風祭 今日子 6
ああ、なんだこの顔。
鏡に映ったのはとても人に見せられるような顔じゃなかった。
絶望。
いや、そんな高尚なものじゃないな。言うなれば、心待ちにしていた三連休を何もしないで過ごした最終日の夕方の表情。そんなところだろう。
振り返って見た真新しいトイレは西日が差し込み、なんだか自分の空っぽになった心の中を見ているようだった。
「ふふ、なんだそれ」
思いのほか軽めの絶望感になんだか可笑しくなって笑った。
そんなものなんだ。きっと私にとって夢なんてそんなものだったんだ。
良し。良し良し。大丈夫大丈夫。ポスターなんか最悪断ればいいんだし、これ以上十香さんに変な心配させたくないし。終わったものは終わったんだし。
「良し」
トイレを出て図書室に戻った。
図書室の受付脇の漫画のコーナーが目に入り、胸がチクリと痛んだので無理やり笑顔を作った。営業スマイルだ。こんなことは店の仕事で慣れている。
机に戻った時、十香さんの隣に知らない人が座っていた。
中年の女性で、図書館の職員なのかエプロンをしている。
「おかえりなさい。今日子さん」
「お邪魔してますぅ」
なんだか調子のよさそうな女性だった。たぶんあまり得意なタイプではない。
私は軽く頭を下げた。
「こちらは
「恐縮です」
会釈をした彼女の胸元には湯本と書かれたネームプレートが付いていた。やっぱり職員なのだろう。
「あ、どうも」
私が席を外していた時間はそんなに長くはないはずだ。僅かな時間で新しい協力者を見つけている十香さんのコミュニケーション能力は流石だと思う。
一方湯本さんに対しては自分の仕事をしろよとも思う。
いいのか座ってて。……でもまあ私が注意することでもないのか。
考えても仕方がないので、気を取り直して席に着いた。
「それで、何を教えて貰ってたんですか?」
「龍神祭についてなんですが、この本を見ていたら、ほらここ」
十香さんが指さした個所を確認すると、そこには龍神祭が中止された年があったと書かれていた。
「中止? そんなこともあったんだ。台風とかですかね」
少なくとも私は龍神祭が中止になった年を知らない。と言うことは私が物心つくよりも以前の話なのだろう。
「ええ、それで、私気になって、近くにいた湯本さんに聞いてみたんです」
「ああ、それで」
「そうなのよ、この年の龍神祭のことは良く覚えていてね。今からもう十五年くらい前になるかしらね。今日子さんはまだ生まれてないかしらね」
「ああ、いえ、生まれてますよ。流石に。まだ子供だから覚えてませんが」
「あら、ごめんなさい、お若く見えるから」
なんか少し鼻につく。やっぱり苦手なタイプだ。
お世辞? お世辞だとしたら相当微妙だぞ。
それから湯本さんは少し顔を近づけて声を潜めて言った。
「事件があったの」
「事件ですか?」
「そう事件」
そんな感じで堰を切ったように話し始めたおばちゃん。緩急入り混じる話し方に、どことなく熟練したお喋りスキルが窺える。
事件のあらましはこうだ。
その年の龍神祭の少し前、ちょうど今と同じくらいの夏の後半、珠守神社の裏山、つまりご神体の龍の卵のある山で、遭難事件が起きる。
遭難したのは小学生の男子と女子の二人。
二人の痕跡は山に入った所までしか追えず捜査は難航した。
数日後、山の入り口で倒れている男の子が発見される。一方依然女の子は見つからなかった。助かった男の子からも有力な情報は得られなかった。そして女の子の消息は不明のまま現在に至る。
当時この事件は、場所がご神体のある山だと言うこともあり、神隠しだと騒ぎになった。
結果その年、珠守神社と自治体は祭りの開催を自粛し、関係者のみの神事は行われたものの、龍神祭は中止になった。
「この行方不明になった二人が息子の同級生でね、私も知ってる子たちだったから驚いちゃってねえ。あのあと大変だったのよ。子供を山に入れるなって」
そう言えば確かに聞いたことがあった。
子供だけで山に入るな。神隠しに遭うぞ。
あれは実際に事件があったからこそ言われて来た言葉だったのか。正直田舎町の因習かと思っていた。今ではご神体のある山も整備されていて、そうそう遭難なんて起きない。だけどそれは十五年前の事件があったからこそでもあるのだろう。
湯本さんに質問をしている十香さんの横、私は思わず知った地元の歴史に、過去の想いとの邂逅も相まって、感慨深さのような不思議な感覚を覚えていた。
図書館を出ると空は綺麗な夕焼け色に染まっていた。
「びっくりしましたよ。十香さん凄い突っ込んで聞くんだもん」
「えへへ、一度気になってしまうと色々と知りたくなってしまって」
十香さんは事件についてもっと詳しく知りたかったようで、あのあとも湯本さんにあれこれと質問をぶつけていた。
最終的に音を上げたのは湯本さんの方で、と言うか実際湯本さんはほとんど事件の概要しか知らなかった、詳しくは息子に聞いてみるからと、連絡先を交換して、図書館の閉館時間もあったので、あの場はお開きとなった。
「これからどうします?」
「うーん、そうですね」
十香さんは空を仰ぎ見た。
「これ以上はご迷惑になってしまいますし、そろそろ宿に帰ろうかと思います」
「迷惑だなんてそんな全然大丈夫ですよ。でも、そう、ですね、確かにもうお店も閉まっちゃうしその方がいいかもです」
本当は寂しかった。十香さんが旧友であれば引き留めていたかもしれない。
「今日はありがとうございました」
十香さんはこちらを向いて頭を下げた。
「いえいえ、こちらこそ楽しかったです」
社交辞令じゃない。十香さんといる時は嫌なことを忘れられた。
「是非また一緒にどこか行きましょう。今度はそうですね、二人とも知らない場所とかどうですか?」
「いいですね」
「また絶対連絡しますね」
「はい」
それから私たちは他愛のない話を繋ぎながら最寄りの駅まで歩き、この短い旅を惜しむように別れの挨拶を交わしてそれぞれの帰路に就いた。
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