよ、やっと会えた。本当はもう会えないはずだったのに会えたんだ。夢みたいだよ。お祭りも一緒に見て回れたし。すっごく楽しかった。すごく嬉しかった。すごく。だから私にはこれで十分」
「十分って、俺はもっと遥と一緒にいたいよ」
「……ね、私ね、分かったんだ、龍はこの町が、この町の人が好きなんだってこと。だから私と遼太郎君のことも助けてくれた。それなのに私が迷って優しいあの子をこれ以上困らせることなんてできないし、それにきっとあの子は遼太郎君のことも心配しているから。だから今日は、もしも遼太郎君が来てくれたら、私から伝えようと思っていたことがあったんだ」
「伝えたいこと」
遥の手にほんの少し力がこもったように感じた。
「うん。私のこと忘れていいんだよって。遼太郎君も優しいから、もしかしたら、もしかしたら今も私のことを、考えちゃうことがあるのかも知れないって、そう思ったんだよ」
「遥のことを忘れる?」
「うん。私はもういない。だから忘れて、今を生きて欲しいって」
「そんなことできるわけ」
「嫌なの、私のせいで遼太郎君が足を止めてしまうのが。遼太郎君の邪魔になってし
まうのが。だからお願い」
「……俺は」
「今日は来てくれて本当に嬉しかったよ。ありがとう」
そうして遥は力を緩め繋いだ手をそっと離した。
大輪の花火が連続して空に咲いて色濃い影を地上に落とす。
離す瞬間微かに震えていた手の感触が、再び触れることを躊躇わせたまま、花火の余韻の最後の波が空気を平らにしていく。
感じた覚悟を前に次の言葉を言えないでいると遥が急に立ち上がった。何かを聴くように空を仰いで。
「遥?」
「龍が鳴いてる」
「龍が?」
「十香さん! 私、行かなきゃ!」
そう言った彼女は一度俺と目を合わせ、さよなら、と唇を動かしご神体のある裏山の方を向いた。
「遥さん!」
次にそう叫んだのは遥ではなく
耳を澄ましている様子で少し黙ったあと彼女が呟くように言う。
「声が聞こえる」
けれど俺には彼女が言うような声も音も聞こえない。
「遼太郎さん!」
一ノ瀬さんは今度は俺の方を向いて力強く言った。
「行きましょう!」
「行くって……」
「ご神体です! 早くしないと、遥さんが行ってしまいます!」
遥が行ってしまう? 本当に?
「龍が彗星に……」
「はい!」
夜空を見上げた。肉眼でもはっきり見えるほど彗星が綺麗に尾を引いている。極大点はもうすぐだ。遥が言っていた、花火が終わったあと一番綺麗に見える時間。
「急いで! このまま遥さんと別れてもいいんですか!?」
このまま。忘れてと言われたまま、さよならと言われたまま、遥にあんなことを言わせたまま、俺からは何も伝えないまま……?
ずっと底に沈んでいた後悔が湧き上がり胸の内を掻き立てる。
違う、駄目だ。このままじゃ駄目だ。このままじゃ変わらない。このままじゃ終われない。俺は何も言えていない。それに、遥の手の震えに感じたのは彼女の覚悟だけじゃない。
「行こう」
上がる花火を背にして俺と一ノ瀬さんは駆け出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます