新規コラム

コラム ―― キャラクター創作

 超久しぶりのコラムです。

 あまりに間を開けすぎて書く方も、なんだか要領を得ないかもしれません。


 さて、今回キャラクター創作と銘打ってのコラムですが。

 これまで数多くの作品を企画で読ませて頂いた中で、気になりすぎてツッコミを入れたくなるものが、キャラクター、即ち登場人物です。

 一人称ではまだ地の文で語る分だけ、多少はマシな部分はあれど、しかし、なんだこいつ? 状態を幾度も目にしています。

 三人称になると最早誰が誰だか分からない。そんな状態を幾つも見てきました。


 ひと言で済ませるならば、個性がない。


 キャラクターに魅力を感じないもの、個性も性格も不明瞭なものなど、読まれない作品に共通するのがこれです。

 セリフ棒読み調、いかにも台本を読んでます、といった感じで感情が篭ってないもの。どの人物も同じ調子で語ってしまうもの。

 年齢性別や性格によって、個性付けをせず、なんとなく書き続けると件の、こいつ何者だ? に至ってしまいます。そうなると物語に没頭などできません。せっかく一人称で心の内を描いても、キャラに個性がないのですから、その他大勢にしかなっていない、そんな作品と多数遭遇しました。


 では本題です。


 人にはその性格ゆえ取れる行動と取れない行動があります。

 アドバイスする際に示すのですが「大胆で猪突する人」は繊細で慎重な行動は取れません。逆に「繊細で石橋を叩く人」は大胆不敵な行動は取れません。


 内向的な人が演壇に立ち饒舌に語れるのか、と言えば不可能です。

 外向的な人が引っ込み思案、なんてあり得ない訳で。


 性格設定がろくにできておらず、なんとなく物語の中で動かされると、それらはただの人形でしかないのです。

 しかも、性格が内向的でありながら、矛盾した行動を堂々と取っていたりします。

 演壇で饒舌に語る、そんな二重人格を多数目にします。

 キャラに整合性がないので、誰? となりますね。


 では、どうしたらキャラに個性を与えられるのか。


 まず慣れていない内は三タイプ用意しましょう。


 ひとつは、内向的キャラ。そして外向的キャラ。それにプラスして中間のキャラ。

 三人居れば主要人物をそれらで構成できるでしょう。

 主に現代ドラマやラブコメ、恋愛などで。ファンタジーなどで多数の人物を出す、といった場合は諦めてください。まだそこまで到達していません。


 名前や容姿の説明、書式で誤魔化す、などは通用しないと理解する必要もあります。キャラ作りもできていないのに、そんなもので誤魔化されるほど、読者は甘くありません。

 極端な話、キャラの個性が極まっていれば、名前や容姿なんてなくてもどうにでもなります。


 内向的キャラの行動とセリフ。


 例えば中高生であれば。

「僕」で始まり弱気な発言が多い。表舞台に出ることを嫌い陰でこそこそ。視線は黒板と机に向かうだけ。他人に関心を抱かず内に篭り妄想が多い。

 などのように設定しておきます。

 まあ所謂ぼっち、という奴です。


 極端な存在を作り、段階的に極端さを排除していくと、内向的な人物を複数作ることも可能になります。


「僕」は同じで弱気な発言が多い。表舞台に出ることを嫌うが、誘われると遠慮がちに出てくることもある。視線は黒板と机意外に隣の人にも向く。他人に関心は無いが熱中するものがある。

 などのように少し変化を持たせると、また違う人物が描けます。


 もう少し内向的な部分を抑えると。


「俺」と呼称。話し掛ければ会話はできる。しかし、率先して話し掛けることは無い。視線は黒板、机、両隣前後の人物に。好きな物や事に対しては饒舌。

 とするとまた、違う人物が描けます。


 これだけでも読んだ時に多少の個性を見ることはできます。しかし、それでは没頭できるほどの人物像にはなりません。


 一人称に於けるセリフや地の文。

 とても大事です。例えば以下のような語り口で、その登場人物にのめり込めるか。

 括弧で囲っていますが、分かり易いようにしているだけで、一応地の文です。

 同時に小説導入部としても示しています。


「僕の名前は山田太郎。この春より高校一年になり新しい環境で、新たな学園生活を営むことになる。勉学に励むことはもちろん、友人を多く作ることも目的のひとつだ。自分の周りを見回してみるが、まだ緊張しているのか、どの生徒も会話は無い。いずれ馴染むであろうと思われるが、それは今後に期待する」


 堅苦しい主人公だと思いませんか?

 小説の書き方としては間違ってはいません。ですが、これ、高校一年生の内心で、こんな語り口の人、実際に居ますか?

 あーいるいる、そうだよねー、まあそんな感じだったなあ、など、読者の共感を得なければ人物を好きになってもらえません。


 その年齢ならではの語り口、また内心は特にもっと砕けている、それが一般的ではないのでしょうか? 誰かと議論するわけでも無いのですから。


「新しい環境、新しい教科書の匂い。なんか感動。教室内は静かだな。まだ馴染めてないんだろうから仕方ないけど。あ、僕はこの春から高校に進学した山田太郎。隣の子に視線をやると目が一瞬合っちゃった。ちょっとドキッとしてる」


 取っ付き易いのはどちらでしょう?

 上の堅苦しい文章? それとも砕けた下の文章?


 なにかが始まることを期待させ、物語に入り込んでもらう。これはとても大切なことです。単にきれいに整形された文章では、期待感もなにもありません。


 蛇足ですが、主人公に名乗らせる作者は多いです。

 ですが、自ら俺、僕、私は誰某、というより、会話の中で自然に名乗った方が、読んでいてスムーズに入ってきます。


 隣の奴を見ていたら目が合った。

「あ、僕、佐藤って言うんだけど、これからよろしくね。君は?」

 こいつの見た目、女の子みたいだな。ちょっと揶揄いたくなる、そんな感じだし。

「俺? 当ててみ?」

「んー。わかんないよ」

「鈴木だ。ま、これからよろしくな」

 挨拶すると……おい、男だろ? はにかんだ笑顔を見せるなよ。


 会話の中で名乗れば自然な流れを作れます。

 上の会話文は自己紹介ですが、他にもやり方は幾らでもあります。物語の構成やストーリー展開によって、上手に紹介すると良いでしょう。

 

 因みに堅苦しい主人公が駄目なのではありません。

 生徒会長を目指す堅物でもいいのです。周りの人物でバランスを取ればよいのですから。


 例えば堅苦しい人物に宛がう砕けた人物。


 この男は今後俺のライバルになる存在だ。今の内から差を付けるべく努力を怠らないようにしよう。バカな癖に勉強できるなど、あり得ないのだから。

「なあ、なに顔面硬直させてるんだよ。もっと笑ってみ?」

 実に鬱陶しい存在だ。馴れ馴れしいにも程がある。

「笑わなくとも生きていける」

「そうじゃないんだけどねえ」


 この手の対比は物語に於いては有効でしょう。

 読む側も分かり易く誰が誰と即座に認識できます。


 駄目なケースはこのキャラの対比がなく、どのキャラも同じ調子になっていることが殆どです。だから誰こいつ? になってしまうのですね。


 小説を書き始める前に設定やプロットを幾ら入念に設計しても、肝心要のキャラが死んでいたら意味ありません。

 キャラクターがあっての物語です。ストーリーは完璧、絶対面白い、でも数字が伸びない。そんなケースの場合はまずキャラを見直してみましょう。

 まず、顔のない個性の乏しいキャラであることが殆どですので。


 顔のない=容姿を描いてない、ではありません。個性がないキャラを顔のないキャラと言います。

 読んで共感を得るキャラ作りをしてみましょう。

 そうすれば、読んだ時に話にのめり込みやすくなります。


 売れる読まれる作品には優れたキャラが居ます。

 読まれない作品では顔のないキャラで溢れ返っていますよ。


 ということで、今回はここまで。

 長々とお付き合い頂きありがとうございます。

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