デート
□
「えっとですね、まだ少し混乱してるんですが…」
アリシアを人の少ない場所まで連れていったイルヴィスに、額を押さえながら問う。
「イルヴィ…貴方が何故このような所に?」
「私がここにいてはおかしいか?」
「いやおかしいでしょ」
思わず素のトーンで返してしまった。アリシアは慌てて咳払いをし、誤魔化す。
「とにかく!変装しているからと護衛も付けずにこんな所に来るなんて…!有り得ません!」
今のイルヴィスは、綺麗な金髪を無造作にまとめ、服装もいつもに比べると地味なものだ。
「それは貴女にも言えることだと思うが」
「わ、わたしは…こういう場所も慣れてますし…」
「この
「それは初めてですけど…」
「そうか。私もだ」
イルヴィスは言葉をきると、口もとに笑みを浮かべながら周囲を見渡した。
「先々月から始めたのだが、成功したようだな」
聞けば、この輸入市は港町を活気づけるためにイルヴィスが発案したそうだ。
今日はお忍びで視察に来た、ということらしい。
「何か良いものは見つけたか?」
「あ、はい!」
アリシアは大きくうなずきながら戦利品を見せた。
「良いハーブが安くで手に入りました。あとはこの工芸茶ですね。知り合いに教えてもらったんですけど、面白いので今日のティータイムにお出しします!」
「それは楽しみだ。だが、それは明日にとっておこう。今日のティータイムは取りやめだ」
「え?」
今までティータイムを中止したことなんてなかったのに。
戸惑うアリシアを見て、イルヴィスはどこか楽しそうに目を細める。
「せっかくの機会だ。今日は二人で街を散策しよう」
「二人で、街を?」
もし他人の話であれば、これがいわゆるデートの誘いだと分かっただろう。
だが自分のことになった途端、その手のことに鈍感になるのがアリシアである。
「構いませんけど…」
「なら決まりだ。今日一日、私のことは『イル』と呼んでくれ」
「イル…様?」
「呼び捨てで良い」
「そ、それはさすがに」
人目を欺くためとはいえ、さすがに一国の王子を呼び捨てにするのはハードルが高い。
様付けで勘弁してもらおう。
「なら、わたしのことは『アリア』と呼んでくださいますか?」
せっかくだからと、アリシアもお忍び用の名前を名乗る。アリアというのも可愛らしい響きでなかなか好きだ。
「分かった。では最初はどこへ行こうか、アリア」
(…あれ?)
イルヴィスの口から『アリア』と呼ばれた瞬間、アリシアは何か引っかかるものを覚えた。
(何だろう…前にどこかで、この声にこの名前を呼ばれたような気が…)
街中で名乗る機会がある時は「アリア」と名乗るが、アリシアのことを日常的にそう呼ぶ人間はあまり多くない。
それこそ、リリーやそのカフェの常連客ぐらいだった。
「どうした?」
イルヴィスの不審がる声がして、アリシアはハッと我に返る。
「何でもありません」
思い出せないのだから、きっと気のせいなのだろう。
そんなことより、今からどこに行こうか考えなければ。
学園に通い出す前から街にはしょっちゅう出たのだから、案内はいくらでもできる。
「イル様は、甘いものと辛いもの、どちらがお好きですか?」
「……どちらかと言えば、甘いものの方が好きだ」
イルヴィスは少し考える素振りを見せてから、若干照れたように答えた。
甘いものなら、ケーキなんかを売る店を中心に見てみようか。せっかくだから、王族なら普段食べないような素朴で庶民らしいものがいい。
□
「…というわけで、わたしのオススメの店です」
アリシアたちが入った店は、大きな通りにある、可愛らしい外観のカフェだった。
同じカフェでも、Cafe:Lilyとはかなり雰囲気が違う。
Cafe:Lilyが、常連客が集い静かに過ごす、知る人ぞ知る店だとしたら、ここは流行りものが好きな人が集まり、わいわいおしゃべりを楽しむ店だ。
イルヴィスは、慣れない店の様子を興味深そうに観察している。その横顔は、平民らしい格好をしているのにも関わらず、さながら一枚の絵画のように綺麗だ。
思わず見とれてしまっている間に、注文していた品が運ばれてきた。
甘いリンゴとバターの香りを漂わせているアップルパイ。
「ここのアップルパイは絶品なんですよ」
この店は庶民向けではあるが、学園に通う令嬢たちの中にも、噂を聞きつけてお忍びで行っていた者も大勢いた。
もちろんアリシアだって、当時何回も足を運んだものだ。
「いただきます」
サクサクのパイ生地にとろとろのリンゴ。口の中で濃厚なバターとシナモンの香りがいっぱいに広がる。
久しぶりに食べたが、記憶していた通りの美味しさだ。
「…美味い」
向かいに座るイルヴィスも、どうやら気に入ったようで、フォークを刺すたびボロボロ崩れるパイ生地に苦戦しながらも、手を休めず食べている。
城での食事の時より、どこか生き生きして見える。
「どうかしたか?」
少し見すぎてしまったらしい。イルヴィスに、不思議そうなな視線を向けられてしまった。
「いいえ。美味しそうに食べるなあ、と思いまして」
「……こうやって街に出たのは久々だからな。浮かれているのかもしれない」
アリシアに指摘されたイルヴィスは、少し照れくさそうに髪をいじりながら言った。
アリシアはこれまでの付き合いで、イルヴィスが噂のように冷たい人物であるとは思っていない。きっと近寄り難いほどの美しい外見から生まれた噂なのだろう。
だが、そんな噂を信じる人々も、今の彼を見ればその考えを改めるのではないか。
カフェを後にしたアリシアたちは、その後は特に行き先を決めず歩いてみることにした。
色とりどりのブーケを売る花屋や、遠くまで良い香りを漂わせるパン屋。細かく手のこんだレースを売る店には思わず感動してしまった。
今まで何度も、この足で歩いて回ったはずの街。
なのに、隣で一緒に歩く人がいるというだけで、見える景色が全く違う。
「蜂蜜の専門店がある。珍しいな」
「本当!この辺りはよく来るのに知りませんでした」
アリシアなら気にもとめず通り過ぎてしまう場所にある店の前で、イルヴィスは足を止めた。
古めかしい建物の窓から、たくさんの蜂蜜の瓶が並んでいるのが見える。
「見てくるか?」
「はい!」
驚いたことに、売られていた蜂蜜は、それぞれ色が違った。あるものはほとんど黒のようだったり、またあるものは水飴と大差ないほどに透明だったりする。
ハーブティーの味を調節するのに、蜂蜜は重宝している。せっかくだからどれか買ってみよう。
狭い店だったので、イルヴィスは外で待っているからゆっくり選ぶようにと言った。
(お言葉に甘えて、いろいろ見せてもらおう)
並んている蜂蜜の種類は、ラズベリーの花や、リンゴの花など。ローズマリーやタイムといった、アリシアにはおなじみの名前もある。
とれる花が違うと味も見た目もかなり違うようだ。
たっぷりと時間をかけて、アリシアはオレンジの蜂蜜とラベンダーの蜂蜜を選んだ。
「すみません!お待たせしました」
店の外にあるベンチで本を読んでいたイルヴィスを見つけ、慌てて駆け寄る。
「良いものは見つかったか?」
「はい、おかげさまで」
イルヴィスは静かに本を閉じ、軽く空を仰いだ。
今まで気が付かなかったが、日が傾き始めていた。
「今日はなかなか楽しかった」
「わたしもです」
「そこに馬車を待てせている。家まで送ろう」
示された先には、確かに王宮付きの馬車が止まっていた。
いつどうやって呼んだのかと思ったが、よく考えてみれば、イルヴィスともあろう人間がそう簡単に一人で出歩けるはずない。
もしかしたら今日一日、遠くから護衛されていたのかもしれない。
(終わっちゃうのか…)
アリシアは静かに息を吐き出す。
楽しかった時間が終わる。そのことに、予想していた以上に残念がる自分がいた。
一人で街を巡るのは好きだ。だが、イルヴィスと一緒だと、もっと楽しかった。
(また、こうやって彼と街を歩く機会は訪れるのかしら)
どこか名残惜しい気持ちを胸の内に押し込めて、アリシアは、手を取られながらゆっくりと馬車に乗り込んだ。
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