ミントテロ



「こんにちは」



 温室を覗き込むと、タイムの葉を摘んでいたミハイルが顔を上げた。

 レモングラスのハーブティーをご馳走になった日から、アリシアはほぼ毎日この温室に顔を出している。ようやく迷わず来られるようになってきた。



「アリシア様……付き添いや護衛の方は?」


「諸事情により居りません」



 アリシアがニッコリとそう答えると、ミハイルは苦々しい表情を浮かべた。貴族の令嬢が付き添いや護衛もなしに来るなんて…と言いたいのだろう。


 最初のうちはノアが付いてきてくれた。しかし、すぐに王宮へ足繁く通う本当の目的がバレたのだ。



『お嬢様!王宮に来る目的、殿下に会うためではなくこのハーブ園に入り浸るためなんですかっ!?』



 4回目にハーブ園を訪れた日、ノアが失望したようにそう叫んだ。その時はさすがのアリシアも罪悪感を感じたものだ。



『お、落ち着いてノア。殿下に会うつもりもちゃんとあるわ…!ただいつもお忙しそうだから後でいいかしら…って』


『そう言って一度もお会いになっていないじゃないですか!』



 アリシアの弁明も聞き入れず、ノアはお嬢様がそんなのだから自分もいつまでも嫁入りできない…というような趣旨のことを嘆いていた。

 ノアは気立ての良い優秀なメイドだが、歳はアリシアより二つ上のため、そろそろ行き遅れと言われる頃だと多少の焦りはあるらしい。

 なのに、アリシアが嫁入りするまでは自分もどこにも嫁がないと決めているのだという。


 それでバレて以来、ノアに付いてきて欲しいと言いにくく、かといって代わりを探すのも面倒なのでこうして一人で来ることにしたわけだ。



「一応ここに来るまでは護衛を付けていましたよ?」



 帰る時間に迎えにきてくれたら良いと言ってすぐに帰らせたけれど。それでも、護衛すら付けず街に出ていた時に比べれば成長したと思う。

 ミハイルは軽く溜息をついてから、タイムの収穫を再開した。手伝えることはないだろうかと思い尋ねると、摘んだハーブを乾かせるように並べてほしいと言われた。


 最初こそ貴族の令嬢に仕事を手伝わせるなど…と言っていたが、連続で訪れて三日目には普通に頼んでくれるようになった。



「せっかくなので今日はタイムのハーブティーを淹れましょうか」



 仕事を一段落させたミハイルはそう言って、ハーブティー用にタイムをいくらか新たに摘んだ。

 アリシアは「待ってました!」とガッツポーズをしたくなる衝動を堪えて上品に微笑む。



「わあ、嬉しい。いつもありがとうございます」



 ここに来るといつも振舞ってもらえるフレッシュハーブティー。すっかり1日の楽しみになっている。



「いいですね、タイム。クセは強いですけど、のどに優しいし、わたしは好きです」


「そうですか。僕は風邪をひいた時によく飲むので、これを飲むと体調が悪いような気分になりますね」



 タイムには殺菌効果などもあり、風邪予防になると言われている。実際の効果がいかほどかは知らないが、去年家族や使用人にしばらく振舞ってみたところ、例年より風邪をひいた者が少なかった。今年もぜひ試したい。



「そういえばアリシア様」



 ミハイルは思い出したというように顔を上げた。



「イルヴィス王子とはどうですか?」


「……?どうって」


「愛想の良い方とは言えませんし、うまくやっていけそうかと思いまして………まさかこう毎日ここに訪れて、一度も王子とお会いしていないということはないでしょう?」



 当然のように言われ、アリシアはギクリとする。



「あ…えっと…」


「…アリシア様?」


「その、まさか…ですね」



 誤魔化すように笑うアリシアを見たミハイルは、左手でこめかみの辺りを押さえながら溜息をついた。


 アリシアだって、イルヴィスに挨拶くらいはしなくてはと思っている。これでも一応何度かは謁見を申し込んだ。しかし、第一王子である彼は多忙を極めるとかで、なかなか会う許可がおりないのだ。

 まあ、そのうち面倒になってその申し込みすらしなくなったのも確かだ。気まずくなったアリシアは、話題を逸らそうとハーブティーに目をやって言う。



「ほら、タイムティー。そろそろ良いんじゃないですかね」


「誤魔化しましたねアリシア様」


「…ほら、いい香りがしてきましたわ」


「………」



 ミハイルは無言でポットの中身をカップに注いだ。そのカップを手渡した後も特に何も言わなかったので、アリシアは少しほっとしてタイムティーをすすった。


 タイムは独特の苦味と刺激が舌を刺す。アリシアは割と好んで飲むのだが、万人受けする味ではない。だから人に振る舞う時は他のハーブとブレンドすることも多い。



(ブレンドするなら…やっぱり1番合うのはミントかしら)



 サッパリと清涼感のあるミントには多くの種類がある。甘めの香りのするスペアミントやアップルミントも良いが、効果の面から見ても、タイムのブレンドにはメントールの香りが強いペパーミントが一番ではなかろうか。



(あれ、そういえば)



 アリシアはふと気になって温室内を見渡す。カモミールやローズマリーを初めとする定番のハーブはあらかた揃っているのだが…



「このハーブ園、ミントはないのですか?」


「え?」


「こんなに種類豊富なハーブがあるのに、どこにもミントが見当たらないな、と思いまして…」



 アリシアが言い終わらないうちに、ミハイルは音を立ててカップを置いた。そして勢いよく立ち上がる。

 彼の突然の行動に困惑の色を浮かべるアリシアに、ミハイルは告げた。



「付いてきてもらえますか」


「え、はい!少し待って…」



 急いで残りのタイムティーを飲み干す。一気に飲むとさすがにうっとなる。

 ミハイルは無理して飲まなくていいのにと呟いていたが、そんなもったいないことはできないし、言うタイミングが遅い。


 ミハイルはアリシアが立ち上がったのを確認してから歩き出した。温室を出て、ハーブ園になっている一画よりもさらに奥へ行く。



「ミントは確かに素晴らしいハーブです」



 ミハイルは早足で歩きながら言う。



「お茶はもちろん、料理に添えれば彩りになる」


「煮出したら虫除けにも使えますしね」


「ええ。しかしアリシア様、育てる面でミントの大きな特徴といえば何でしょうか」


「特徴?うーん…やっぱり強いことかしら」



 アリシアの答えに頷いたミハイルは、ちょうど温室の裏側辺りで立ち止まった。



「あの生命力の強さは、一方では利点ですが、このような事態を引き起こすこともある」



 目の前に広がる状況を見て、ミハイルの言いたいことを悟った。


 地面一面の緑。一見雑草に埋め尽くされているようだが、よく見るとそれらは全てミントだった。単体では爽やかな良い香りも、これだけ大量になるともはや異臭と言って差し支えない。



「これは…」


「僕への嫌がらせです」



 言葉を失うアリシアに、ミハイルは淡々と続ける。



「この区域を担当していた先代の庭師の仕業ですね」


「先代の?」


「一年ほど前、彼はクビになり代わりに僕が雇われました。正直、彼の仕事ぶりは褒められたものではなく、今と比べて庭園が随分と荒れていたため、イルヴィス王子がそうするよう命令を下したのです」



 ミハイルは元々、町で働くごく普通の庭師だったそうだ。しかし若いながらに腕は評判で、それを聞きつけたイルヴィスが王宮の庭師へと向かい入れたのだという。

 だが、その先代庭師がそれを良く思うはずがない。彼はいくつもの嫌がらせを仕掛けていった。このミントもその一つ。



「温室の裏手ですからね。なかなか気がつきませんでした。そして気づいた頃には既に時遅しといった感じで」



 アリシアの頭に、『ミントテロ』という言葉が浮かんだ。


 ミントはとにかく生命力が強い。一度種をまけば、地下茎がグングン伸び、その上新しくできた種子をばら撒き、みるみるうちに辺りを侵食していく。

 そして、ミントの生命力は他の植物を凌駕するため、放っておくと他の植物を枯らしてまで繁殖する。


 しっかりと区切られたプランターに入れて、花が咲きそうならなるべく早く摘むのがミントを育てる上で鉄則だ。



 このミントの生命力を利用した嫌がらせがミントテロと呼ばれるというのは、前世で本により得た知識である。

 数年前、それを思い出したアリシアは、本当にそこまでの生命力があるのかと気になり、実験した。そして酷い目に遭った。



「仕方ないので、ミントが必要になった時にここへ取りに来たりはしますが…」


「使い切れないでしょうね、これは。それに、ミントは軽く引き抜いたくらいではどうにもなりません」



 アリシアはミントを近くで見ようとしゃがみこんだ。青々と繁る葉を触りながら観察する。



「ペパーミントですね。近くに他の種類のミントが無かったのは幸いです」


「勉強不足で申し訳ないのですが、他の種類のミントが近くにあったらまずいのですか?」


「ミントは他種のものとも交配します」


「ほお。新種でもできるんですか?」


「うーん…新種というか雑種。生命力はそのまま、匂いが変になったり無くなったりする場合が多いです」



 ミハイルは「なるほど」と息を吐いた。匂いがしないミントとなれば、もうただの雑草だ。今はこの範囲で済んでいても、手を打たねばさらに大変なことになる。



「こうなったら根元から全部掘り返しましょう」


「やはり、そうするしかありませんか…」


「わたしも協力します。大きなスコップはありませんか?」



 乗り掛かった船だと思いそう提案すると、ミハイルは眉間にシワを寄せた。



「…アリシア様、貴女は伯爵令嬢であり第一王子の婚約者なのですよ」


「……?ええ、そうね」


「汗をかき泥だらけになるような仕事をして良いはずがないでしょう」


「あ…ダメ、かしら?」


「ダメです。貴女に庭師の真似事をさせているなどという話がイルヴィス王子の耳に入ったりしたらとがめられるのは僕ですし。

……それに、そんな上等な服汚したらどうするんです」




 言われてみればその通りだ。


 アリシアの着ている服は、リアンノーズ家の領地内にある仕立て屋で注文した、かなり質の良いものである。黒みがかった赤の落ち着いたワンピースは、独特な髪色のアリシアにも似合う貴重な赤い服だ。


 ちなみに、リアンノーズ家の家訓は『無闇に貯め込む金があるなら、領地の経済をまわせ』



「確かに、この服を汚すわけにはいかないし、ミハイルさんに迷惑をかけるわけにもいかないわね…」


「お分かり頂けたのならよかった」



 ミハイルは心底ほっとした顔をする。だがそれも、続く言葉を聞くまでの短い間だった。



「つまり、汚れても良い作業着を着て、その上でわたしと分からないように変装すれば解決ね!」


「……は?」



 名案だとばかりに目を輝かせるアリシアに、ミハイルはあんぐりと口を開けるしかなかった。


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