宮下 遥 7
図書館は最近新しく建て替えられていて、その際の整理の一環で、蔵書の一部を古書店に売ったようだ。そしてその売られた本を偶然手にした
彼女と出会う切っ掛けを作ってくれたことには感謝したいが、この場所で重要な手掛かりを掴めるかも知れないと思っていた私は、変わってしまった姿に少々がっかりした。以前と同じままの図書館に彼女たちと三人でくることができていれば、もしかしたら、と今の私は思ってしまうのだった。
郷土資料のコーナーで本を探す二人をよそに私は一人図書室の中を歩いてみた。
書架の間の通路、並んだ背表紙の上、或いは本棚を挟んだ向こう側、そんなところに微かに何かを感じてみても、それは今までのように私の中で像を結んではくれなかった。
触れられそうで触れられない、近付いたようで遠ざかる、そんなもどかしい感覚に私は郷愁とは違う寂しさのようなものを覚え始めていた。
どうして全部を思い出すことができないのだろう。
ここまで十香さんたちと町を歩いてきたことで確信していた。
私にはこの町で過ごした忘れてしまった過去がある。
だけどどうしても断片的にしかそれを思い出すことができない。まるで誰かが意図的に邪魔をしているかのように。
ふと通路の向こうを見ると小さな男の子と目が合ったような気がした。しかしもちろんそれは気のせいだろう、男の子はすぐに別の方を向いて居なくなってしまった。
しばらくして十香さんが私を見つけ声をかけてくれた。手には本を数冊持っている。
「どうですか?」
「ううん、駄目みたい。ちょっと期待してたんだけどな」
「そうですか、それは残念です。あの、参考になりそうな本を幾つか見つけたんですが一緒に見てみませんか」
十香さんは私に気を遣ってくれているようだった。
「うん、ありがとう」
それから私たちは
本を読んでこの町に龍神信仰が確かに根付いていて、身近な存在として大切にされているのだと改めて実感することができた。だけどそこに私に繋がる新たな情報は見つけられなかった。
「あれ?」
何冊か本を見たあと、今日子さんがそんな声を漏らした。
「どうしたんですか?」
「あ、いえ、ここに男の子って書いてあるじゃないですか」
彼女が指さしたのはページに描かれた挿絵の下の部分だった。龍の男の子、と説明が書いてあった。
男の子? あれ? 私、じゃない?
そのあと今日子さんが言った。
「私が聞いた話は女の子の話だったような気がして」
「女の子?」
十香さんの疑問の声に私は心の中で答える。
それはきっと私、かな?
だけどはっきりとは分からない。私が成長して自分としてちゃんと意識を持ったのは割と最近のことだ。それまでのことは物心がつく前のようにひどくぼんやりとしている。
「え、あ、でもあれは民話って言うか噂話だったからかな。女の子同士の噂だったし」
今度は今日子さんが答えて、さらに十香さんが彼女に質問をした。
「どんな話なんですか?」
「どんなだったかなあ。確か、放課後に皆で遊んでいるといつの間にか一人増えてて、あとで考えてみると誰もその子のことを知らないとか。あ、そうそう、好きな人の話をしてるといつの間にか近くにいて、その子に尋ねると恥ずかしそうにしていなくなっちゃうとか、そんな話だったなあ。女の子同士で話してたから、だから私なんとなく女の子だと思ってたのかも知れない」
今日子さんの話を聞きながら考えていた。
きっと彼女が話している龍の子と言うのは私のことだろう。こんなに噂話になっているとは知らなかったけれど。でもだとしたら、本に載っている男の子と言うのは誰のことなのだろうか。龍の別の夢、なのだろうか……。
「お祭り!」
また考え込んでいた私は十香さんの声で二人の会話に意識を戻した。
「はい。だから子供たちもみんな知ってて、あ、そうそう、
その今日子さんの言葉に強く引っ掛かるものを感じた。
「あ、ポスター……」
そう呟いたのは今日子さんだったけれど、私も心の中で彼女と同じようにポスターと言う単語を復唱していた。
そのあと彼女は十香さんと少し会話を交わすと、何か思うことがあったのか暗い顔ですぐに席を外してしまった。
十香さんと二人になった私は彼女に話しかけた。
「ねえ、ポスターって龍神祭について描くって言ってたよね。そのことなんだけど、龍神祭について本に載ってないかな。凄く気になるの」
「龍神祭ですね。分かりました調べてみましょう」
十香さんは机に持ってきていた本を何冊か捲って龍神祭について調べてくれた。その中の
「この年だけ龍神祭が中止されてる」
私の呟きに十香さんが答えてくれた。
「本当ですね、何かあったのでしょうか?」
ちょうどその時、目の前をうず高く本を抱えた係員の女性が横切った、と思ったら、彼女が短く小さな悲鳴を上げ、さらにバタバタと音がした。
どうしたのかと思いそちらを見ると、女性は床に散らばった本を集めていた。つまづいたのかどうしたのか、持っていた本を崩したようだった。
十香さんがすぐに席を立ち彼女の元へ。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫、良くやっちゃうのよね私。ごめんなさいね」
中年の女性で胸のネームプレートに
不意にそんな彼女に既視感を覚えてしまった。
「この人、知ってるかも……」
私の声に十香さんが、え、と反応して、そのまま少し慌てながら湯本さんにこう言った。
「え、あの、すみません、ちょっとお聞きしたいことがあるんですけどいいですか?」
それからほどなくして今日子さんが戻ってきて、私たちは三人で湯本さんの語る昔話に耳を傾けることになった。
「事件があったの」
「事件ですか?」
「そう事件」
そしてそんな風に始まった湯本さんの話は突然私の心を記憶の穴の底に突き落とした。
彼女が語ったのは事件の概要。けれど彼女自身に既視感を覚えていたせいか、その言葉はいちいち私の心に欠片を落とすのだった。
「あの年の龍神祭の少し前、夏休みの後半ね」
龍神祭。夏休みの後半。
「珠守神社の裏山、ご神体のある山でね」
珠守神社、ご神体。
「小学生の男の子と女の子が遭難したの」
小学生の男の子と、女の子が……。女の子は、私……?。
意識が一点に集中していく。一つの欠片から次の欠片へと記憶が繋がっていく。
そうだ、夏休み、私はあの山に行って、それで、遭難した? でも誰と? 男の子? その子とどうしてあの山に行ったの? ポスター、ポスターを描きたくて、それを、図書館で調べて、その時に少し変わったおばさんが居て、湯本さんだよって、誰かが……、その子が……、誰が?
「この行方不明になった二人が息子の同級生でね――」
同級生? 私と、同じクラスの……。男の子……。一緒に図書館に行って、一緒にソフトクリームを食べて、一緒に町を歩いた、そんな、男の子。
誰、あなたは、誰なの? 私にとってあなたはどんな人なの?
私の記憶の中で誰かが振り向こうとしていた。
その誰かが、彼が、振り向いて、私の名前を呼ぼうとした瞬間――。
『駄目』
突然頭の中に声が響いて私の考えは中断されてしまった。
繋がっていた欠片がバラバラと崩れて行く。
顔を上げて辺りを見渡した。しかしもちろん誰かが話しかけてきた訳ではない。
何? 今の……。
私以外の二人は変わらず湯本さんの話を聞いている。私にしか聞こえない声だったのだ。
穴の底、散らばってしまった欠片を手に私は虚空に問いかける。
どうして駄目なの? それに、あなたは……?
しかしその問いには誰からも答えは返って来なかった。
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